ホーム 60日間のラテンな旅行体験記 インデックスマルティニーク

ナタリーと梅干し


マルティニークは朝食もフランス式、クロワッサンとカフェ・オレが基本だ。わたしはエンゲル係数が高いので、おかずがない朝食なら少なくとも3個のパンを必要とする。

むかし(仕事で宿泊したホテルの朝食で)、クライアントの目の前で朝っぱらからクロワッサンを6個も平らげ、驚愕されたこともあった。以来、彼はわたしの顔を見ると山積みになったクロワッサンが目に浮かぶようになったという。

マルティニークの物価はさほど安くない。例えばコーヒー・スタンドでカフェ・オレとパンが3つで25フラン(約550円)、食堂でチャーハン+ビーフン+ミネラル・ウォーターで46フラン(約1000円)。ちょっとしゃれたレストランでランチしたら、チップを含めて80フラン(約1760円)だったこともある。ほぼ大都会並みといえるだろう。

その朝はコーヒー・スタンドのコーヒー・マシンが壊れていた。値段もパリ並みだが、お味もパリ並み。とてもおいしいカフェ・オレを楽しみにしていたのでちょっとガッカリしたが、オレンジ・ジュースを頼んだ。従業員たちはフランス語で「ぶじゅぶじゅ」言いながら、コーヒー・マシンを叩いたり、ふたを開けて内部を覗きこんだりしている。しばらくすると彼らは何か言いながら散った。どうやら直ったらしい。「直ったぜ!」などと歓声を上げることはしなかった。

「カフェ・オレいかが? ぶじゅぶじゅぶ」

気が付くと、セリア・クルース(キューバ出身の大御所女性サルサ・シンガー)のようなマダムがコーヒーを持って脇に立っている。

「いや、でもジュース飲んじゃったから…」と身振りで表現すると、彼女は鷹揚に笑いながら、また何か言っている。どうやらコーヒーをごちそうしてくれるらしい。「メルシー・ボク!」を連発、ありがたくおいしいカフェ・オレをいただいた。

その朝、マルシェ(市場)を見つけた。野菜市場の向かいに肉市場があり、少し離れたところに魚市場がある。

魚市場の前の路上では、1メートルほどの巨大なピンク色の魚を、魚と同じくらい巨大な腹をしたおじさんが「なた」を2本使って、海賊のように擦りあわせたりしながら、見事に力強くさばいている。鯛(たい)に似た巨大な魚は、あっという間に切り身になっていく。

魚市場の近くには青空市場があった。いちめんに野菜と果物が並べられた歩道が延々と続いていく。かたちは不揃いで、あちこちにキズがついていたり、威勢がよくないのもあるが、暖かみがある野菜と果物たち。人々は大きな声で喋り、笑う。大地で作物を育て、売る。お日様が昇ると目覚め、畑で汗を流すのだろう。首都フォール・ド・フランスでも朝は早く、6時くらいになるとザワメキ始め、平日は日が沈むととたんに静かになる。人間らしい生活だと思う。

魚市場の近くにコロニアル風のカフェ発見! ひとりで旅行をしていると、ひとりでカフェやレストランに踏み込まなければいけない。慣れてはきたが、瞬間的な勇気がいる。東洋人の女のコがひとりで入っていくと、必ずといっていいほど視線が集中する。従業員も客もみんな結託しているかのように、わたしを見るのだ。だからよさそうなレストランを見つけたら、迷わずに入ることだ。迷っているうちに、集中する視線が蘇りためらってしまうのだ。

木造校舎を彷彿とさせる木の階段をギシギシさせながら昇っていき、そのカフェに踏み込んだ。

「カフェ」と言われて連想するのはパリ風のオープン・カフェか、むかし流行ったカフェ・バーか、それとも昭和初期にあった女給さん付きのカフェか。わたしが期待していたのは天井には大きな羽根が付いた扇風機が回り、ちょっと生ぬるい風を送っていて、最小限のアンティーク系のインテリアがいい感じの庶民的な「カフェ」。

しかしそこは飲み屋だった。

入口に立ったわたしの目に映ったのは、ザワザワした雰囲気のなかで、和やかにお酒を酌み交わすおじさんたち。日本の居酒屋のように酔っ払っているおじさんはいないが、彼らが手にしているのがジュースとは考えにくい。ここは南国、午前中だろうと午後だろうと夜だろうと、ラムを飲むのだ。わたしはすっかりクルッと後ろを振り返り階段を駆け降りようかと思ったが、思いとどまり席に座った。

あたりを見回すと、想像していたような扇風機もあるし、いい感じのインテリアある。しかしここは明らかに居酒屋だ。

みんなチラチラと物珍しげにわたしを見ているが、誰も寄ってこない。どうやら「キャッシュ・オン・デリバリー方式」らしい。一瞬、おじさんたちのようにラムを飲もうと考えたが、思いとどまりカウンターでジュースを注文。なかなか濃くておいしい。さすがは熱帯、フルーツが違う。

