ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
インデックス>ヨーロッパ/アメリカ |
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ローマの休日 |
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夜行列車が目的地のローマに近づくと、車掌さんが見回りに来た。 「あなたはひとりで旅行しているのですか?」 まだ仕事は残っているだろうに、彼は世間話モードに突入、さりげなくコンパートメントに入りこみ、わたしの隣りに座りこむ。そしていつのまにか、わたしの手をしっかりと握っている。どうしてこういうことになるのだろう? 「そうか、ローマに泊まるのか。それならボクの知り合いのペンションを紹介してあげよう。ペンションはホテルより安い。ホテルだと9万リラ、ペンションなら5万リラだ。どうだ、ペンションならホテル1泊分の料金で2泊できるぞ、わかるか?」 うん、よくわかる。 散歩をしてたら、人なつっこい犬と知り合い、しばらくいっしょに過ごす。わたしがクッキーを食べ始めると、彼も食べたがったので、ベンチに座って(彼は立ったまま)桜島に似た島が浮ぶ海を見ながら、いっしょにクッキーを食べる。が、ハスキー犬が近づいてきた途端、彼の本能が目覚め、どこかへ行ってしまった。やっぱりイタリアの犬だ…。 明日はイタリアともさよならだから、ディナーはゴージャスにしようと意気込み、地元っぽい食堂系のレストラン探しに出たが見つからない。しかもあいにくの雨降り、背に腹は代えられず、宿泊しているホテルのすぐそばのレストランへ。店の前に日本語のメニューが書かれた看板が立っていたので、嫌な予感はしたのだが、見事に当たる。食べているうちにピザはゴム化した。ホテルに戻り、バスタブに伸びてリラックス。 「ローマは遺跡ばかり、維持にお金がかかり過ぎてバカバカしい」 「ミラノは北、ナポリは南の中心地。ならばローマはイタリアの中心地」 「もうすぐ21世紀だっていうのに、ヨーロッパがひとつになるっていうのに、イタリアはまだクレイジーなまま」 「日本の天皇制はすばらしい文化だ」 「ヨーロッパは統合されたのだから、今度はアジアの番だ。香港の返還はアジアの統合へ第一歩ではないのか」 などと話す彼女といっしょにバスに乗ってソンニーノ広場へ向かう。強い意志と気迫に加えて、豊かな表情、美しい言葉、惹きつけるしぐさの数々などが入り混じって、魅力は尽きない。そうか、アジアの統合か…。 トマト+バジリコで味付けされたラングイネがおいしかった。パスタ大好き!
今さらだけど、サラダとイタリアのポッキー(正式名は何ていうのだろう。よくイタ飯屋のテーブルの上に袋に入って置いてある細長いやつ)の組み合わせは、ため息もの。 これからトラステヴェレの本命、迷路のように入り組んだ下町へ入っていく。ここはローマで最も中世の面影を残しているといわれる地域、東京でいえば浅草といったところか。 ここに住む人々は自由を愛し、自分たちこそが古代ローマの真の子孫だと考えているという。そのため独立精神も旺盛で、19世紀のイタリア統一のさいは、最後の最後まで抵抗したとか…。 細い路地、ゴミゴミとした町、群れる若者たちはピザを立ち食い、歩いていくと突然現われる広場、教会、時計台、噴水、サッカーをする子供たち、斜めに射しこむ秋の弱い陽射し、幾つも交差する路地、ブラ下がったまま動かない洗濯物、下町風の食堂、タバコ屋、のんびりと立ち話する老人たち…。 中世にタイムトリップしてしまったような街並みだが、懐かしい感じがこみあげてくるのは、人々の生活感が肌で感じられるからだろうか。 イタリアはホントに美しい顔のオトコが多いし、食べ物はおいしいし、もっといっぱい何でも食べたいのに、1日3食しかないのが、胃がひとつしかないのが、とても悔しい。 ラテンのオトコたちはおしなべて女性に親切だが、彼もすこぶる感じがよい。アブなそうに見えても、きっとただのお喋りなナチュラル・ハイなんだろう。料金は1万500リラ(約800円)だったが、1万5000リラしかないと言うと、「なら、1万(約760円)でいいよ」とドンブリ。それとも日本人って端数にこだわり過ぎるのかなあ…。 チャンピーノ空港で「最後の晩餐」をしようと思ってたのに、ガラーンとしたこの空港には、カフェテリアがあるだけでレストランがない! サンドイッチを食べる不本意…。ああ、もっともっともっといろいろ食べたかったのに! |
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