ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
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クラブ・トロピカーナ |
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ホテルのロビーは、これから夜遊びに行く人々で賑わっている。朝ならまだしも、夜にひとりで迎えを待つのはけっこう孤独である。ひとりで旅行するのは自由でいいけど、こんなときはちょっと淋しい。誰か話し相手になってくれそうな人はいないかしら。 まわりを見渡すとちょっと不思議なファミリーをみつけた。65歳前後と思われる老婦人、エリザベス・テイラーに似た45歳前後と思われる美しい女性、そしてちょっとオタッキーなタイプの年齢不詳の男性。3人並んで座っているのだが、固まったままで動きがない。女性ふたりの目はやや釣り上がっている。 どういう関係なのだろう。おばあさんと娘と孫か? それにしては孫が老けているような気がする。髪が少し薄くなりかけているし…。でも若くして出産したのかもしれない。それにしても彼はいくつくらいだろう。20代かもしれないし、40代にも見える。繊細で、頼りなげ、ちょっとマザコンぽいのは、母のエリザベスが大木系の女性だからか? しかしふたりの顔立ちはまったく似ていない。老婦人とエリザベスはよく似ているが…。 またしてもわたしのアタマのなかは「?」で埋まった。 いずれにしても、これからサルサを踊りにいくとは考えにくいメンバー構成である。そうだ、きっと彼らもクラブ・トロピカーナ・ツアーの迎えを待っているのだ。 「あの、あなたたちもトロピカーナに行くのですか?」 ちょっと話しかけてみた。 「ええ、そうよ。あなたも?」 エリザベス・テイラーが応じた。 「そうなんです。でも迎えが来なくて…」 「そうなの、いつも遅れるんだから。ねえ?」 彼女が同意を求めると、連れのふたりが大きく頷いた。 コロンビア人だという彼らは身なりもよく、かなりの上流階級に属していると思われる。いきなり関係を聞くわけにもいかないので、しばらく世間話をしながら探っていたら、迎えが来てしまった。 送迎用のミニバスは、クラブ・トロピカーナに向かって暗い夜道を走っていく。節電のため、街灯はほとんど消えているし、住宅の門灯なども消えている。 ガソリンスタンドも真っ暗だったので営業していないのかと思ったら、給油をしているクルマがいた。電気がついていない=閉店ではないのだ。目を凝らすと、飲み物を持った若い男のコたちが、たむろっているのが見えた。 そう思ってよく見ると、暗がりのなかにはけっこう人がいる。椅子を並べて楽しそうにお喋りしていたり、踊っているグループもいる。 「キューバ人から踊りとラムを奪ったら、暴動が起きるだろう」と言われているそうだ。生活はきついが、ささやかな楽しみをみつけて楽しんでいるのだろう。彼らなりのやり方で…。それはモノの充足とは別のところにある楽しみだ。 むかしは東京の夜も灯りが乏しかった。エアコンはなく、家のなかは暑いので、夜になると外へ出て「夕涼み」をしたものだが、もう「夕涼み」なんて言葉もすっかり死語になってしまった。エアコンが効いた部屋のなかにいれば、夕涼みする必要もない。わたしたちの感情から情緒が抜け落ちていき、文明に飼い慣らされつつあるのかもしれない。 エントランスはゴージャスで近代的。チケットは韓国製「DAEWOO」のコンピュータで管理されている。パーティ用衣装で着飾った人々が溢れていて、まるでグラミー賞の授賞式のような感じ(ちょっとおおげさだけど)。 このクラブ・トロピカーナは1500人以上が収容できるという「野外キャバレー」。1950年代にはフランク・シナトラや、ナット・キング・コールなどそうそうたるメンバーが出演していたそうだ。 むかしのマリリン・モンローの映画、『お熱いのがお好き』にでてくるようなノスタルジックな雰囲気。メインの大ステージには、「1939−1996」と大きく書いてあったので、できたのは1939年ということでしょう。ネオンに彩られた巨大なお立ち台など舞台装置はなかなかのもの。ちょっと離れたところには、ちゃんとオーケストラ・ボックスがある。 