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08/16/2003

『シティ・オブ・ゴッド』

貧困のなか、子供たちはピストルを手に、
生きるために殺しあう現実・・・。

2003年 ブラジル (原題 Cidade De Deus) 




photo: 『シティ・オブ・ゴッド』劇場販売パンフレットより



物語は1960年後半のブラジル、リオ・デ・ジャネイロ、貧しい人々(を隔離する)ために、政府が作った公営住宅地 "CIDADE DE DEUS"(シティ・オブ・ゴッド)から始まる。写真が大好き、カメラマンになることを夢に見る少年ブスカペの目を通して、1970年代後半までのおよそ10年間にわたって、スラムに生きる少年たちの、さまざまな生きざま、運命、そして末路を追っていく、「現実」をベースにした物語。

ほんの子供だったときに、モーテルの従業員を皆殺しにし、その後、18歳にして暗黒街のボスにのし上がるリトル・ゼ。長いこと彼の相棒として「活躍」しながらも、彼女との平和な田舎暮らしを実現させるために引退を決意するベネ。いつかこの街を出ることを願うバスの車掌マネは、リトル・ゼに家族を殺され、恋人をレイプされたことで、自らの手を血に染めていく・・・。そして、数知れない、子供やチンピラのギャングたち。彼らはいとも簡単に銃を手にし、日常的に殺し合う。

この映画を見に行くには、勢いが必要だった。たくさん気をためておかないと、ぺしゃんこになりそうだったから。実際に見ても、ひとつひとつの、そしてひとりひとりのエピソードが重く、重く、覆い被さってきた。

特に忘れられないのは、先輩ギャングが子供ギャングを捕まえる場面。先輩ギャングは、ひとりの少年に命令する。「残りのふたりのうち、どっちかを殺せ」。ひとりは泣きじゃくる。もうひとりは不敵な目をして彼を見る。どちらかを殺さなければ、彼の命がない。ためらった後、彼は不敵な目をした少年に向けて銃口を向け、そして・・・。

本当なら、かぶと虫や蝉を追いかけたり、文句を言いながら、夏休みの宿題を前にだらだらしているはずの年齢の少年たちが・・・。

でも、この映画は、ただ残酷に殺し合うだけじゃなくて、生きるためのメッセージが強大な力とともに存在している。それがどんなメッセージかは、見て、その人が感じとればいいとおもう。すごくいい映画を見たあとは、いつも、言葉は無力だっておもう。いい映画を説明するために、言葉をいろいろいじくって並べても、意味がないって。この映画を見た後、「サバイバル」なんて言葉は、なんて軽く感じられるんだろう。

救いは語り部役、カメラマンを夢見るブスカペ。銃が苦手な彼は、ギャングの兄貴を見習わず、学校に行き、かわいい女のコとHして、童貞を捧げる?ことに心血を注ぐ。そんな彼は、ひょんなことからスクープ写真を撮影し、夢を現実にしていくのだけど、ちょっと離れた視点で、彼が住むスラムの現実を淡々と語るだけに、その「現実」は、ますます重みを増していく。

そして、もうひとつすごいのは、映像のスタイリッシュさ、ブラジル音楽の力強さ、『アメリカン・グラフィティ』を彷彿とさせる切り口など、言葉を失う現実を映画として表現する手法の数々。監督のフェルナンド・メイレレスは、1980年代後半、多くのTVコマーシャルを手がけたそうです。納得。

それにしても、こんな映画を、六本木ヒルズで上映しているなんて、皮肉??? 貧困と結びつきようもない、こんな場所で。映画が終わって、むかしのSF映画に出てきたみたいな近未来的な通路を通って
、外へ出ると、自分がいる豊かな「現実」に包み込まれる。傲慢を認識しなさいと言うかのごとく。