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マルティニークの旅を終えて


マルティニークの首都フォール・ド・フランスの中心地には「サバン(サバンナ)」と呼ばれる大きな公園があり、市民の憩いの場になっています。緑がふんだんに植えられた開放感たっぷりの公園です。

町には高いビルは少なく、ほとんどは3〜4階建てのコロニアル様式の建物です。どこかアフリカの匂いが感じられる広告やお店のディスプレイは、原色をふんだんに使ったトロピカルなイメージ。デザイン・センスが非常によく、自然にさりげなくディスプレイされています。

町をゆく人々はアフリカ系が中心ですが、インド系、中国系、ヨーロッパ系などさまざまな人種がミックスしているので、なるほど、エキゾチックな美しい顔の女性を多く見かけます(その一方、かなり重量級の人々も目立つのは、サトウキビの産地だからでしょうか?)。

マドラス・チェックのドレスを着た人形が、あちこちのみやげ物店で売られていました。人形の目鼻立ちはヨーロッパっぽく、肌の色はアフリカ、そしてインドのマドラス地方原産のチェックで彩られたドレス…。この人形はマルティニークのひとつの象徴といえるかもしれません。さまざまな人種が混じりあい、言葉が混じりあい、長い時間をかけてそれぞれの文化が混じりあっていったのです。

以前、訪れたトリニダード・トバゴの首都、ポート・オブ・スペインも似たような雰囲気がある街でした。どちらもイギリスの植民地経験という共通項を持っています。が、フォール・ド・フランスほうがずっと和やかな、のんびりした雰囲気を持っているように感じられました。わたしがトリニダード・トバゴのポート・オブ・スペインを訪れたのは、街全体が最も高揚するカーニバルの時期だったので、ちょっとアブナイ印象を持ってしまったのかもしれませんが…。

あるとき(マルティニークのフォール・ド・フランスで)、レストランでピザを食べていると、人形売りのマダムが入ってきてあたりを見回しました。その場にいたのは現地の人々が数人、それにわたし。

「客種がよくないなあ」と思ったのかどうかはわかりませんが、好ましい結果が得られないと判断したのでしょう。彼女はすぐに出ていってしまいました。しかし彼女はすぐに戻ってきて、しばらくの間、立ったままレストランのテレビを見ていました。おもしろそうな番組だったのかテレビに集中し始め、そのうち入口近くの空いている席に腰を落ち着けてしまったのです。

彼女はときどき営業の素振りを見せるのですが、あまり真剣さは感じられません。それから30分ほど、彼女は座ったままテレビを見続けていました。お店の人も「出ていけ!」などと無粋なことは言いません。

マルティニークは人々ものんびりしているように感じられました。それはこの島が独立国ではなく、フランスの海外県であることが強く影響しているのではないでしょうか。

この島は1946年にフランスの憲法により「海外県」と制定され、フランスの社会保障制度や選挙権を得ました。本国に住むフランス人に植民地意識があるかどうかはわかりません。ただ何はともあれ、「植民地」という前時代的な呼び名はこのとき消滅したのです。

もともと南国の人々はのんびり気質ですが、周辺にある独立国が経済不振や想像を絶する貧富の差にあえいでいることを考えると、ちょっと複雑な気持ちになりました。

街を歩いていると女のわたしでも「ドキッ!」とするほどきれいな女性とすれ違います。ファースト・フードの店員もモデルばりに美しいのです。

ある時期、さまざまな血が交じりあったエキゾチックな顔立ちの褐色の肌を持つ女性を探すため、フランスのモデル・エージェンシーが大挙してこの島を訪れたそうです。ここマルティニークやお隣りのグアダループは、一躍、美人の宝庫として知られるようになり、成功を収めたモデルたちもかなりの数にのぼりました。

しかし故郷に戻った女のコたちも多いといいます。南国の島でのんびりと育った彼女たちにとって、モデル業界の熾烈な競争に勝ち抜き、生き残ることは、決して簡単なことではなかったのでしょう。大都会でのグラマラス・ライフを求めるか、シンプルではあるけれど南の島で自然に囲まれて暮らすか…。

首都フォール・ド・フランスでさえ、朝6時ごろになると街はざわめき始めます。7時半には営業しているオフィスもあるのです。一方、夜は7時ごろにはすっかり静かになってしまいます。東京では夜更かしばかり、目覚しの音でジタバタしながら起きていたわたしも、マルティニーク滞在中は目覚しいらず。太陽が昇れば自然と目が覚めました。とても気持ちよく目が覚めるのです。これが人間らしい生活ではないか、ふと思いました。

ラジオを聞いていたら『オー・シャンゼリゼ』のメロディが流れてきました。「あら、懐かしい!」と耳を澄まし、日本語で歌われていることに気がつきました。

日本から遠く離れたマルティニークで、日本語がラジオから流れてくるなんて…。

「お送りしたのは日本語ヴァージョンの『オー・シャンゼリゼ』、ぶじゅぶじゅぶじゅ…」

曲が終わるとそう言って、DJはちょっと照れたように笑いました。

マルティニークのご当地音楽「ズーク」から、ラップ、レゲエ、サルサ、ソカ、ラガ、ワールド・ワイドに流行っているアメリカン・ロックやポップスまで、FMラジオ局からはいろんなタイプの音楽が流れてきます。フランス語だけでなく英語やスペイン語の曲もよくかかります。FM局もたくさんあります。ここは美人の宝庫だけでなく、音楽の宝庫でもあるのです。

さまざまな人種と文化を受け入れ、長い時間をかけて融合し、「クレオール」という独特の文化を生み出したこの島は、異国文化をすんなりと受け入れる素地があるのでしょう。

音楽好きなら、1980年代後半のワールド・ミュージックのブームをご記憶の方も多いと思います。そのブームの一端を担ったのがカリ、マラヴォア、カッサヴなど、マルティニーク出身のアーティストたちです。最近でもビートヴァ・オバス、タニア・サンヴァルなど、多くのアーティストたちが活躍しています。

「カリやマラヴォアはいまでもマルティニークに住んでいるの?」

「滝つぼボディ・ラフティング」に同行したガイドのピエールに尋ねてみました。

「いや、彼らはパリに住んでいる。肌の色が白くなってくるとこの島に帰ってくるのさ」

活動拠点はパリに置いていても、マルティニーク出身のアーティストたちの音は、かつて「花の島」と呼ばれ、今も鮮やかな色の花々が咲き乱れるカリブ海に浮かぶ小さな島の素朴さを失っていません。

最後にもうひとつ。忘れちゃいけないのはマルティニークの食べ物です。「かつてフランス人がいた土地には素晴らしい食文化が根づいている」と誰かが言っていましたが、その通りでした。まず食事の基本、パンがおいしいのです。カフェに並ぶ菓子パン(?)からサンドイッチのフランスパンまでハズレがありません。

穏やかな気候に育まれた果物や、インド風のカレー味のチキンも絶品です。特に気に入ったのは「cream desert PRALINE」という、プリンを溶かしたようなクリーム系のデザート。探せばもっとおいしいものがいっぱいあるかもしれません。

いつかチャンスがあれば、ちょっと遠いけどマルティニークを訪ねてください。きっと楽しい時間が過ごせることでしょう。

マルティニークのデータ

マルティニークの写真

旅行した時期は1996年10月〜11月です。



旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
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