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02/11/2003


蘇州暮色


−4日め−

昭和15年(1940年)に公開された『支那の夜』(長谷川一夫、李香蘭主演)という映画の主題歌で、『蘇州夜曲』という歌がある。80年代前半、ゲルニカ時代の戸川純がカバーしていたので、覚えている人もいるかも・・・。わたしの蘇州のイメージは、すべて、この歌から始まった。美しきロマンの都・・・。



蘇州夜曲

君がみ胸に 抱かれてきくは
夢の船唄 鳥の歌
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか やなぎが すすり泣く

花を浮かべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
今宵うつした 二人の姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろうか 口づけしよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむような おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺


作詞:西条八十 作曲:服部良一 歌唱:霧島昇、渡辺はま子
「昭和歌謡六十年史」別冊解説 企画:日本コロムビア株式会社 より


蘇州の第一歩は、帰りの切符を買うこと、そして空腹を満たすこと、極めて現実的だった。行きは軟座(1等)だったので、帰りは後学のために?硬座(2等)に乗ってみようと思い、出発時刻と行き先と「硬座」と大きく書いた紙を窓口に出したにもかかわらず、しっかり軟座の切符を渡されたとはいえ、帰りの切符をしっかり手にすると、途端にお腹が鳴った。早起きしたから、朝ゴハンはコンビニのパンとウーロン茶だけだったし。駅の近くの食堂で、ビーフカツ煮と油菜などの野菜の定食(5元)で、お腹を満たして、いざ、街へ!

ガイドブックには、十全街というところに貸自転車屋さんが集まっていると書いてある。駅の近くで物売りのおじさんから、蘇州の詳しい地図を2元で買い、ついでに十全街へ行くバス停も教えてもらって、バスを待つ人々の列に加わった。念のため、前に並んでいた女のコに、「十全街はこのバスでいいの?」と漢字とカラダで尋ねると、「わたしも十全街で降りるから、だいじょうぶよ」というようなことを言ってくれて、彼女と並んで、バスの後部座席に座った。不思議な親近感と安心感に包まれながら、バスはがたがたと走る。

バスの窓から見る蘇州は、雑然とした都会の趣き。排気ガスをモクモク出しながら突っ走るクルマとバイク、その波を縫うように自転車と人々が駈け抜ける。60年以上も前に作られた『蘇州夜曲』のイメージを、ずーっとしたため続けていたわたしは、あまりの落差に戸惑った。東洋のベニス、水の都と謳われた、ここが蘇州?

バスを降り、彼女と別れ、歩き始めたら、水路に屋根付きの橋がかかっているのを見つけた。橋というより、連絡通路といったほうがわかりやすいかも。『マジソン郡の橋』の中国版っていうか・・・。

やっと、風情を見つけて、束の間ホッとしたわたしに、(運悪く)輪タクのおにいさんが声をかけてきた。このとき、わたしはあまりいい気分じゃなかったのね。蘇州の第一印象が、イメージしていたのと、あまりにもかけ離れていたもんだから。「メリー・クリスマス!」だの、何だの言いながらまとわりついてくる彼、いつまでたっても離れないもんだから、「うるさーい、しつこーい、他のお客さんを探して!」などと、日本語と英語で返したが、打たれ強い彼は、それでもついてくる。

「どこに行くんだい?」と英語で尋ねる。
「貸自転車屋!」。
「それなら、反対方向だよ」。
そんなこと言って、乗ってほしいだけなんでしょ。
「貸自転車屋は、逆だってば。そこまで乗ってきなよ」。

今にしてみれば、1元で何百メートルか乗せてもらえばよかったんだけど、わたしは意地になっていた。で、事実、貸自転車屋は、彼の言う通り、逆方向にあったのだ。

長〜い攻防の後、彼を振り切り、着いたのは滄浪亭。この際、心静かに、庭園を見よう。上海の豫園は観光客で満たされていたけれど、ここは喧騒とは無縁だった。庭園の入口に沿って横たわる水路、その岸辺にアンティーク小物を扱う出店が並ぶ。庭園内に入ると誰もいなくて、しんと静まりかえっている。上海と同じか、それ以上に寒くて、木々には葉っぱのかけらしかないけれど、「水の蘇州の花散る春」をイメージできる空間・・・。

滄浪亭あたりの雰囲気、とても気に入りました。クルマも入ってこなくて、水と橋が泰然と横たわる。

落ちついたところで、今度こそ、貸自転車屋! ちょっと歩いたら、すぐあった。自転車って、自行車(車は簡易体)って書くのね。お店のおじさんは、いろいろ自転車を並べて見せた。齢20年と想像されるママチャリはパスして、(気持ち)モトクロス系のを選んだ。レンタル料金は、夕方5時までで、10元。

