ホーム 60日間のラテンな旅行体験記 インデックスマルティニーク

マルティニークのデータ


交通
フランス/パリから直行便で約8時間
プエルト・リコ/サン・フアンから2時間

通貨
フランス・フラン
96年10月のフランス・フランは22円

面積
1110km2。沖縄県の約半分

人口
約36万人。首都フォール・ド・フランスの人口は約11万人

日本との時差
マイナス13時間

気候
年間平均気温25度。四季を通じて気温差は3度程度しかない。
6月から12月が雨季。最も降水量が少ないのは3月。

歴史
1502年コロンブスによって発見され、その後イギリスの支配を経て、17世紀なかばよりフランスの植民地化が始まる。マルティニークの語源は、この島がカリブ先住民のあいだで "MADININA"(花の島)と呼ばれていたことに由来。現在はフランスの海外県となっている。

産業
農業が中心。バナナ、サトウキビ、パイナップル、及びラムの製造、砂糖精製など

人種
アフリカ系を中心にフランス系、インド系、中国系などとそれらの混血

マルティニークの有名人
ナポレオンの妻となったジョセフィーヌ

この島を題材に「熱帯の植物」などの作品を残した画家ポール・ゴーギャン。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1887年より2年間、この島に滞在し、「真夏の熱帯行」、「荷運び女」などの作品を残した。

言葉
公用語はフランス語。クレオール語(フランス語、英語、スペイン語、そしてアフリカの言語などをミックスした言葉)も島民のあいだでは日常的に話されている。ホテル、ツーリスト・インフォメーション、観光客向けレストラン/みやげ物店などでは、英語が通じる。

クレオールとは?
『クレオールとは何か』訳者まえがき 引用
著者 パトリック・シャモワゾー、ラファエル・コンフィアン 訳者 西谷修 平凡社

(前略)「クレオール」という言葉は、もともとは「植民地生まれ(の白人)を指すために用いられていた。たとえばフランス人が海外に進出して植民地を作ると、やがてそこで本国を知らない子供が生まれる。それを本国生まれのフランス人と区別するために「クレオール」という呼称が用いられるようになった。この語はもともとポルトガル語やスペイン語から入ってきたもので、要するに西ヨーロッパ諸国が大西洋を越えて遠いアメリカに進出したとき、共通に遭遇した新しい事態に対応して生まれた言葉で、アメリカ地域に植民地をもったあらゆる国には、多少の発音の違いはあっても共通して「クレオール」にあたる語がある。

この地域の植民地は、後にも触れるようにサトウキビ産業によって成り立っていた。そのための労働力としてアフリカから大量の黒人奴隷が運び込まれた。かれらも首尾よく生き残ればこの地で子供を生むようになる。そのときアフリカ育ちの奴隷と区別するために、この地で生まれた奴隷がやはり「クレオール」と呼ばれるようになる。そしてサトウキビ農園での労働のために、白人支配者と黒人奴隷との間の最低限のコミュニケーションの必要から生まれた言葉も「クレオール」と呼ばれるようになり、こうしていつしか、この植民地に生まれたあらゆるものが、人も、言語も、物も、文化も、「クレオール」の名で呼ばれるようになった。つまり「クレオール」とは植民地に生まれた生活世界の内実をまるまる意味する言葉になったのである。(後略)

マルティニークのアーティストたち、おすすめCD
グループ名 MALAVOI タイトル JOU OUVÉ 1988

アーティスト名 KALI タイトル RACINES 1988

アーティスト名 TANYA SAINT VAL タイトル AMETHYSTE 1996

アーティスト名 BEETHOVA OBAS タイトル PA PRESE 1996

おすすめの映画
『マルティニークの少年』

マルティニークの写真

旅行した時期は1996年10月〜11月です。



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