窓際のテラス席からフォール・ド・フランスの町をのんびり眺めた。川の向こうに小高い丘があり、斜面に立ち並ぶ木造家屋は、オレンジ、黄色、青、緑…、思い思いの鮮やかな色彩で塗られている。原色のサンプル集のようだ。

真下の道路は大渋滞、市場周辺は買い物客でごったがえしている。今は土曜日の午前中だから、みんな週末の買い物をしているのだろう(ヨーロッパの国々では土曜日の午後と日曜日は、ほとんどの商店がお休み。マルティニークはフランスと同じシステムです)。

「ぶじゅぶじゅ」

日本から遠く離れ、トロピカルな原色の家々と活気に溢れた通りを見ながら異国情緒に浸っていたわたしの耳に、とりわけ大きくフランス語が響いてきた。振り返るとおじさん、いやムッシューがわたしに喋りかけている。

「フランス語は喋れないのよ」

このフレーズは必須アイテムなので滞りなく言うことができる。

わたしのフランス語がとても滑らかだったせいか、ムッシューは実は相当酔っ払っていたのか、それとも単にこだわらない性格なのか、とにかく彼はかまわず喋り続ける。どうやら以前ベトナムに住んでいたらしい。オリエンタルなわたしの顔を見て懐かしくなり、話し掛けてきたのだろうか? まあ、理由なんてないのかもしれないけど。そういえばベトナムも以前はフランスの植民地だった。

とても気のよさそうなムッシューだったが、「ベトナムにいた」それ以上のことはまったく理解できない。わたしは手を差し出し、彼と固く握手を交してから居酒屋を後にした。

午後は再びフェリーに乗ってポワント・デュ・ブーへと向かった。高級ホテルのプライベート・ビーチではなく、今日はローカルのパブリック・ビーチでのんびりすることにしよう。

アンス・ミタン海岸には民宿っぽいカジュアルなホテルが並んでいる。元バックパッカー的な雰囲気を持った観光客が多いようだ。地元の少年たちもいる。水しぶきを上げて海に飛び込む。じゃれあって、追いかけあって、ジャンプしながらボールで遊ぶ。強い陽射しと透明な海と青い空に囲まれて、彼らの引き締まった褐色のカラダが跳ねる。すごく気持ちいい!

砂は目が痛いくらい真っ白、立ち並ぶヤシの木はゆっくりと風にそよぐ。ビーチのすぐ脇には船着き場があり、原色に塗られた小船が停まっている。

インターナショナル仕様の高級ホテルのプライベート・ビーチよりも、ここのほうが自然でいい。共存共栄している感じだ。子供のころ、こんなビーチに来ることが夢だったっけ。ビールを飲んだら眠くなった。ギンギラ輝く太陽の下で、顔にタオルを乗せることもせず、わたしは大胆にも眠りにおちた。ツケは後になって回ってくる。

ホテルに戻ると、フロントの顔なじみのナタリーが迎えてくれた。

「あら、海に行ってきたのね」

彼女は静かに言った。だから顔がちょっと赤くなった程度だと軽く考えた。

ナタリーはわたしがこのホテルに到着したときフロントにいて、親切にしてくれた女性である。愛想はないが、何か質問するといつも冷静に的確に答えてくれるのだ。

「ところで、あなたに聞きたいことがあるんだけど…」

妙に改まった口調で彼女が質問した。

「あなたの部屋に日本のお菓子があるでしょ。あれはどういうお菓子なの?」

エンゲル係数が高くよく食べるわたしだが、お菓子はあまり好まない。好き嫌いはないので何でも食べるが、選択できるのであれば炭水化物とおかずを選ぶ。お菓子なんて持ってたっけ?

わたしはしばらく考えた。

「梅干しだ!」

そんなに梅干しが好きなわけではない。でも旅行先では梅干しを持っているとこころが落ち着くのだ。あの酸っぱい刺激がカラダをきれいにしてくれるような気がする。

階段を駆け上り、部屋に置いてある梅干しを掴み、階段を駆け降りた。

「これのこと?」

梅干しの袋を差し出しながらそう言うと、彼女は大きく頷いた。

ナタリーは英語が話せる。わたしは一生懸命梅干しの成り立ちを説明した。しかし反応がいまいち…。

「食べてみる?」

百聞は一見にしかずである。

彼女は一瞬ちょっとためらった。それから静かに言った。

「試してみるわ」

差し出された梅干し2コ入りの小袋を彼女はつまみ、蛍光燈に透かすようにしてじっと眺めた。開封するかと思ったが、そのまま静かに机の上に置いた。

いつも冷静な彼女がわたしの部屋でじっと梅干しを見ている様子を想像すると、なんとなくおかしくなってしまう。笑ったら日焼けした顔がひきつった。

彼女は遠い国からマルティニークにやってきた梅干しを食べたのだろうか?

(本文中は1フラン22円で換算)

次は『滝つぼボディ・ラフティング』

マルティニークの写真

旅行した時期は1996年10月〜11月です。



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