10/01/2006
木製トラム


連鎖街から中山広場に戻り、かつて満鉄本社があった魯迅路を歩いていった。このあたりは、かつて日本が侵略していた時代、「東公園町」と呼ばれていたそうだ。日本人は大連の通りや地域に、日本名をつけていった。連鎖街近辺には、銀座通りがあり、常盤通りがあり、信濃町市場があったという。

旧満鉄本社があったという建物は、意外とちゃちかった。そのときは、「そんなもんかにゃ」と通り過ぎたけど、後で調べてみたら、その向かい側のドーンと威厳のある建物が、それだった。こんな風な「考えなし」な性格は、素直であるとも言えるけど、突っ込みが決定的に不足していて、脇が甘い。反省の巻。

これがホントの旧満鉄本社旧満鉄本社がある魯迅路には、昔の建物がたくさん残っていた。写真を撮りながら歩いていくと、だんだん夕暮れが近づいてくる。そんなとき、ゆっくりとトラムが近づいてきた。すごーく懐かしい風景。

停留所を見つけて乗ってみたら、木製トラムだった。板目がくっきりわかる木の床は、歩くと軽くきしむ。ペンキで塗られた壁、のんびりぶら下がる間延びした吊り革・・・。ガタガタ走ると、未知の昔々へと、向かっていくようだ。トラムを降りたら、昭和初期だったりして!?

どこに着くかわからないのが、いいところ。乗客が全員降りたところが終点。でもそこは、フツーの郊外だった。セキュリティが立っている高級マンションの脇は、空き地が拡がっていて、小さな丘に上がってみると、海と港が見えた。アカシアの季節だったら、ユーミンの『大連慕情』に描かれているような風景だったのかもしれない。

街に戻る途中、下町っぽい雰囲気の停留所で降りてみた。お腹も空いてたけど、それ以上に限界だったのは、お手洗い。よさそな食堂を見つける前に、見つかった。愛想のいいおばちゃんにお金を渡して駆け込むと、扉がひとつもない空間が拡がった。だれもいない。あるのは溝だけ。アンモニアがきつくて、目が痛い! 切羽詰ってたからコトは済ませたけど、中国で「溝のみ」のお手洗いは初めてかも!? トリニダード・トバゴでは、あったな(男性用だったけど)。

ゴハンはエアコン付きの「レストラン」で。東京の中華料理屋さんで食べるような定食が8元(約120円)、ビールが3元(約45円)。土地柄もあるのかもしれないけど、やっぱり安いよね。「食堂」じゃないのに、この値段。隣りのテーブルにいたカップルは、カメラ付ケータイで写真を撮ってた。壁にはこんな文字が。「生意興隆金満食」。

近くの市場で、お皿にガンガン盛ってもらう「屋台飯」もそそられたけどね、さっき大連に到着したばっかりだから、控えておきました。

夜、街の中心地を散歩してたら、広場でナゾのおばさん集団?が踊ってた。ちょっと太極拳の動きを取り入れ、ステップを踏む。美空ひばりの『港町十三番地』が中国に行き、時代を超えてユーロビートとテクノと合体したような不思議な音楽と共に、踊る。やたらとノリがよく、掛け声が頻繁にかかる。

それは大連の(ほんの)側面のひとつなのかもね。未知の昔がまだ存在していて、知ってる昭和もあって、最近の懐かしさもある。そして、踊る「いま」があるんだもんね。

参考資料
『井上ひさしの大連 写真と地図で見る満州』
井上ひさし・こまつ座編 小学館




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