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男子禁制女性的旅ROOM 6号室 悲惨+危機一髪!


おひさしぶりの男子禁制女性的旅ROOMは、まだまだあった悲惨or危機一髪な体験集をお送りします。さて、運命はいかに??? 読者のみなさんからの悲惨系な体験もお待ちしています。メールしてね〜。

インドネシアの夜行バス テロリストの巣窟!?
農場で出会ったヘビ+犬(ヒロさんからの投稿)


インドネシアの夜行バス 3/12/2000
その昔、インドネシアに行ったときのこと。ジョグジャカルタからバリ島へ向かうバスに意気揚々と乗り込んだ。飛行機に乗らないぶん、エアコン、リクライニング・シート付、ラグジュアリーなバスにしたんだから・・・。でも与えられたのは、トイレの前の後部座席、リクライニングするわけがない。

「ボクにはわかんないよ。切符を買ったところで交渉してよ」。車掌さんは、お客さんの切符をチェックしながら明るく答える。「このバスは満員だから、席、替えようがないんだよね〜」。粘ったが、彼の明るさも回答も変わらない。暖簾に腕押し、糠に釘状態、怒り心頭に発し、持っていた枕をはっし!とばかりに投げつけた。すると彼、楽しそうに投げ返して来たんだわ。遊んでると思ったのかしらね、そんなわけないじゃん!

あきらめはついたけど、運の悪さは続く。後部座席の同伴者は、防具なしでもアメフトの選手みたいに肩幅が広い、若いドイツ人の男のコ2人。推定身長190cm、肩幅だけじゃなく、お尻も大きかった。彼らと並んで座ると、ともだちとわたしは押し潰されそうになる。満席なのに、次々と乗り込んでくる人々・・・。「どこに座るの?」。わたしたちの疑問をよそに、後から乗り込んできたローカルのおばちゃんは持っていた布を通路にうま〜く敷きつめ、見事なベッドを作り上げた。おばちゃんが持ってた大きな鳥籠(ニワトリ入り)は、バスの屋根に積まれた。

夜になった。直角の座席に座っているよりは、床で寝たほうが楽かも・・・。試しにやってみたが、毛布がないので、体がうまく収まらない。そうこうしているうちに、座席はドイツ人に占領されていた。寝入ったドイツ人を起こすわけにもいかず、床でじたばたするわたしたち。さらに運が悪いことに、座席の前にあるトイレのドアが壊れてた。左にカーブを切るたび、ドアは音もなくゆっくりと開いていく。匂いがくる。閉める。しばらくたつと、またゆ〜っくり開く。閉める・・・。一晩中こんなことをくり返し、朝になった。

いったい何時間バスに乗っていたのか? 24時間以上だったようにも思われるし、12時間くらいだったのかもしれない。記憶の中で、徐々に脚色され、バスに乗っていた時間が長くなっているような気もする。やっと到着したときのこともあんまり覚えてない。確かなのは、ロッジに着いてすぐ、波乗りしに海に行き、ともだちに呆れられたこと。帰りに飛行機に乗ったら、たった1時間で到着したこと。

これは海外旅行始めたころのエピソード。その後も懲りずに長距離バスに乗ったけど、こんなに運が悪かったことはなかった・・・。あれ、あったかな。ま、また思い出したら書きましょう。



テロリストの巣窟?! 4/1/2000

スペイン北部の海岸沿いに、サン・セバスティアンという街がある。どこか北ヨーロッパ的な雰囲気が漂う、上品な街。展望台から見下ろすと、静かな波が打ち寄せる、カーブした海岸線が美しい。
ところがここは過激派組織「バスク祖国と自由(ETA)」の本拠地なのね。スペインに滞在していた1990年代前半は、サン・セパスティアンで起きたテロのニュースが、毎日のようにテレビから流れてたっけ。

そんなころ、サン・セバスティアンに行った。夕方着いたら、街が妙に興奮している。「あれ、イベントがあるの?」。「なんだ、知らないのかい?今日は祝日なんだよ」。
しばらくヨーロッパを旅行して、ひさしぶりにスペインに戻って来たところだったので、「祝日」なんて、頭の片隅にもなかった。ま、なんとかなるでしょ。いつもの調子で宿を探し始めたけど、なんともならなかった。途中からはタクシーをつかまえ、しらみつぶし状態で、街中のあらゆるランクの宿に掛け合ったが、部屋はない。日が暮れ、夜になった。

