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ローマの休日


「あと30分ほどでローマに到着します」。

夜行列車が目的地のローマに近づくと、車掌さんが見回りに来た。

「あなたはひとりで旅行しているのですか?」

まだ仕事は残っているだろうに、彼は世間話モードに突入、さりげなくコンパートメントに入りこみ、わたしの隣りに座りこむ。そしていつのまにか、わたしの手をしっかりと握っている。どうしてこういうことになるのだろう?

「そうか、ローマに泊まるのか。それならボクの知り合いのペンションを紹介してあげよう。ペンションはホテルより安い。ホテルだと9万リラ、ペンションなら5万リラだ。どうだ、ペンションならホテル1泊分の料金で2泊できるぞ、わかるか?」

うん、よくわかる。

さて、その日にわたしがしたことは…。

ローマ、テルミニ駅の一時預かりに荷物を預け、駅のホテル・インフォメーションでホテルを予約(車掌さんのオファーは遠慮させていただいた)。

急行列車(IC)に乗ってナポリへ。車内販売のカプチーノは、インスタントなのにとてもおいしくて、2000リラ(約150円)。こんなところでイタリアの食文化の奥深さを実感するのはヘンかしら…。2時間40分で到着するはずだったのに、この5日間、列車のスケジュールはバッチリだったのに、ついに1時間近く遅れて予定が狂う。まあ、イタリアに来たなって感じはしたけど…ね。

ナポリから私鉄(?)に乗って、ソレントへ。音楽の時間に習った『帰れ、ソレントへ』にも歌われたこの町は、噂に違わず風光明媚。ただ天気がよくなかったので、ちょっと物哀しい雰囲気が漂っているような…。

散歩をしてたら、人なつっこい犬と知り合い、しばらくいっしょに過ごす。わたしがクッキーを食べ始めると、彼も食べたがったので、ベンチに座って(彼は立ったまま)桜島に似た島が浮ぶ海を見ながら、いっしょにクッキーを食べる。が、ハスキー犬が近づいてきた途端、彼の本能が目覚め、どこかへ行ってしまった。やっぱりイタリアの犬だ…。

ナポリへ戻ると、もう夕方。ナポリも散歩したかったが、身の安全を考えて、早めにローマへ戻る。ローマのテルミニ駅の一時預かりに荷物を取りに行ったら、ガテン系のおにいさんたちが「あなたの名前はオリビアだろう」「このコはオリビアだ」と口々に言い合っている。「オリビアだ」と言われているのは、わ-た-し…、目が点になる。なんなの? 何言ってるの?

テルミニ駅からホテルまで、徒歩15分ほど。超高級ホテル「エクセルシオール」の隣りにあるのがわたしのホテル(実はペンション)。かなりいい地域にあると安心したら、急に空腹を感じた。そういえば今朝はカプチーノだけ、お昼は簡単なサンドイッチ、おやつはクッキー…。

明日はイタリアともさよならだから、ディナーはゴージャスにしようと意気込み、地元っぽい食堂系のレストラン探しに出たが見つからない。しかもあいにくの雨降り、背に腹は代えられず、宿泊しているホテルのすぐそばのレストランへ。店の前に日本語のメニューが書かれた看板が立っていたので、嫌な予感はしたのだが、見事に当たる。食べているうちにピザはゴム化した。ホテルに戻り、バスタブに伸びてリラックス。

翌日、イタリア最終日

パンがおいしい、コンチネンタルの朝食。

超高級ホテル「エクセルシオール」前のバス停で56番のバスを待つ。朝、起きたときには晴れていたのに、また雨が降ってくる。傘をささずに立っていたら、となりに立っていたオバサンが傘に入れてくれた。しかし「オバサン」という呼び名は、彼女にはふさわしくない。しっかりとした意志と気迫を持った、大人のイタリア女性である(ソフィア・ローレンにちょっと似ている)。

「ローマは遺跡ばかり、維持にお金がかかり過ぎてバカバカしい」

「ミラノは北、ナポリは南の中心地。ならばローマはイタリアの中心地」

「もうすぐ21世紀だっていうのに、ヨーロッパがひとつになるっていうのに、イタリアはまだクレイジーなまま」

「日本の天皇制はすばらしい文化だ」

「ヨーロッパは統合されたのだから、今度はアジアの番だ。香港の返還はアジアの統合へ第一歩ではないのか」

などと話す彼女といっしょにバスに乗ってソンニーノ広場へ向かう。強い意志と気迫に加えて、豊かな表情、美しい言葉、惹きつけるしぐさの数々などが入り混じって、魅力は尽きない。そうか、アジアの統合か…。