「200元が必要だ」。
「10元でしょ?」。
「いや、それはレンタル料金で・・・」。
たぶん、お店のおじさんは、そう説明したんだと思う。つまり、保証金がいるっていうこと。
「じゃ、念のため、領収書を書いてよ」。

わたしの主張はちゃーんと伝わり、おじさんは神妙な顔をして、一筆、したため始めた。真顔で、せっせと書き続け「作品」は仕上がった。見事な達筆(もちろん縦書き)で、一面、漢字で埋め尽されている。高校の漢文の授業を思い出した。何をそんなに書くことがあるのかわからなかったが、レンタル料金10元、保証金200元ということは、確認した(この領収書、自転車を返したとき、保証金と引き換えに渡しちゃったのは、惜しかった。コピーをとっておきたかったな、旅の思い出に)。

タイヤに空気を入れてもらって、お店のおじさんと、若い衆が見守るなか、いざ、出発! が、何百メートルか走ったところで、経験したことのない違和感があった。「ん?」。しばらく走ると、いきなり、ペダルがはずれた。

自転車を押しつつ、ペダルを手に持って、グルグル回しながらお店に戻ると、おじさんは「なんてこった!」と言いながらあたふたし、若い衆に、ペダルを装着し、渾身の力をこめてボルトを締め上げるよう指示した。気を抜かずにどれだけしっかり締めるか、じっと見つめた。出発してすぐハズれたからいいようなもんだけど、何キロか走ってからじゃ、面倒くさいことになるもんね。

自転車は基本的に車道を走る。大きい道には、自転車+バイク専用レーンがある。自転車はバイク的な扱いで、クルマと同じように右折し、左折する。右側通行なので、左折がちょっとむずかしい。まずは、ちょっと遠くにある、寒山寺をめざした。石路という繁華街を抜け、庶民的なエリアに入る。更に走ると、瓦礫が散らばる更地があった。ここでも、ふるいものをこわしていく。

もっと走ると、別の庭園があった。留園か、西園か、どっちか忘れたけど、観光客向けのお店が並んでいたので、「写ルン」を買うことにした。さっき、石路のデパートのカメラ売場で、尋ねてみたけど、なかったんだよね。使い捨てカメラを買うのは、やっぱ、観光客でしょう。

1軒目のお店のショーウィンドウには、しっかり「写ルン」が飾られていた。「これ!」と指差すと、おばちゃんはその箱を取り出した。が、箱だけで、中は空っぽ。

「じゃ、これはどう?」。
おばちゃんは、隣りにある「写ルンもどき」を取り出す。その名も、「真の彩」。あやしい。
「これ、安いよ」。
いくらだったか忘れたけど、「写ルン」の半値以下だったと思う。でも、これじゃ、日本で現像できない可能性大。

「あたしが欲しいのは、『写ルン』なの!」。
力んで主張すると、わたしの目の前で、おばちゃんったら、目にも止まらぬ速さで、「真の彩」を「写ルン」の空箱に突っ込み、自信たっぷりに、臆面もなく、(鼻の穴までちょっと広げて)差し出した。

「これでどうだ!!!」。

あまりに堂々としているので、思わず受け取りそうになったが、それじゃ、吉本新喜劇。もう一度、「あたしが欲しいのは、『写ルン』!」と主張して、別の店に移動した。

が、何軒まわっても、あるのは「真の彩」ばかり。あきらめかけたときに、後ろから声がした。振り返ると、1軒目のおばちゃんが、緑の小箱を大きくかざしながら、走ってくる。

「ほーら、あんたが欲しかったのは、これだろう」。
手に取ってみると、重かった。ちゃーんと中味が入った写ルンだった。

前科があるので?念のために中を確認し、10元くらい値切って、見事、写ルンを手に入れたのでした。写ルンひとつ買うにも、これだけ紆余曲折?がある。ムカつくのを超えて脱力、おばちゃんのエネルギーに脱帽!

『蘇州夜曲』にも登場する寒山寺。歌詞の通り、鐘が鳴っていた。っていうか、鳴り続けていた。鳴らし過ぎじゃない?って思うくらい。で、観光客で溢れ返っていて、風情のカケラもなかった。一通り見て、失礼することにしよう。足早に構内を歩くわたしを、坊主が呼び止めた。一瞬、息を呑むくらい、キレイな顔をした若い僧侶。「寄付をお願いしているんです」と言う。

自称信心深いと思っているわたしは、宗教を問わず、土地土地の神様にはお賽銭をあげることにしている。「寄付」と「お賽銭」、その違いを考えることもなく、彼が差し出すノートに、筆ペンで、自分の名前を大きく漢字で記帳。その様子をじっと見つめる美形坊主。しかし、寄付する金額を書き込むと、彼の顔がさっと曇った。そして、ぼそっと言った。

「それじゃ、少ない」。

いいじゃない、寄付なんて気持ちの問題なんだから!

