ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
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お母様はテレビが好き。「いっしょにどう?
1日じゅうのんびりとテレビを見るのも楽しいわよ」と誘惑された。そういえば、旅行を始めて以来この2か月近く「1日じゅう家にいた」ことがない。「のんびりとテレビ」は大きな誘惑だったが、旅行もあと数日でおしまい。東京に戻れば、いくらでものんびりできるので、お母様の誘惑を振り切ってチェスターの大聖堂を見に行くことにする。「じゃあ、行ってきます!
6時半ごろに帰るからね」なんて言ってお出かけするのは、まるで「家」にいるみたい。 イギリスは「外国」という感じがあまりしない。クルマは左側通行、ポストは赤い、人々は大きな声で話さないし、ゴミもあんまり落ちてない。同じ島国で国民性が似ていることもあるだろうが、日本のさまざまなシステムはイギリスの制度をお手本に作られたことを実感。でもリングピアスがすごく似合う国鉄の若い車掌さんがいた。このあたりはさすが!パンク発祥の地??? ロンドンバスの2階の正面に座り「おのぼりさん」してたら、見慣れたファースト・フードの看板などが見えてきた。このあたりが町の中心だろう。バタバタと階段を駆け下りる。とっても空腹なのはなぜだろう? カフェオレ+オレンジジュース+トースト+ジャムの朝食が軽すぎたからか? こんなときはピザ屋のブッフェだ。 すっかり満足したら、もう3時。北ヨーロッパの冬は日暮れが早い。大聖堂はご挨拶程度にしておこうと思っていたが、長居してしまう。予備知識を持たずに来てしまったが、このチェスター大聖堂は1092年に建てられた由緒ある教会(いまもその一部が残っている)。日本語のパンフレットも置いてあり、現在の建物は1250年から250年もかけて建てられたと書いてあった。シュルーズベリーの教会と同じようにレンガが使われているので、(レンガの色が濃いせいか?)いっそう重厚な雰囲気をかもしだしている。ステンドグラスも印象的。なんて美しいんだろう…。 昨日、訪れた「シェークスピアの生家」にしても、このチェスター大聖堂にしても、イギリスの文化遺産は保存状態が非常によく、加えて付属の説明も充実している。これも几帳面な国民性の表れか?
ギフトショップでおみやげのワインを購入。 城壁に沿って川辺を歩いていくと、大きな通りに出た。通りの向こう側には、緑の芝生が広がる大きな競馬場。芝生の緑に淡く白い霧がかかり、一面に広がった薄緑が時間がたつにつれてゆっくりと闇に溶けていく。幻想的。 「こんなにいろいろ買ってきちゃったんだから、必ずもう一度、来年にでもこの家に戻ってこなければいけない」とリサはまじめな顔をして言った。 「あなたがこの家にいた時間は、たった3秒だったみたい」とお母様。 そう、明日の朝早く、わたしは旅立つのだ。ありがとう、きっと戻ってくるからね! 夕食後はテレビ・タイム。サッカー場の事故で100人近い若者が亡くなったという実話を基にした2時間ドラマを見る。特にリサは「彼らはもうすぐ離婚する」「ほら、こんなことになった」などとブツブツ言いながら、熱中して見ていた。 「わたし、リサよ。久しぶり! みなさん、お元気? ええ、ちょっとどうしてるかなあと思って…。ええ、イギリスからかけているのよ」とリサが話し始めた。「ねえ、今ここにともだちがいるの。あなたも知ってる人よ。きっと驚くと思うわ」と言って、リサが受話器をくれた。 電話の相手は社長だった。わたしが名乗ると、彼女(社長)は驚きのあまり2秒間ほど言葉を失った。物事に動じないタイプなだけにとてもおかしい。笑いをかみ殺すのは大変だったけど、まあ、驚くのも当然か。わたしたちがいっしょに働いていたのは、もう10年も前。長い年月が過ぎて、突然、イギリスからモデルと元マネージャーが仲良く電話して来たんだから。もしかして、前代未聞、業界初のできごとかもね。 ロンドンに到着し、一番前の車両に行くと、彼は笑顔で言った。「もういいよ、払わなくて。イギリスのバケーションを楽しんでね」。ますますイギリスが好きになるの巻。 「みんながもっとコミュニケーションをとっていけば、いま世界に存在する問題はずっと少なくなっていくだろう」。 「いろんな国を旅して、いろんな人々と会った若い人々が、これからの世界をつくっていく」。 ちょっとキザに聞こえるそんな言葉も、人柄だろうか、彼が言うと不思議な説得力を持ったのだ。 できるかどうかは別として、わたしはこの旅行で「コミュニケーションを持つこと」「好きになること」の大切さを学んでいるのかもしれない。 旅行した時期は1996年10月〜11月です。 |
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