「このステージはいつから使っているのかしら?」 隣りに座っていたエリザベス・テイラー似の女性が言った。ホテルのロビーでいっしょに迎えを待っていたファミリーとは、ずっといっしょに行動していた。まだ彼らの関係は明らかになっていないが…。 「1939年にできてから、少しは手を加えたりしてるかもしれないけど…。でもいずれにしても革命前の設備だと思う」 わたしが答えると、彼女は深く頷く。 よく見なくても、設備はかなり老朽化していた。演出用の階段やお立ち台などは、ジャンプしたら壊れそうだ。暗いなかでもはっきりと老朽化がわかるのだから、明るいところで見たら…。いかにステージに負担をかけずに、ダイナミックなショーを繰り広げるか、出演者たちは熟知しているのだろう。 そう、やはりむかしのアメリカのギャング映画の雰囲気なのだ。主人公の殺し屋の情婦は踊り子、彼女が働いているキャバレーをカリブ海に持ってきて、野外に開放したような不思議な空間。 そこに欧米系の白人を中心とした観光客がいるわ、いるわ、超満員状態である。 ショーの始まりと終わりに登場する司会者は、どこか玉置宏っぽい(もっと痩せているけれど)懐かしい芸風である。スペイン語なまりの英語で、「さあ、ショーの始まり、始まり」とか、「これで今日のショーはおしまいです。みなさん、またいつの日にかお会いしましょう!」なんてことを言う。 そんな彼の言い回しは、キューバがアメリカの植民地状態だった1950年代を彷彿とさせる。世界に名を馳せたクラブ・トロピカーナは観光客が求めるイメージ通りではあるけれど、キューバにとっては負の文化遺産なのではないだろうか? 司会の言い回しのほんの微妙なニュアンスにまでこんなことを感じてしまうのは、過敏になり過ぎているのだろうか? しかし観光客からドルを獲得しようとする政策は、すべてに優先されているようだ。たとえ本来の政策と相反したものであっても…。まあ、背に腹は代えられないということだろう。そしてそんなところが「熱帯の共産主義」といわれるお気楽さなのだろう。いい意味でどんぶりだし、ものごとにこだわらないのだ。 ショーは時間通りに始まった。セリア・クルースのような存在感のある低音女性歌手が歌うマンボにボレロ、きらびやかな衣装に身を包んだダンサーたちの激しい腰の動き、アフリカを強く感じさせる打楽器の激しいリズムに乗せて繰り広げられる寸劇など、50人以上のメンバーが老朽化した設備をフルに使い、大迫力のスペクタクルを展開する。 ショーとしてのまとまり、質の高さも言うことなし、あっと言う間に1時間半が過ぎた。 またしてもキューバの底力を見せつけられてしまった。食糧危機のど真ん中にあって、あのパワーはいったいどこから来るのだろう。 「ちょっと待ってね、もうすぐ夫が名刺を持って来るから」 エリザベスが言った。 夫? 親子じゃなくて夫婦なの? 思いがけずに彼らの関係が明らかになったが、ずっと気になっていたことなどおくびにもださず、わたしはスマイルで返答し、ついでに訪ねてみた。 「そうするともうひとりの女性は、あなたのお母様?」 「ええ。夫と母と旅行しているの」 こっちのほうは予想が的中。 そのうち彼が戻ってきて、差し出された名刺を見て二度ビックリ。繊細、オタッキーでマザコンぽい彼は医者だったのだ。今度は驚きを隠せなかったので、「まあ、なんてすばらしい職業なのかしら!!!」とごまかしながら感嘆してみた。 まあ、ある種の紙一重なのかもしれないし、彼は一般社会の営業マンタイプとは10光年くらい離れたところにいる学者肌の人間のようにも見える。 夫婦関係においては完全にエリザベスに主導権を握られていると見たが、彼女は南米の上流階級独特の雰囲気を持っていた。ヨーロッパ的な香りがありながら、ちょっと亜流で、それでいて気品があり、どこか野生的で大陸的。不思議な魅力を持ったエリザベスは別れ際に言った。 「今度、コロンビアにも遊びに来てね!」 よし、行こう! でもそのときまで、わたしのこと覚えててくれるかしら? ラテンの人たちって刹那で生きてるから、その場限りなんだよね。 旅行した時期は1996年10月〜11月です。 |
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