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05/21/2001


ガイアナでございます
その3 エセキボ川 大河クルーズ


「今、我々が通っているのは、世界で一番長い浮き橋なのだ」。(*注1)
ガイドくんは、気持ち胸を張りながら、言った。彼によると、この浮き橋(フローティング・ブリッジ)は、イギリスなどの外資によって、1970年に完成したそうだ。水の量によって、自由に高さを変えることができるという。

橋がかかっているのは、デメララ川。ま、東京でいえば、隅田川みたいなもんかしらね。首都ジョージタウンの郊外を流れる、大きな川。隅田川と違うのは、水の色。デメララ川の水は、赤茶けていて、ジャングルの予感がした。「デタラメ」と語感が似てる(オヤジ?)この川の名前は、アメリインディアンの言葉で、「流れる水」っていう意味なんだって。鉄板を連ねて作られた浮き橋を走った感覚は、地下鉄工事中の道が、延々続いている感じ。

町の中心からちょっとクルマで走ると、田園風景がひろがる。牛がのんびりと道を横断するのを待ったりした。牛飼いの少年が赤い旗を振ると、クルマはピタリと止まるのね。堤防も見た。ジョージタウンは、海抜マイナス9フィートだから、この堤防が生命線なわけ。

1時間ほとして、ペリカという港町に着いた。ここでスピードボートに乗り換えて、エキセボ川をクルーズするのだ。エンジンはヤマハ、恐るべし! そうそう、ボートのエンジンだけじゃなくて、ガイアナで見かけたクルマは、ほっとんど日本車でした。わたしたち日本人は、ガイアナのこと知らないけど、ガイアナじゃ日本は知名度高いの。

ヤマハのボートは、本当に速かった。っていうか、のんびりムードなこの国で、いきなり日本のリズムに引き戻されたような、スピード感があった。帽子は深くかぶらないと、飛ばされちゃう。

川の水は、土と白い絵の具を混ぜ合わせたような、透明度のまったくない赤茶色。岸には延々と、深く厚いジャングルが生い茂る。ガイアナは鉱業資源が豊富で、ボーキサイト、金などが主な輸出品になっている。ダイヤモンドもたくさん埋まっているらしい。でも、まだまだ開発が進んでいないから、今の時代になっても、ジャングルの奥に何があるのか、誰も知らない。誰か、ダイヤモンド、掘りに行ってみる? 一山当てて、大金持ちになったひとの家、ジョージタウンで見たけど、豪華絢爛だったよ。

文明の利器、ヤマハのエンジンがついたボートで走っていても、ジャングル見てると、ドキドキする。なのに、400年も前、オランダ人たちは、この地を開拓するため踏みこんだ・・・。ジャングルに来るたび思うのは、人間の開拓者精神と、征服欲って、想像を絶するものがあるってこと。ぼーっと生きてると、衰えちゃうけど。

オランダ領だったころに刑務所があった島とか、オランダ時代の、門の遺跡がある島を見ながら、ボートは突っ走り、シャンク・ランドというコロニアルな家に着く。こんなジャングルのなかに、優雅な白塗りのコロニアル・ハウスがある不思議。時空、ねじれちゃってるみたい。

日常的な空間に戻ると腹が減る。朝食付きなんて知らなかったので、喜びもひとしお。サンドイッチを4つもいただきました。

ゴハンが終わると、ボートはまたまた1時間ほどカッ飛ばし、今度は別の島に到着。ジャングルの中を15分ほど歩くと、滝出現。水の色は、澄んだ薄い赤。葉っぱの養分から来ているんだそうだ。水はスプリング・ウォーター。光が差し込むと、水のなかの何かに反射して、紅葉のような真っ赤な色に輝く。神秘。そういえば、この水と同じような色をベネズエラのカナイマで見ました。

またまたボートはカッ飛ばし、バルティカという港町に着いた。ダイヤモンドや鉱物を発掘しに内部に入るための、拠点となる町。船着場の隣りには、このあたりじゃ洒落系なシーサイド・レストランがある。でも、強い日差しといっしょに、町のメインストリートを歩くと、裏腹な倦怠感が漂ってる。安ホテル、鮮やかな色のジュースを売る雑貨屋、決して急ぐことのない人々、ローカルな食堂、そして裏通りの質素な民家・・・。「さびれた港町」っていう印象だけで済ましたくないのは、この町に過去の栄華と欲望の残り香があるから? それとも・・・。

