ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
インデックス>マルティニーク |
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ファラ・フォーセットのようなアルゼンチン・マダム |
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フェリーに乗りこみ出発を待っていると、スペイン語が聞こえてきた。フランス語が話せないばかりに、マルティニークに到着して以来、会話らしい会話を交していないが、スペイン語ならOK! じっと聞き耳をたてるわたし…。 声の主はサングラスをかけた年齢不詳の女性である。虹のような派手な色使いの薄手のジャケットをはおり、ショートパンツをはいている。その下はやはり派手なビキニタイプの水着だ。 彼女は片足を陸に、片足をフェリーに置きながら、船の行き先をスペイン語で確認している。スペイン語のアクセントからするとアルゼンチン人か? 乗務員のおにいさんはスペイン語はまったくわからないようだが、彼女は頓着しない。強引なまでにスペイン語で喋り通し目的達成、フェリーに乗り込み、なぜかわたしの隣りに座った。 彼女はやはりアルゼンチン人。エレベータ付き豪華客船の「7日間カリブ海クルーズ」にひとりで参加しており、ここマルティニークが最終目的地だという。クルーズ船は午前中に入港し、夕方にはマイアミに向けて出発するので、これから最後の自由時間を楽しもうとしているところだという。「会話」が不足しているひとり旅同士、わたしたちは1日だけのパートナーになった。 いつだったかフランソワーズ・モレシャンさんが、インタビューで憤慨していた。日本語の「ババア」とか「おばさん」といった言葉には、年齢を重ね深みを増した女性に対する尊敬の念がまったく感じられない。重ねた年輪を一言で切り捨てるような「ババア」などという言葉は淘汰されるべきだと、そんな内容だったように思う。ごもっともである。ただ日本語では「おばさん」の言い換えはむずかしい。「中年女性」では距離感があるし、親しみがこもらない。とりいそぎここでは「マダム」という言葉に統一しようと思う。 しばらくして「アルゼンチン・マダム」はサングラスをはずした。それまでは20代だか50代だか見当もつかなかったが、目の下の年輪がくっきり見えて範囲はかなり狭まった。1970年代のアメリカのドラマ、「チャーリーズ・エンジェル」に出ていたファラ・フォーセットの20年後といったところか? スコールがあがり、太陽が顔を出すと彼女はスクッと立ち上がった。サングラスをかけ、バルバドスで買ってきたという極彩色のパレオを空中で一回転させてからサッと体に巻き付ける。そんな仕種がまた絵になるんだ、これが…。やはり彼女に「おばさん」という言葉は似つかわしくない。力強さを増した太陽の光がマダムの極彩色のパレオに反射してキラキラ輝いた。 ポワント・デュ・ブーの港はマリーナになっていて、真っ白なヨットが並んでいる。ノルマンディ地方の上品なリゾート地のヨット・ハーバーといったおしゃれな趣き。フォール・ド・フランスでは観光客をほとんど見かけなかったが、このあたりには観光客しかいない。 ハーバーには観光客向け短時間ツアーの出店がいくつか並んでいる。そのうちのひとつに「お魚観賞海中散歩」があった。パンフレットの表紙には、昔のSF小説に出てきたような小型近未来的潜水艦の写真が載っていた。パンフレットを開くと20種類ほどの魚たちがイラストで描かれている。潜水艦のボディカラーは黒と黄色、ちょっとビデオカメラに似ているが、洗練されたデザインだ。言葉が通じない国では写真やイラストで物事を判断することになる。しかし写真やイラストと現実はけっこうかけ離れているものなのだ。 アルゼンチン・マダムとわたしは100フラン(約2200円)を支払い、近未来的潜水艦をめざした。が、待っていったのはごく普通の白い小型船、プライベート・クルーザーのような感じ。あれ?