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キューバのデータ |
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追加情報12/13/99 メキシコ(メキシコ・シティ、メリダ、カンクンなど)から入国するのが一般的だが、ドミニカ共和国、ジャマイカからも空路がある
(ドミニカ共和国サント・ドミンゴから直行便で約2時間30分)
通貨 キューバ・ペソ ただし観光客はUSドルで支払うのが一般的 ホテルやドルショップなどではUS$1=1ペソの公定レートだが、
実質的には、US$1=20ペソ(1996年10月のレート。変動あり)
面積
約11万0861km2。本州のおよそ半分
人口
約1009万人(1985年推計) 首都
ハバナ 日本との時差
マイナス14時間 気候 熱帯に位置しているが、貿易風の影響により温帯ないし亜熱帯の気候を持つ 乾季は11月〜4月、雨季は5月〜10月
日本と同じように7〜8月が最も暑く、首都ハバナでは40度近くになることも…
歴史 1492年、コロンブスの第一回航海中に<発見>され、スペインの統治下に置かれる。18世紀末より大規模な砂糖プランテーション産業が勃興、1860年には世界一の砂糖生産地となった。 1892年、「キューバ独立の父」ホセ・マルティがキューバ革命党を結成。マルティはキューバとラテンアメリカの解放運動に生涯をかけたが、独立戦争のさなかに戦死。1898年にはキューバ側についたアメリカとスペインが<米西戦争>を開始、同年パリで講和条約が結ばれ、キューバはスペインの支配から離れたが、アメリカの軍事占領下に置かれることになる。 独立は1902年。しかしアメリカの干渉権やアメリカ軍基地提供の義務は残されたままの、いわば半植民地状態での独立となった。 アメリカはキューバに積極的に投資。アメリカ資本が砂糖、金融、鉱山、電力、電信、電話などの産業を支配したため、キューバ自身の工業化は遅れ、砂糖に極度に依存するモノカルチャー的経済機構となってしまう。そんな対米従属からの脱却を求め「キューバ革命」が起こる。 革命政府は1959年に樹立され、アメリカ企業の国有化政策など、徹底した社会構造改革に着手し、翌年にはソ連と貿易援助協定を締結。アメリカとは1961年に国交を断絶した。キューバ危機から35年を経たいまも、キューバに対するアメリカの経済封鎖は続いている。
およそ3万人のキューバ人がアメリカへと脱出した1994年の「8月危機」以降、自営業や100%外資による企業設立の認可など、キューバ政府は積極的に経済開放を進めている。
人種 現在、政府は人種上の区別を行わない方針により、人種構成を発表していない。
1953年の国勢調査では、白人73%、黒人12%、混血14%となっている。
文化 ローマ・カトリック教の影響が強い他のラテン・アメリカ諸国に比べ、キューバでは教会が実生活に及ぼす影響はきわめて低い。一部の人々のあいだでは、アフロ・キューバ系の宗教が信仰されている。
スポーツはサッカー、ではなく野球が盛ん。
旅行した時期は1996年10月〜11月です。
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