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パンツを洗ってもらっちゃった!


ホテルの11階のエレベータ・ホールは妙に広い。その空間にベンチが置かれている。エレベータと窓の間にも、使途不明の空きスペースがある。

ベルリンの壁が崩れてすぐの1991年に訪れた東欧諸国の建物にも、よくこんながらんどうがあった。サービス精神には欠けるが、こんな無意味な空きスペースは、都会で空き地をみつけたときのように、ホッとさせてくれることもある。

さて、このベンチ、あまりに広すぎるエレベータ・ホールを埋めるために置いてあるのかと思ったら、ちゃんと役割があった。

このホテルにはヨーロッパでよく見かける著名なメーカー製のエレベータが4台も備え付けられているのに、なかなか来ない。座って待つほうが得策なのだ。なるほど…。

やっと来たエレベータに乗り込むと、イタリア人らしきオヤジと若い女のコのカップルの先客がいた。

オヤジは若い女のコを連れてるくせに、わたしのカラダをジロジロと見る。

外国をひとりで旅行していると、嫌になるほど視線が集まる。わたしが美しい…からではなくて、ひとりでいる東洋人の女性が珍しいのだろう。あるとき、いつものようにレストランにひとりで入ったら、入口付近で食事をしていた家族連れ5人グループの10個の目がわたしに釘付けになったこともあった。

それにしても、今回の舐めるような視線には遠慮のカケラも感じられない。「ほんとにオヤジってのは、まったく…」と思っていたら、オヤジは連れの若い女のコにこう言った。

「彼女、鍛えられたいいカラダをしてるな」

あら、誉めてくれるのね、ありがとう! ムカついたのも一転、「ヘッヘッヘッ…」と声を出して笑ってしまった。まあ、自分の連れにハッキリ言っちゃうところが、サバけているというか、正直というか、考えなしというか…。

連れの女のコは冷たくもなく、かといって笑顔を見せるわけでもなく頷くだけ。きっと毎度のことなのだろう。彼女はわたしなんかより、遥かにスタイルがいい。実はわたしの腹はゆるんでいる。うまく隠しているのでわからないだけ。

オヤジは自分の腹に手を当てた。まさか、わたしの腹の肉に気がついたのか…。

するとオヤジは自分の腹の肉をつまんで、言った。

「これ、ほしい?」

ほっと安心…。オヤジの腹の肉は、もちろん遠慮させていただいた。

これがエレベータで11階から1階に降りるまでの、ほんの30秒ほどの間のできごとである。こんな短い時間で、さりげないショート・ショートをつくっちゃうんだから、人生の楽しみ方を知っている人なんだなあ…と感心した(ちょっとH過ぎる目つきではあったけど…)。

1階のエレベータ・ホールでは、天使の衣装を着た女のコがローラースケートをはいて、あたりを滑っていた。これって一種のエンターテインメントなのかしら? ささやかな楽しみがいっぱいのホテル・ライフ。


このホテルではチェックイン時に、名前が書き込まれた「ブッフェ・カード」のようなものを渡される。ブッフェを食べるときには、レストランの入口でこのカードを見せ、2度食べたりしないようにチェックを受けるのだ。

レストランの従業員は総じて愛想がない。「この世の中に飲み物の注文を取るほど嫌なことはない」といった顔でやってくるウェイター。お皿を下げるのだけは、驚異的に速い。「まだよ」の合図としてフォークとナイフを「八の字」にするだけではなく、持っていたメモまで置いてお代わりを取りにいった。しかし席に戻ると、やはり、すべて下げられていた。

「ここに置いといたメモは?」

とウェイトレスに尋ねると、「へへへ…」と笑ってごまかしながら、ゴミ箱から取り出した。

食事時にはミネラル・ウォータを飲む。しかしキューバ産の「CIEGO MONTERO」というこのミネラル・ウォータ、ものすごく栓が固い。

わたしが自慢できることといえば、「ちから」。他にはないも同然なのに、このミネラル・ウォータの栓が開かない。わたしが使ったあとの水道の蛇口をひねろうとしたら、開かずに苦しんだ同僚がいた…、そんな伝説を持つわたしの力を持ってしても、この栓は開かない。

非常に不本意だったが、ウェイターに頼んだ。彼は無表情に、クッとひねり開けた。ウェイトレスに頼んだときも、すんなり開けてしまった。女のコでもカンタンに開けるのだ。そのうち彼らはわたしの顔を覚えたのか、何も言わなくても開けてくれるようになった。

これは大きな課題である。わたしはボトルを部屋に持ち帰り練習を積んだ。力だけでは栓は開かないのも、また事実。必ずどこかにツボがあるのだ。

結局、自力で開けられるようになったが、サラッ開けるまでには至らなかった。キューバ人たちのあの力はどこから涌いてくるのだろう?

部屋に戻る途中で、ハウスキーバーのエステルと出会った。彼女とはすっかり顔なじみである。

このホテルに到着した翌日、部屋を出たときに彼女と出合い頭した。

「わたしが係のエステルよ。必要なものがあったら、何でも言ってね。よろしくね」。

実際にはスペイン語の敬語を用いて、すこぶる感じよく、彼女は言った。

翌日、感謝を込めて1ドル置いて外出し、部屋に戻ろうとすると、再びの出合い頭。

「本当にありがとう。とってもありがとう。わたし、明日はお休みなの。また明後日会いましょう!」

部屋に入ると大タオル、小タオルがスワンの形になっていて、ベッドカバーは「イッセイ・ミヤケ」のプリーツ・プリーズのようにデコレートされている。こういったサービスに慣れていないわたしは深く感動し、翌日また1ドルを置いて外出した。

部屋に戻ると、今度は大タオルがハートマークになっていた。こうなるとまるで「愛の交換」ではないか。しかも…、ベッドの上に置いてあったわたしのパンツまで洗ってくれていたのだ。バスルームのカーテンレールにわたしのパンツがちんまりとぶら下がっている。

けっこういろんなホテルに泊まったが、パンツを洗ってもらったのは、後にも先にもこの1回限りである。

そして3回目の出合い頭、せっかくなので記念撮影することにした。プラスお喋りタイム。

「このホテルはスペインの投資で建設したんだけど、けっこう手抜き工事してるのよね」とエステル。

そういえばバスルームの床は、水が洩れてフカフカしてた。

「じゃあ、このホテルの所有者は?」

「もちろんキューバ政府よ。ここは国営のホテルなの。株式会社も解禁にはなったけど、まだまだ限られているわ」

スペインは資本投下し、それなりに利益を得ているのだろう。

「このホテルができたのはいつ?」

「そうねえ、6〜7年くらい前かしら」

「けっこう新しいのね。もっと古いかと思った」

「だから手抜きなのよ」

彼女が部屋を出ていってしまうと、なんとなく不安になった。従業員に「手抜き」とキッパリ断言されるのは、あまり気持ちのいいものではない。しかもわたしはこわがりなのに、11階の部屋にいるのだ。火事があったら、地震が来たら…、不安は募る。念のため、非常階段をチェックすることにした。

ミネラル・ウォータの栓は開かなかったが、非常階段の手すりは、わたしがちょっと力を入れただけでハズれそうになった。

次はパラダイスな島、カヨ・ラルゴへ!

キューバの写真 

旅行した時期は1996年10月〜11月です。

 



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