「他の人は、ほら、こんなにたくさん寄付している」と、またぼそっと言う。

いくらだったか忘れたけど、たいした金額じゃないのね。日本円で500円とか、そのくらい。でも、わたしはまた意地になった。甘えた声で、「ドネーション、ドネーション」って繰り返しているだけで、ゴハンが食べられるなんて、そもそも甘い。お金稼ぐのって、たいへんなんだから!!!

きっぱり断って、その場を離れたけど、あのノートは取り返したかった。大きな字で堂々と書いちゃったわたしの名前。

寒山寺の塔に上ると、倉敷のような白壁の家が集まる一角が見えた。気を取り直して、見に行ってみよう。お寺を出て、その方向に自転車を走らせると、セキュリティのおにいさんが警官のように立っているゲートに出た。ここって、塀にしっかり守られた高級住宅地? でも、せっかく来たので、セキュリティのおにいさんに、「中に入れるの?」と尋ねてみたが、言葉が通じず、「ま、とにかく、あそこの事務所に行きなさい」と背中を押されるように、敷地に入った。

そこは、住宅展示場の案内事務所のようなところだった。住宅の模型が飾られ、若い女のコ2人が笑顔で迎えた。

「これがAタイプ。ちょっと大きいのがこのBタイプ・・・」。
どう見ても邸宅を買うとは思えない風情、迷い込んだ外国人のわたしを煙たがることもなく、女のコは模型を指差しながら、親切に英語で説明してくれた。

「大晦日には、夜中の12時から、寒山寺でパーティをするのよ」。
踊って、騒いで、飲んで、食べて・・・というようなことを言っていたので、いわゆるカウントダウン・パーティなんだろう。「輪タク」のおにいさんや、「写ルン」おばちゃんとの攻防、観光客で溢れ返る寒山寺、ドネーション坊主、高級住宅地の案内所、カウントダウン・パーティ・・・。長いこと憧れ続け、辿り着いた蘇州は、わたしがイメージしていたロマンチックな横顔を、なかなか見せてくれない。旅の醍醐味は、予想外の展開だもんね。自分に言い聞かせながら、高級住宅地のゲートを出て、自転車に乗った。

街の中心に戻りながら、実は寒山寺はけっこう遠くにあったことに気付いた。よくよく地図を見ると、自転車を借りた十全街から、(大雑把に)10kmくらいの距離がある。冬の午後の斜めの陽射しに包まれた蘇州の街を、せっせとペダルを踏んで、自転車を走らせた。このころには、もう、今の蘇州に自分のイメージを見つけることを、半分以上諦めていた。確かに水路はたくさんあるし、川辺には柳が揺れている。でも、柳がすすり泣くとしたら、春を惜しむんじゃなくて、排気ガスがすごくて息苦しいんじゃないかって、とても現実的に考えてしまうわたしがいた。

城壁が保存され、水門や城門、運河があるという「盤門」という公園に行ってみた。現実から隔離されたような穏やかな昔ながらの風景・・・。

自転車を借りた十全街に戻ったころ、蘇州は暮れなずんだ。そして、街は、暮色に染まって、別の顔を見せはじめたのだ。日中折衷の家々が並ぶ十全街の裏、細い水路に沿って続く路地の竹林が、魔術をかける。真っ赤なチャイナドレスを身に纏った李香蘭と真っ白なスーツの長谷川一夫、追っ手に追われて逃げ込むのなら、こんなところ? モノクロの映画に色がつく。隠れ家的な旅館、逢瀬、密会、抱擁、接吻・・・。水路をのんびりと小舟がゆく。その小舟にふたりが並んで座っている、凛として。どこからともなく流れてくる『蘇州夜曲』のメロディ・・・?

いつか、できれば花散る春を惜しむ晩春に、蘇州に来よう。そのときは泊まって、朝と夕方、淡い光と闇がゆっくり入れ替わってゆくのをみる。宿泊は、十全街の近く、南林飯店がいいかな。「輪タク」と、自転車と徒歩で、『蘇州夜曲』の名残りをさがす。壊されてしまわないうちに。


『蘇州夜曲』は、戸川純、霧島昇+渡辺はま子、李香蘭、それぞれのバージョンが、アマゾン、タワーレコード、HMVなど各サイトで購入できるようです。この機会に、一聴してみてはいかが? 歌い継がれる価値ある昭和の名曲です。後藤真希ちゃんも『サン・トワ・マミー』をカバーしたことだし、ハロー・プロジェクトの誰かがこの曲を今風にアレンジして、21世紀に蘇らせる!なーんてどう???

Updated ! 06/30/2003
後藤真希ちゃんは(今のところ?)カバーしていませんが、歌う心臓内科医 アン・サリーがこの曲を21世紀に蘇らせてくれました! 浮遊感もあってね、超おすすめ、必聴!です。


2003年1月現在、1元は、約14.5円です。

 


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