と思ったが、とりあえず乗りこむ。 乗客はわたしたちのほかにイタリア人とフランス人のカップルが一組づつ。イタリアのカップルは歌うように、フランスのカップルは囁くように、それぞれ愛を囁きあっている。輝く太陽の下、アラン・ドロンの古い映画「太陽がいっぱい」に出てきそうなワンシーンである。 小型船は40分ほど突っ走り、ゆっくりと止まった。ここがお魚ポイントらしい。わたしたちはゾロゾロと船底に降りていく。 「魚は見えるか?」 アルゼンチン・マダムはスペイン語で繰り返す。わたしだけでなく、フランス人やイタリア人に対してもスペイン語が統一規格である。 確かに魚は見える。ただ種類が少ないのだ。数も少ない。しかも鮮やかな模様の魚が少ない。なんか地味な海底が広がっている。 「ハズレた」。 潜水艦がクルーザーに変わってしまったときから、イヤな予感はしていた。ツアーはハズレたが、勘は当たった。旅行は「当たり」と「ハズレ」の繰り返し。ホテル、レストラン、現地調達ツアー、タクシーなどなど、コスト・パフォーマンスがよいものもあれば、悪いものもある。 で、ハズれたときどうするか? 「怒っても脈拍数が上がるだけ」のことが多い。粘り強く交渉を進めれば返金してもらえることもあるが、潜水艦が小型船に変身したとか、海底の景色が地味だったでは論理性に欠ける。わたしは甲板に出て、「太陽がいっぱい」よろしく、ムキになって燦燦と降り注ぐお日様の光りを浴び続けた。 船を降りてから、アルゼンチン・マダムはブツブツと文句を言っていた。「パンフレットに描かれていた20種類の魚のうち、見えたのはひとつだけ」「あんなツアーで100フランなんてとんでもない」。同感である。わたしたちは気を取り直して、美しいビーチ探しに取り掛かった。 ポワント・デュ・ブーの港から歩いてすぐのところに、ふたつの高級ホテルが並んでいる。当然、プライベート・ビーチ付きだ。宿泊客のみ利用可能なのだろうが、高級ホテルはよっぽどヘンな行動を取らない限り、宿泊客か否かのチェックなんて下品なことはしない。わたしたちは堂々と白い砂に寝そべった。 「今、何時?」 アルゼンチン・マダムがわたしに尋ねる。時計は持っていたはずだが見当たらない。彼女はバタバタしているわたしにあっさりと見切りをつけ、隣りで寝転がっていた若いアメリカ人らしきカップルに再び時間を尋ねた。もちろんスペイン語で。男のコは呆然としていたままだったが、女のコは学校で習ったスペイン語を必死で思いだそうとしているようだ。 「えーっと、ドス…、ドス…、うーんと30分って何て言うんだっけ?」 今度はアメリカ人の女のコがバタバタしていると、アルゼンチン・マダムは若い女のコの腕時計を覗きこみ、「あっ、2時半ね。ありがとう」とスペイン語で言ってサッと立ち去った。呆気に取られて見送るアメリカ人カップル…。 自我を貫くアルゼンチン・マダムの強引さに、わたしはすっかり感心してしまった。と同時に、わからないなりに、それでも一生懸命、フランス語を理解しようとしている自分の前向きな姿勢が、とっても虚しくなってきた。 隣りに空いているビーチベッドがあったので、移動した。アルゼンチン・マダムはそんなわたしを見て、「なかなかしっかりしてるじゃない?」といった顔で微笑む。が、わたしは「うまくやるタイプ」ではなかったことを、すっかり忘れていた。太陽の光でわたしの脳ミソもすっかり溶けていたらしい。 「パードン、マダム」 うとうとしていたわたしの耳にフランス語が聞こえる。ぼーっとしたまま目を開けると、ホテルの従業員らしい若い女のコの顔がすぐ近くにある。それから彼女は英語で言った。 「ビーチベッドのチケットはお持ちですか?」 やはりわたしはうまくやれないタイプらしい。走って逃げるわけにもいかず、30フラン(約660円)を支払った。 アルゼンチン・マダムはいつのまにか姿を消していた。 (本文中は1フラン22円で換算) 旅行した時期は1996年10月〜11月です。 |
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