ホームなーんちゃって香港 広州慕情

04/08/2002


広州慕情

到着当日。食堂で炒飯を食べ終えて、昼過ぎにお散歩開始! 香港から広州駅に着いてすぐ、客引きのおにいさんに捕まって、タクシーでホテルまで連れて来てもらったもんだから、自分がどこにいるのか、全然わからない。でも、地図をホテルでもらったので、とりあえず、それを見ながら、租界方面に歩き出した。広州の租界は、珠江に浮かぶ島らしい。Si Shu Rd.っていう道を、珠江に向かって、延々歩く。

広州駅近辺は香港みたいだったけど、このあたり(地下鉄のXimenkou駅近辺)には、昔ながらの、わたしがイメージしてた中国があった。南方的な中国、ちょっとベトナムっぽい雰囲気もあって、港町で・・・。通りには活気がある。商品を運ぶ人々が行き交う。クルマが走ってくる。逆方向から自転車がくる。古くて小さなお店が並んでいる。食料品屋、食堂、赤と金だらけの飾り物で埋め尽されてるお店・・・。ありとあらゆる小さなモノを売るお店がひしめいてるの。

「商売する」ことが、肌で感じられるんだよね、歩いているだけでも。近ごろの日本って、品物やお金がどう動くかって、どんどん複雑になってるでしょ、ロジスティクスなんて、英語になっちゃってね。でも、ここは、高く売れば儲かるって、そういう基本的、根本的な商売が、至るところで繰り広げられている。稼ぐ、食べる、生きていく。

人間の基本的本能的な生活って言ったら大げさ? 子供も老人もたっくさん見かける。修理屋さんや部品屋さんが目立つ。道端で機械を直す人々。モノを直して使う。そんなフツーのことを最近めっきりしなくなった日本。買ったほうが安いし、新しいタイプのモノがすぐに出るから。

煙草屋さんの店先には、いっぱいタバコが並んでた。いちばんパッケージがきれいなのを買った。Cocopalmっていう銘柄で、1950年代的な青色のパッケージに、ノスタルジックなイラストでヤジの木が描いてある。すっごくカッコいいうえに、20本入りで、約40円。余談だけど、香港って、タバコ高いんだよね。バージニアスリムが、1箱600円くらいするの。広州のCocopalmは、ハイライトみたいな味だった。

お金出したら、わぁ!って何か言われた。
「はぁ???」
よくよく聞いてみると(広東語できるわけじゃないけど)、タバコは2.50人民元、なのに、わたしは50銭出して、お釣りまでもらおうとしたのね。でも、お札に「5」って書いてあるんだもん、わかんないよ。言われてみれば、わたしが出した「5」って書いてあるお札は、5人民元札より、気持ち小さめだった。

のんびりと45分くらい歩いたら、珠江に出た。プロムナードが川沿いに続く、垢抜けた?雰囲気。ヨーロッパっぽい建物がちらほらあって、租界の予感・・・。川辺を歩くと、ユーミンの『大連慕情』が浮かんできた。「そぞろ歩こう」ってフレーズが出てくるから? 自己完結なイメージでしかないんだけど、わたしの中国への憧れとか、想いを馳せるとか、そういうことのすべての発端は『大連慕情』から始まっている。大連と広州がどんなに離れていようとも・・・。この曲を初めて聴いてからずいぶん長い時間がたって、やっと「イメージ」の世界に着いた。

名前に惹かれて「南方大廈」っていう、クラシックな雰囲気のデパートに入った。ジョルダーノとか、香港カジュアルのお店がいくつか入ってて、スタイリッシュ!な服がいっぱい並んでる。ベルリンの壁が崩れた直後に行ったチェコのデパート(品物が少なくて、ほとんどの商品はケースに入っていて、店員さんに頼んで取り出してもらう形式)を想像してたら、ぜーんぜん違った。

「南方大廈」の脇には、トラムの停車場。いつ、どこで見たのかわからないけど、デジャヴ的な感覚があって、風景のすべてが懐かしい。

お巡りさんに租界がある場所、「沙面」って書いて場所を訊ねてみた。言葉はわからないけど、方向はわかった。お巡りさんは、「日本」という漢字を書いた。「日本人か?」ってことね。アジアに来ると、日本人っていうことに、後ろめたさを感じてしまう。妙に明るく「そうよ!」って答える自分に、ちょっと嫌気がさす。わたしが日本人だってわかっても、お巡りさんは別段反応は示さなくても。

指差された方向に歩いていくと、細い川があって、白い橋がかかっている。その向こうに、突然、ヨーロッパが出現した。小さな島だと思っていた沙面は思ったよりも大きくて、歩いても、歩いても、徹底的にコロニアルだった。ラテンアメリカのいろんな場所が、頭をよぎった。メキシコ市のコヨアカン、トリニダードの首都ポート・オブ・スペイン、コスタリカの首都サン・ホセ、そしてブエノス・アイレス・・・。こんなに日本に近いのに、ラテンアメリカから離れているのに、大航海時代はここにもヨーロッパをつくった。

