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スペインはとっても垢抜けていた


ローマからマドリードに向かう飛行機で、マックスマーラの大きな紙袋を持ったおしゃれな女のコを見かけた。イタリアでお買い物してきたのかしら…と思いつつ、ちょっと紙袋のなかを覗きこんでみたら、明らかに野菜と思われる緑色のもの(たぶん、ほうれん草)が入っていた。国境がなくなりひとつになるヨーロッパをこんなところで実感…。

マドリードのバラハス空港に到着したのは23時。深夜の到着なので、念のため、シャトル・バスで送迎するというエアポート・ホテルを予約しておいた。が、そうすんなりとやっては来ない。「シャトル・バス」は定期的に空港内を巡回して、乗客をピックアップするものだと思いこんでいたが、待てど暮らせどバスは来ない。バス乗り場でシャトルを待っていた人々は、次々と他のホテルのバスに乗りこみ、消えていく。

「電話しなきゃ、バスは来ないよ」

別のホテルのドライバーに尋ねたら、あっさり言われた。持っていたスペイン・ペセタのなかでいちばん細かかったのが100ペセタ(約90円)のコイン。「お釣りは戻ってこないだろう。ああもったいない」と思いながら電話したら、やっぱりお釣りは戻ってこなかった(海外の公衆電話ってお釣りが戻らないことが多いと思いませんか?)。

そういえば、携帯電話で話している人々がやたらと目についたが、彼らは「今、着いたよ」コールではなく、ホテルに電話をしてシャトルを呼んでいたのかもしれない。

「シャトル・バス乗り場じゃなくて、道を渡ったところで待て。黒いワゴンで行くからね」と言われたので、その場所で待つ。が、迎えは来ない。眠気に襲われ始めたころ、不審な黒いワゴンが通り過ぎていった。じっと見つめるわたし…。しばらくするとそのワゴンが戻ってきた。これだ! 待つこと、どのくらい? 1時間くらい?

「いやあ、いつも使っている送迎バスが壊れちゃって…。このクルマはホテルの名前が入ってないから、空港内に入れないんだよ。だから、シャトル・バス乗り場に行けなかったんだ」

ドライバーはボソボソと言い訳した。わかるようなわからないような、やっぱり筋が通っていないような…。ホテルの身分証明書とか持ってないの?

落ち着いたのはこぢんまりとしたホテルのシングルルーム、まさに日本のビジネスホテル。11743ペセタ(約10500円)だったので、ちょっと期待していたんだけど…。あとは寝るだけだし、水まわりはこぎれいで清潔だし、まあいいか。ああ、鷹揚な日本人。

このホテルの特色はレターセットが完備されていたこと。振り返ってみると、今回の旅行で初めて見るレターセットである。いまどきは通信網が発達してるから、ホテルの部屋でせっせと手紙を書く宿泊客って少なくなっているのかもしれない。

翌朝、いつものようにしっかりと朝食を取ってから、サラマンカの友人に電話をするがつながらない。「エリア・コードが変更になったのかしら」と思い、オペレータに尋ねてみたら、「エリア・コードはそのままだ。ときどき回線がおかしくなるので、しばらくしてからもう1回かけてみろ」と言う。しばらく待ってから、再トライしたらつながった。

携帯電話が普及しても、スペインらしさは変わっていなくて、ヘンなところでホッとしたわたし。友人とはバッチリ連絡がつく。

この日(スペイン第二日目)のスケジュール
長距離バスに乗って、サラマンカへ向かう。サラマンカはマドリードからバスで2時間半ほど、ヨーロッパ最古といわれる大学があり、中世の雰囲気が漂う歴史的な町である。わたしは以前、この町の語学学校に通っていたのだ。

5年ぶりのスペイン、バスターミナルは昔のままだったが、バスは超近代化されていた。シートは応接セットのようにフカフカだし、ドライバーのシートはスプリングが入っているらしく、上下に揺れる(ちょっと気持ち悪くなりそうだけど)。希望者には無料のヘッドフォン貸し出しもあり。もちろん定刻出発、定刻到着。

友人のラウラ(彼女はスペイン語の先生)が勤務するサラマンカの語学学校に着いたが、すでにシエスタに入っており、誰もいない。せっせと日記を書いて、時間をつぶす。

1時間ほどして、ラウラが到着! 「あら、あと2〜3時間で着くって言ったから待ってたのに」とラウラ。「じゃなくて、2時か3時ごろに着くって言ったのよ」とわたし。何はともあれ、感激の再会。

学校の掲示板に貼ってあった上映映画一覧に、ペネロペ・クルース(スペインの人気女優、工藤静香にちょっと似ている)主演の『LA CELESTINA』という新着映画を発見。好きな女優なので見に行くことにする。16世紀のサラマンカが舞台だそうだが、最後はペネロペの彼が足を滑らせあっけなく死んでしまい、彼女も自殺するという悲しい結末。

学校に戻ると、ラウラが「ぜひウチに泊まってね」と言ってくれたので、ご厚意に甘えさせていただく。彼女のピソ(マンションのようなもの)は、ベッドルームが3つ、お手洗いが2つ、サロンに台所というゴージャスな構成。築5年だというが、とてもキレイで、建築もしっかりしているので水まわりも気持ちよく、すごく快適。

