ホーム2001年ラテンな旅インデックス トリニダード

06/04/2001


カーニバル 1 序章

トリニダードに初めて行ったのは、1994年のこと。雑誌で見たカーニバルの写真が鮮烈で、このカーニバルを生で見たら、人生変わるんじゃないか・・・って、ただそれだけの理由で、行くことにした。当時はインターネットもなかったし、情報がまったく集まらない。マイアミに住んでいたともだちに、チケット、ホテルなどすべてアレンジしてもらい、いざ出陣! しかし、到着してみると、カーニバル前で治安は乱れてるし、当時は、現地にともだちもいなかったし、正直、こわかった。単純な動機で、こんなところまで来ちゃったことに、ちょっと後悔もした。

街を歩いていると、見知らぬ男のコが声をかけてきた。ジャンキーっぽい、まだ10代?って思うくらい若い彼は、いきなり恐怖のツボを、クイッと押した。
「新聞を読んだかい? 殺人、レイプ、強盗、ここじゃ、いろんなことが起こってるんだ。気をつけたほうがいいよ」。
「ボクはベネズエラ人だけど、今はこの町に住んでいるんだ。ほら、XXXっていう大きな建物があるだろ? あそこに部屋があるんだ」。言うだけ言って、彼は姿を消した。

後に、この建物はすでに閉鎖されていたことが、発覚する。だれかに勧められた。「念のため、日本大使館に電話して、『わたしはここにいるんです』って、言っておいたほうがいいんじゃない? 万が一、あなたにもしものことが起こっても、だれもあなたのことを知らないんだから・・・」。

大使館に電話すると、上品な日本人女性が電話に出て、親切に対応してくれた。事情を話し、帰りの飛行機の便名を伝えると、彼女は、カーニバルを見に来ている日本人観光客の連絡先を教えてくれた。

「いっしょに行動なさるといいわ。それにしても、おひとりでここまでいらっしゃるなんて、近ごろの若い方は、勇気がおありになるのね」。

そう言って、彼女は高らかに笑った。

結局、何事もなく、トリニダードを後にすることができた。日本大使館の彼女、彼女が紹介してくれた日本人のカップル、やさしかったタクシードライバー、ホテルのおにいさん、いろんな人たちのおかげで・・・。去るときは、安心感と惜別の念が混じりあった、複雑な心境だったっけ。振り返ってみると、ひとりで冒険?するようになったのは、このときが最初。トリニダードには、特別な思い入れが残った。

時は流れ、1999年の冬。わたしはベネズエラにいた。ロス・ロケスという島に行くツアーの出発が大幅に遅れ、航空会社の担当者と参加者は、骨肉バトルを繰り広げた。数時間にも及んだ交渉中に、参加者は結託し、家族のように仲良くなった。そのうちのひとりが、ベネズエラ人のホセフィーナというおばさん。ハナシを聞くと、彼女の娘は、結婚してトリニダードに住んでいるという。トリニダード・・・。

5年の間に世の中はグーンと進歩し、わたしたちは、インターネットという文明の利器を手に入れた。ホセフィーナとメール交換するうちに、いつのまにか彼女の娘からも、メールが来るようになったの。

前置きが長くなったけど、彼女こそが、今回のカーニバルに招待してくれたソフィア! 実は前にも1回誘われたけど、諸事情あって、行けなかったのね。それでもフェードアウトすることなく、彼女とのメール交換は続き、2000年の夏、彼女は再び誘ってくれた。そして、決意したの。来年はカーニバルに参加するぞ!って。なんか、「運命」感じちゃったのね。最近、なんでも「運命」で片付けてるような気もするけど・・・。

カーニバルの衣装の申し込みは、前年の夏に始まる。いまどきは、ネットで全部できちゃう。彼女が参加する "Harts" というカーニバル・チームのサイトに行くと、衣装が見れて、セレクトできて、購入はクレジットカードでOK!

ド派手なカーニバルの衣装を、日本で、毎日、毎日、ネットで見てると、日に日に "Sold Out" の文字が増えていく。こりゃ、ホントに早く買わなきゃ、売り切れちゃう。クレジットカードの番号を入力するのは、ちょいと勇気が必要だったけど、(一応、セキュリティかかってたし)清水状態で、エイッとばかりに入れた。請求は、ビックリするほど早く届き、早業で引き落とされたけど、金額は合ってたし、不正なことも、何もなかった。

トリニダードの入国には、ビザがいる。つまり、日本でビザを取るためには、あらかじめ予約した航空券が必要なの。とりあえず、ベネズエラまで行って、カラカスでトリニダードのビザを取ることも考えたけど(そのほうがカンタンに取れるらしい)、衣装まで買って、万が一!不測の事態が起こると困るので、航空券はすべて日本で買った。日本にトリニダード・トバゴの大使館はないので、英国大使館がビザ発給を代行している。ビザ取得のために必要な書類等は、これまたインターネットで確認した。英国大使館のサイト上では、トリニダードの情報が見当たらなかったので、メールしたら、丁寧に教えてくれました。

日本からトリニダードに行く一般的な方法は、マイアミ経由。マイアミからBWIAっていうトリニダードの航空会社の便が、たくさん出てるのね。でも、この方法だと、マイアミとトリニダードの往復になっちゃう。ソフィアのお母さん(ホセフィーナ)がいるベネズエラにも行きたいし、メル友がいるメキシコにも寄りたい。欲張りなわたしにピッタリの航空会社はないかと、ネットをさまよってたら、ありました。LACSAっていう、コスタ・リカのエアライン。ロス・アンジェルスと、カラカスをメキシコ経由で結んでた。BWIAは、カラカス−トリニダード間も飛んでいるので、これでバッチリ。あとは、出発を待つだけ。

ソフィアは、トリニダードの空港まで迎えに来てくれるという。カーニバルで混雑する時期とはいっても、小さい空港だし(注1)、こんなところにひとりで来る東洋人の女は他にいないだろうから、すぐにわかるでしょ。

トリニダードの入国審査はキビシイという情報も見かけたけど、わたしの担当の人はやさしかった。記入し忘れちゃったところを書き加えてくれたりしてね。意気揚揚と空港の待合室に出た。が、ソフィアはいない。じゃ、一服しようかな、と空港の外に出ると、向こうから女性が近づいてきた。ソフィアだった。

関連リンク カーニバルの写真 パラダイスなロス・ロケス諸島



注1 トリニダードの空港(首都ポート・オブ・スペインにあるピアルコ国際空港)は、新しくなりました。ソフィアによると、06/03/2001に開港したそうです。

 


Copy Right (C) Emico Meguro All Rights Reserved.