「じゃ、郊外のホテルはどう?」「どうだろうねえ、ま、行ってみますかね」
タクシードライバーの返事はぱっとしなかったが、とりあえず郊外に向かった。彼も土地勘がないらしく、道を尋ねたりしながら、またまたシラミつぶし状態で泊まれるところを探す。ひとつめダメ、ふたつめもダメ・・・となると、そろそろ本格的に焦ってくる。
「あっちにペンシオン(ホテルの廉価版)があるらしい」
情報収集から戻って来たタクシー・ドライバーが、意気込んだ。
「これでダメだったら、ウチに泊りなよ」。

その場所に到着し、彼は呼び鈴を鳴らし続ける。応答なし。諦めかけたころ、眠そうな顔をした男性が、ドアをゆっくりと開いた。もう真夜中に近い時間だった。しかし交渉は難航した。ペンシオンの看板は出しているが、営業はしてないという。
「お願い!フィエスタで泊まるところがないの。1泊だけでいいから泊めて!」わたしが柄にもなく哀願すると、眠くてめんどくさくなったのか、渋々承諾した。髪を振り乱してお願いする東洋人の女の形相が、怖かったのかもしれない。
「ただし、明日の朝10時になったら、必ずチェックアウトしてくれよ」。

眠そうな男は、スペイン人としては衝撃的なくらい、愛想がなかった。部屋まで案内し、鍵を渡すと、念を押した。「いいか、チェックアウトは明日の朝10時だ」。
部屋はこぎれいで、清里あたりのペンションみたい。ダブルベッドに、きれいな色のベッドカバーがかかってる。ホテル探しでドロドロに疲れてたわたしは、崩れ落ちるようにベッドになだれこんだ。

激しいノックの音がして目が醒めた。朝だった。ドアを開けると、昨晩の無愛想な男が、こわ〜い顔で立っている。
「10時には出ていってくれって言っただろう。もう10時だ。早く出てってくれ!」。
何だかわけがわからないまま、荷物といっしょに放り出されるように外へ出ると、スペインの典型的な郊外の団地の風景が広がっていた。アルモドバルの映画によく出てくるような・・・。子供たちがサッカーをしてた。

「それってさ、ETAの巣窟だぜ、きっと」
当時、活動の拠点にしてたサラマンカという町に戻り、久しぶりに会った日本人のともだちにこの話をしたら、真顔でそう言った。

「愛想のない彼は、ETA(テロ組織 バスク祖国と自由)のテロリストなんだよ。ペンションを営んでいるように見せかけて、潜伏してるんだ。で、その日はETAの集会があってさ、仲間が続々と集まってくるから、どうしても出ていってもらわなくちゃいけなかったんだ」。
すっごい想像力・・・。そんなこと思ってもみなかった。

「何か怪しいところ、なかった?他に泊まってた人はいた?」
「う〜ん、よくわかんない。部屋に入ってすぐ寝ちゃって、朝叩き起こされて、放り出されただけだから」
「例えば、部屋に入るまでの間、人の気配がしたとか・・・」
「静かだった。テレビの音も聞こえなかった・・・。あっ、そういえば、営業してないのに、妙にきれいな部屋がちゃんと準備されてのは、ヘンじゃない?」
「すぐ部屋に入れたの?」
「そう。それも使ってない部屋じゃなくて、それこそ人の気配がする部屋・・・」
「ってことは、テロリストたちの常宿なんだよ」

真相は闇の中、ペンシオンの名前だって覚えてない。ただ、あの無愛想なスペイン人が、「早く出てってくれ!」って言ったときの顔は、鬼気迫るものがあった。
一時は停戦協定に応じたETAだけど、このところまたテロ活動を再開し始めた。そんなニュースを聞くと、あの一夜を思い出す。「彼」はいったい、何者だったんだろう。


農場で出会ったヘビ(ヒロさんからの投稿1)5/22/2000

オーストラリアの旅、ルートは決まっているが途中下車は何度でも自由というバスパスを買った。有名な観光地や都市ばかり移動するんじゃつまんないので、有名でなくても何かおもしろそうな所を探していると、シドニーからすこし離れた小さな町、ゴルバンを薦められた。そこは羊だらけの田舎で、ビッグ メリノという家より大きな羊のオブジェもあるらしい。田舎大好きの僕にはぴったりの場所だ。