ラウラ家に到着すると、彼女の親戚と友人が勢揃いしていた(すべてではないが、合計10人くらい)。まとめて紹介されたが、あっという間に見分けがつかなくなり混乱する。そんなわたしを見て、ラウラのお母様が澄ました顔をして言う。「わたしの娘たちはキレイだから、区別がつくでしょ?」。ノリがよいおかあさんである。

ベッドルームをお借りして就寝。天使のように眠る。

スペイン第三日目
起きたら10時。友人のラウラはとっくに仕事に出かけていたが、ちょうど同じころに目覚めたラウラのお母様といっしょにスペイン式の朝食。電子レンジで暖めた牛乳にインスタント・コーヒーを入れてカフェオレをつくる。「メンブリーヨ」という小イチゴ(?)のジャムがおいしくて、パンに塗りまくりの、食べまくり。でもこのジャムはとっても高いらしい。

散歩に出かける。まずテレバンコ(CD機)で、現金をゲット。シティ・バンクの「ワールドキャッシュ」(海外両替カード〜日本で入金したお金を欧米などのCD機から現地通貨で引き出すことができる)を持っていたので、いとも簡単にペセタを入手できた。

東京のCD機で現金を引き出すのと同じ、いやCD機が道の壁に埋めこまれているので、銀行のロビーに行く必要がないだけ、日本のCD機より便利。むかし、長い列に並んで銀行で両替していたことを思い、隔世の感。

散歩開始。トルメス川(サラマンカの外堀のような川)にかかる、築1000年以上のローマ橋の欄干から、カテドラル(大聖堂)と小高い丘の上にあるサラマンカの中世のような街並みを望む。川でのんびり泳ぐカモ、紅葉した木々…、こんな美しい風景は中世の昔から、もう何百年も変わっていないのだ。

テレバンコで簡単に現金を引き出したような「進歩」が、急にちっぽけに思えてくる。カテドラルにご挨拶してから、スペインで最も美しいと言われるプラサ・マジョール(中央広場)へ。時間も、進歩も、何もかも超越して、悠然とたたずむプラサ・マジョールの偉大さ。

懐かしい風景を味わいながら、お散歩。洗練されたお店が増え、人々の服装も垢抜け(特に子供)、町は活気づいているように感じられた。携帯電話もある。

RENFE(スペインの国鉄)の事務所でパリ行き寝台列車のキップを購入。全然並ばない。

いったんラウラの家に戻り、昼食。食事が終わり、サロンでテレビを見ていたら、凶悪犯罪発生のニュース。スペイン北部の町ブルゴスで、56歳くらいの男性が23歳の女のコに恋をしたがフラれ、彼女と彼女の両親、兄弟の合計6人を殺害したという。

「こういう事件て、アメリカだけのことかと思っていたのに」と友人のラウラ。経済が発展すると、犯罪も複雑になっていくのかなあ。

午後、また別の映画を見る。今度は『MAS QUE AMOR FRENESI』(情熱的な愛よりももっと…)というタイトルの映画。

ドラッグ、セックス、ホモセクシャル、ナイトライフ、ドラッグクイーン、変装パーティ、売春、殺人…。アルモドバルっぽいキッチュな感覚+悪趣味なカッコよさ、どこかドン臭くて憎めない最先端な若者たちが繰り広げる、ちょっと醒めた日常のストーリー。BIBI ANDERSEN(女優)がめちゃくちゃクールだった。

ラウラといっしょに家に戻るため、彼女の学校に寄る。「散歩はどうだった?」とラウラ。「サラマンカはずっと洗練されたよね。おしゃれなお店も増えたし、みんなの服装も垢抜けてる。失業率も下がったのかしら」とわたし。「そうでもないのよ、失業率は23%よ」とラウラは淡々と答える。日本の1997年3月の完全失業率は3.2%だから、比べるとすごい数字…。

それでも最近、日本のメディアでは「日本の先行き悲観論」が頻繁に論じられている。

オウム事件で病んだ日本人のこころがクローズアップされ、住専問題を発端に税金の使い道に対する疑問は深まるばかり。薬害エイズ事件で浮き彫りになった官僚の腐敗、「一度決めたら、二度と変えない」縦割り行政の非柔軟性のために死に絶えていく諫早湾の生き物たち、度重なる大手証券会社の不祥事、総会屋が牛耳る大企業の不透明な経営内容などなど、戦後50年間に急成長し過ぎた日本の歪みが、このところ噴出しているように思える。

ただ問題意識を持つことと、悲観的になるのは別だと思うんだけど…。わたしたちは何を求めているのだろう。もし更なる豊かさを求めるあまり、悲観的になってしまうのなら、本末転倒じゃないかしら。

夜、同じマンションに住んでいるおじいさんふたりが訪れる。ラウラが持っていたウーロン茶を(おいしく)入れてさしあげたら、喜ばれた(ようだ)。「お茶、もう一杯いかがかしら?」と言おうとするが、おじいさんふたりとラウラのお母様、ラウラのスペイン人4人組が弾丸のように話し続け、息継ぎがないので入りこめない。南米人に比べてスペイン人が話すスペイン語のスピードはホントに速い。みんな一丸となって喋りまくる。でも憎めないっていうか(映画だけじゃなくて現実のスペイン人も)、かわいいっていうか、すごく熱くて好きな人たち。

次は『忘れじの晩餐』

旅行した時期は
1996年10月〜11月です。



旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
http://www.page.sannet.ne.jp/megmeg/
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