終点のソンニーノ広場で彼女と別れ(そういえば彼女もわたしもバスの運賃は払わなかった)、散歩開始。まずは下町風な「傘専門店」で長い傘を購入。東京では折り畳み傘愛用者のわたしだけど、ヨーロッパでは「折り畳み傘」は、貧相に見えるような気がするの。

小さな島が浮かび、いくつもの橋がかかり、スクッと建った教会が川面を見下ろすテヴェレ川。紅葉する木々としっとり濡れた石畳の路面が、深まるヨーロッパの秋を演出してくれているみたい。こんな風景には哀愁が似合う…、が、わたしは哀愁にはほど遠い雰囲気。

散歩継続、トラステヴェレ通りをグングン歩く。大通りはアップタウンな雰囲気、高級住宅地のようだ。洞窟のようなレストランを発見し、お昼。まだ時間が早かったせいか、従業員たちはテレビのクイズ番組を見ながら和んでいる。

トマト+バジリコで味付けされたラングイネがおいしかった。パスタ大好き! 今さらだけど、サラダとイタリアのポッキー(正式名は何ていうのだろう。よくイタ飯屋のテーブルの上に袋に入って置いてある細長いやつ)の組み合わせは、ため息もの。

坂を登り、ジャニコロの丘の頂上にあるガリバルディ広場で、ローマの街を一望。レンガ造りの建物の赤茶、森の緑、紅葉の黄色のハーモニーが美しい。

これからトラステヴェレの本命、迷路のように入り組んだ下町へ入っていく。ここはローマで最も中世の面影を残しているといわれる地域、東京でいえば浅草といったところか。

ここに住む人々は自由を愛し、自分たちこそが古代ローマの真の子孫だと考えているという。そのため独立精神も旺盛で、19世紀のイタリア統一のさいは、最後の最後まで抵抗したとか…。

細い路地、ゴミゴミとした町、群れる若者たちはピザを立ち食い、歩いていくと突然現われる広場、教会、時計台、噴水、サッカーをする子供たち、斜めに射しこむ秋の弱い陽射し、幾つも交差する路地、ブラ下がったまま動かない洗濯物、下町風の食堂、タバコ屋、のんびりと立ち話する老人たち…。

中世にタイムトリップしてしまったような街並みだが、懐かしい感じがこみあげてくるのは、人々の生活感が肌で感じられるからだろうか。

カフェでピスタチオのアイスクリームを買い、歩きながら食べる。Mサイズとは思えない量の多さだが、おいしいので全部平らげる(2500リラ、約190円)。アイスクリームを盛り付けてくれたウェイターの男のコは彫刻系、ミケレンジェロって感じね。

イタリアはホントに美しい顔のオトコが多いし、食べ物はおいしいし、もっといっぱい何でも食べたいのに、1日3食しかないのが、胃がひとつしかないのが、とても悔しい。

表通りのマクドナルドで「エスプレッソください」と頼んだら、「うちにはアメリカン・コーヒーしかない」と言われた。

タクシーでスペイン広場へ。ドライバーの若いおにいさんはちょっとヤバそうなクスリ系。後部座席に座っているわたしの方を思いっきり振り向いて喋りまくる。前を見ないで走るので、ときどきぶつかりそうになるが、ぶつからない。

ラテンのオトコたちはおしなべて女性に親切だが、彼もすこぶる感じがよい。アブなそうに見えても、きっとただのお喋りなナチュラル・ハイなんだろう。料金は1万500リラ(約800円)だったが、1万5000リラしかないと言うと、「なら、1万(約760円)でいいよ」とドンブリ。それとも日本人って端数にこだわり過ぎるのかなあ…。

スペイン広場は観光客で溢れ、風情がない。スペイン階段の下にある噴水の淵に座ってボーッしてたら、日本人の彼女がいるという「ミケランジェロ」が日本語で話しかけてきた。なんかスレてる感じ。

チャンピーノ空港で「最後の晩餐」をしようと思ってたのに、ガラーンとしたこの空港には、カフェテリアがあるだけでレストランがない! サンドイッチを食べる不本意…。ああ、もっともっともっといろいろ食べたかったのに!

次はスペインに行こう!

イタリアの写真

旅行した時期は
1996年10月〜11月です。



旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
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