ゴルバンの小さな案内所のおばちゃんはとても親切で、フレンドリー。訪れる人たちに楽しんでもらいたいという思いが伝わってくる。町のおもしろそうな所を教えてもらってると、近くに宿泊できる農場があるというので泊まってみることにした。連絡してもらってしばらく待っていると、人なつっこい顔をしたいかにも田舎のオージーって感じのおじさんがあらわれた。

迎えにきてくれたボロ車には、後部座席いっぱいにあふれんばかりの食料品がつめ込まれている。すごい量だがいつものことらしい。農場で働けるか聞いてみたら、すんなりいいよってことになった。働くといっても観光ビザなので、何時間か働くかわりに宿代や食事代をまけてもらうのだ。ずっと農場で働きたいと思っていた願いがようやくかなった。農場での仕事は後部座席に山ほどある食料品を片付けることからはじまった。

そんな感じで何日かしたころ、その日はタソックというやっかいな雑草を殺すために除草剤を散布しようとしていた。タソックは南米から持ち込まれた帰化植物でどんどん広まっている。農場で放置しておくと罰せられるらしく、積極的に駆除しているが、すでに焼け石に水といった感じもする。しかし、やめるわけにはいかない。

車で移動したあと、いくら歩いても端までいけないほど広い農場を歩いていると、一匹のヘビがとぐろを巻いてるのに出会った。色はおとなしい茶色系で頭はスリム、サイズは少し大きめ。その姿と雰囲気から無毒のヘビだろうと思い、刺激しない限りは大丈夫だと、そのまま横を通りすぎようとした。

「ヒロ、止まれ!! 止まるんだ!!」
焦ったような叫び声に驚き、あわてて足をとめた。
「ゆっくりと後ろに下がれ!! そうだ、ゆっくりとだぞ。」
言われるがままに後ずさりして十分な距離をあける。
「ヘビがいるのは知ってたのか? あいつは毒ヘビなんだ、噛まれなくってよかったな。ほんとうによかった。」
今ごろになって心臓がどきどきしてきた。

出会ったのはブラウンスネークという、オーストラリアで一番死亡事故が多い毒ヘビだった。日本の無毒のヘビに似ているからといって無毒じゃないんだ。ここはオーストラリア、日本の常識は通用しない。
そういえば、ビッグ メリノはまだ見ていない。またゴルバンに行かなくちゃ。


犬(ヒロさんからの投稿2)5/22/2000

マレーシアから国境を越えてタイに入ると野良犬が増えてくる。イスラムの国マレーシアでは、犬は不浄の生き物として忌み嫌われているが、タイは仏教の国であり、あちこちで見かける。熱帯の暑さでへばった犬は、ぐだっ〜とだれきって愉快だ。セントバーナードまでが万歳をするような恰好でのびていたのはおかしかった。きっと地面が冷たくって気持ちがいいのだろう。

バンコクではカオサンにある寺の裏あたりの宿をよく使っていた。一泊40バーツぐらい(120〜160円)でファンつきの個室がもらえる。個室といっても部屋の大きさはベッドぐらいしかなく、シャワーとトイレは共同。でも、そんなことは気にならない。

カオサンから宿へは寺を抜けると近道になるのでよく通った。寺には涼しげな木陰も多く、いろんな動物が集まってくる。犬、猫、鶏、時には馬もいたりする。

いつものように寺を通り、よくいる犬の集団を横切ろうとしたら、低くうなり声をあげる犬が一匹いた。
柴犬ほどの大きさの黒い雑種だ。すこし気にはなったが、いつものように歩いてゆき、うなる犬の横を通りすぎた。

すこし犬から離れ、もう大丈夫だろうと思ったら足に痛みが走った。やられたっ!! 反射的に犬を見る。
犬に咬まれるのは馴れているが、狂犬病が心配だ。幸いにも咬みついた犬はよだれも流してないし変な行動もしてないので、とりあえず傷口をよく洗っておいた。狂犬病の潜伏期間は1〜2ヶ月、長くなると1年以上になることもある。しかも発病したら治療法はなく確実に死ぬという。

あとから知ったことだが、咬んだ犬に狂犬病特有の症状が出てなくても感染する期間があるので、咬まれた場合はすぐに病院へ行くべきだった。

どうやら僕は運が良かっただけのようだ。いや、まだ発病するかもしれない…


 
旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
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