ところで、今日のツアーは、ガイアナ人御一行様(6人)といっしょ。このころからだんだん打ち解けてきて、いろいろ話をした。彼らは、姉妹だったり、親友だったり、親子だったりの仲良しグループ。住んでるところはバラバラで、ニューヨーク、ロンドン、そしてガイアナ・・・。インターナショナルなのね。ときどき故郷に戻ってきて、みんなで会うんだそうだ。

若き日のジョイナーを豊満にした系の女のコがいて、彼女はとても準備がいい。虫よけ、液体ハンドソープ、トイレットペーパーなどを次々と差し出す。そのタイミングがすばらしい。ニューヨークに17年住んでいるという彼女は、日本にも来たことがあるんだって。東京、京都、奈良、広島を10日間でまわったとか。元気、明るい、活発な感じいいコ。

再び、コロニアル・ハウスに戻り、ここでお昼となる。このツアーのすごかったところは、食べ放題、ソフトドリンク無料のみならず、アルコールまで飲み放題。それも、ラム、ビールだけじゃなくて、なぜかウォッカまで! しかも、朝食と昼食の間には、10時のおやつ?として、ローティ(*注2)まで振舞ってくれた。

お昼のブッフェはゴージャスで、エビ、チキン、フルーツ、ゴハン、野菜などなどが、ドドドッとテーブルを埋め尽くした(ちょっとおおげさ)。おいしかった〜。特にエビ! このところ、チキン攻め状態だったので、効きました。

ゴハンの後は、コロニアル・ハウスで究極のお昼寝。おおげさじゃなくて、人生最高の午睡でした。「特技=昼寝」なわたしは、会社、公園、よそのお宅、電車の中、アウトドア、インドア、国内、海外問わず、どこでも寝れる。いろんなところで寝たけど、こんなに気持ちよかったのは初めて。

真っ白なコロニアル・ハウスは、華美でなく、しかしキッチリと手入れされている。硬過ぎず、柔らか過ぎないベッドマット。感触いいシーツ、居心地いいバスルーム・・・。ジャングルを流れる赤茶色の川べりにいるような気がしない。イギリスでもなく、カリブでもなく、世界のどこにいるのかわからないような、エトランジェ的感覚に、また包まれた。イメージは、小泉八雲の世界ね。19世紀後半、彼が西インド諸島を旅したころ。宗主国が新世界に「自分の国ライク」な場所を作り上げても、土地の精霊と、アフリカやインドなどから連れてこられた奴隷たちの秘められた物語が語り継がれ、クレオールという文化がいきづいていたころ・・・。

な〜んてとりとめのないことを考えてたら、タイムトリップした・・・んじゃなくて、爆睡した。

「たいへん!」と目が覚めたのが、1時間後。慌ててベッドルームを出て、テラスに行くと、インターナショナルなガイアナ人御一行様も、み〜んな寝てた。で、わたしもまた寝た。

「そろそろ出発よ」と、ニューヨーク在住で、日本にも来たことがある元気な彼女が、起こしにきたときも、まだ夢のなかだった。「み〜んな寝てるわ」。つぶやきながら、彼女がテラスの階段を降りていったころ、だんだん現実に戻っていった。

シャンクハウスという、このコロニアル・ハウスは、1泊150USドルだそうです。お昼寝は、ツアー料金に含まれてました。ツアーの午後の部が、昼寝っていいでしょ、ぜいたくで・・・。



関連リンク 
エキセボ川の写真 
ジョージタウンの大金持ちや、バルティカの家の写真
 
ベネズエラ ギアナ高地の写真


注1 これがホントに世界一長い浮き端なのか、(文献等)ウラは取れてません。

注2 ローティ〜トリニダード・トバゴやガイアナの名物、インド系の食べ物。とうもろこしで出来た薄い生地の上に、レンティル(レンズマメ)を砕いて粉状にしたものをしきつめ、その上にもう1枚生地を敷く。その上にチキン、野菜、ビーフ、シュリンプなどの具を置き、風呂敷状態で包み込む。うまい! が、デカい。わたしでさえ、ミニを頼まないと、食べきれなかった。

 


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