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09/29/2003

ジョアン・ジルベルト つぶやき



彼のライブを見てから、もう2週間以上もたったけど、いまでも、あの晩の、ゆるくて自然、それでいてピンと張りつめていた会場の空気、水を打ったように静かな、大きなホールで、緊張感と浮遊感が、きもちよく同居したなかで聴いた、彼の生の声とギターが、わたしのなかにじんわりと残っていて、流れている。

最初、東京国際フォーラムのホールAが会場ってきいたときは、あんまりそそられなかった。前のほうの席を取る余裕もなかったし、もっと小さい、贅沢いえば、ライブハウスみたいなところで聴きたい!って思った。でも、チケットが発売になってしばらくしたとき、突然、たいへんなものを見逃しつつあるんじゃないかって気持ちがこみあげて、大井町の丸井のちけぴに駈け込んだ。

ホールの大きさは関係なかった。神通力があったから。

すべては、GETZ/GILBERTO という一枚のレコードから始まった。まだ、CDができる前。1963年に彼がニューヨークで録音したアルバム。スタン・ゲッツという、アメリカのジャズのサックス・プレイヤーとの、今でいうコラボレーション。アントニオ・カルロス・ジョビンは、「フューチャリング」とクレジットされて、ピアノを弾いている。『イパネマの娘』を歌っているのは、アストラッド・ジルベルト。ジョアンは、歌とギター。

何の知識もなく、このアルバムを聴いて、ホンモノのボサノヴァは、これだって信じた。ずーっと後になって、このアルバムは、かなり「アメリカの息がかかった」ボサノヴァだっていうハナシをきいた。いわれてみれば、スタン・ゲッツのサックスは、いかにもなジャズっぽさがあるし、『イパネマの娘』も英語で歌われているし!?

このアルバムを聴くと、必ず蘇るのは、小学校の近くにあったテニスコート、1963年のニューヨークとイパネマの海岸のイメージってハナシは書いたけど、あとふたつある。

ひとつは、村上春樹の短編『1963/1982年のイパネマの娘』。この小説には「形至上学的な足の裏」を持つイパネマの娘が登場する。彼女は、1963年から20年間にわたって、イパネマの海岸を歩き続け、年はとらない。今日、ひさしぶりにこの短編が入っている『カンガルー日和』を取り出して、読んでみた。そしたら、この曲を聞くと、高校の廊下を思い出す・・・っていうくだりがあって、忘れていたんだけどね、ははーん!って感じ。記憶やイメージは、あとからあとから、つくられていくらしい・・・。

そして、もうひとつのイメージは、バリ島にある、チャンディー・ダサという海岸。海外に行き始めたころ、ブラジルなんて手も届かないから、たとえば、グアムやハワイ、フィリピンでも、いつも『イパネマの娘』が歩いてきそうな海岸を探してた。で、ついにみつけた!って感動したのが、ここ。いまでもちゃーんと、この海岸の風景はわたしのなかに残っている。たとえ、どんどんあとからつくられたイメージだったとしても。形至上学的な足の裏を持つイパネマの娘は、2003年の今だって、あの海岸を歩いているかもしれない。

今も、GETZ/GILBERTO を聴きながら、書いている。たった8曲、33分ちょっとの、最高のアルバム。いま、手元にあるのは、1980年代の後半につくられた西ドイツ盤CD。音の連鎖とイメージは、これからも続いていくのかもね。イパネマの海岸へ、そして、その先へ・・・。