高級テニスクラブや高級ホテルがあった。White Swan Hotelっていうらしい。内部は超ゴージャスで、「見学」できるっていうけど、興味ない。島の中央部は公園+遊歩道になっていて、お花がたくさん咲いている。クルマ進入禁止で、時が止まったような静けさ。無言で歴史を語ろうとするかのような、欧風建物。官公庁が多いようだけど、あちこちに洗濯ものが干してあったりして、租界はいま、中国人たちが平然と住んでいるように見えた。建て付けの悪そうな木製の窓枠の窓が大きく開いていて、風が吹き込む。カリブやラテンアメリカでよく吹いてた、コロニアルな風・・・。

歩いてただけだったのに、突然、音速で別の場所に移動しちゃったような、おおげさに言っちゃえば神懸り的トリップ感があった。さっきの中国の喧騒からこんなに遠くに離れて。

外国人向けのおみやげもの屋さんで、スワトーと音が出るボールを買った。クリーム色に天女のような女性の絵が書いてあるボールは、おみやげにするつもりだった。でも気に入って、自分のものにしちゃった。ウチのPCの脇に置いてある。振ると、あの日の午後の音がする。風に流れる、か細い鐘の音のような・・・。

沙面に来るとき渡った白い橋を逆方向に戻って、元の世界?に帰り、珠江を渡ることにした。が、切符売場は完全広東語で、とりつくしまがない。30分くらい、ただ船に乗りたかったんだけど、あきらめて、渡し船にした。東京でいえば、水上バスって感じの船。向こう岸まで、0.5人民元(約8円)。ほんの5分の間、川から見渡す風景をむさぼった。さっき入った「南方大廈」など歴史を感じさせる建物と、今どきインテリジェントビル(この言いまわしも古い?)が混在して並ぶ、威風堂々とした街並。あっと言う間に対岸に着き、川沿いをまた歩く。こぎれいな新興住宅地。「清潔な広州を愛する!」みたいなスローガンが、赤地に黄色い文字で書いてある巨大な看板があって、写真を撮った。しばらく歩くと、別の船着場があった。また、渡し船に乗った。

次は海珠広場に向かう。その名前のロマンチックな響きとは裏腹、庶民的な公園だった。こんなに人がたくさんいる、大きな公園って、すっごい迫力。いくら日曜日だからって・・・。外向きなのかな。とにかく、人が多い。老若男女、みんな外に出る!って印象。ここが庶民的なら、わたしもそう。ゆで卵を買って食べました。フツーのゆで卵の味は、この場所にピッタリ合った!

そして、夕暮れが迫ってくるとともに、お手洗いタイム到来。ホテルで済まそうと思ったら、鍵がかかってた。やっと見つけた公衆トイレ。早く事を済ませたい!と焦りつつ、10人民元(約175円)出したら、受付のおばちゃんったら、ダメモトでティッシュ付けて、お釣りなしにしようとした。さっきまでの風情はどこへやら、大した金額でもないのに、ムキになるわたし。おばちゃんと四つに組んでたら、誰か入ってきて、0.5人民元(約8円)置いて、サッと入っていった。あきらめて、0.5人民元を振りながら、「これと同じお札を出しなよ」とジェスチャーする。1人民元出したら、オマケにティッシュ付けてくれた。「夢雅」って名前のこのティッシュ、なぜか大切にとってある。

さらに歩くと、ホコテンがあった。U2、THEME、ジョルダーノなど、香港ブランドが並び、ケータイの出張ブースも出てて、押すな押すなの大人気。ソニーのケータイの広告もドカーンと出ててね。何だかな・・・って思いながら歩いたら、そそられる路地があった。ビリヤードのキュー売ってるお店とか、卓球用品店とか並んでる、ほの暗い路地。古いものを探すのって、いまの中国と違うのかな。中国人は、ノキアとか、ソニーとか、そういうモノがあるんだってこと、知ってほしいのかな。

恵福路っていう道をグングン歩いてホテルに戻った。途中、夕闇が迫るころ、前にカバーをかけた自転車が走ってきた。と思ったら、カバーに見えたのは、これからわたしたちのお腹に入る鶏だった。さっきまで元気だった鶏が10羽くらい、前のハンドルにぶら下がってるの。

これだけ歩いても、まだ歩き足りない。シャワー浴びてから、今度は夜の街に出た。お昼食べた食堂で、石焼きビビンバの中国版みたいなの食べて、また歩いた。照明がはっきりしない、ぼやけた、埃っぽい、広州の夜、『支那の夜』。層皮的なパンを買って食べた。で、また歩いた。身の危険は、とりあえず、全然感じなかった。ウォーキング・ハイになってたからかもしれないけどね。こんなことでハイになれるなんて、なんて安上がり? 万歩計、借りてくればよかったな。そしたら、締めに書けるじゃない? こんなに歩いたんだよ!って。

関連リンク 広州写真1  アジアのちからだ、マレーシア

次回は、食は広州にあり!? です。