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忘れじの晩餐


スペイン四日目
友人のラウラのお母様と朝食、お喋り。

「わたしの祖母も、曾祖母も、その先祖も同じように村でつつましく暮らしてきたが、娘(ラウラ)の世代から生活は激変した。彼女たちは街で働き、クルマやコンピュータを自由自在に操っている。わたしと娘の人生にはすごく大きな違いがある」。

楽しくお喋りするなかで、彼女はふと漏らした。なるほど、村と都市や世代間のギャップは、国の違いを超えて存在しているようだ。今は情報網の発達により村と都市などの地域差は縮まりつつあるが、各人の「情報取りこみ量と情報選択能力」によって、また新たな格差が生まれつつあるのではないか、などと考えるの巻。

食事が終わり、お母様といっしょに近所のスーパーとパン屋へ買い物に行く。以前、お母様は村でパン屋さんをやっていたので、興味深そうにパンづくりを見ている。わたしたちが訪れたパン屋は、このあたりではおいしくて有名なのだそうだ。彼女は20個近くのパンとペストリーを買いこんだ。

「粉っぽい白い色で、あまりおいしそうじゃないなあ…」と思っていたんだけど、食べてみたら驚きのおいしさ! おいしそうに見せるための添加物を入れない、自然なパンなんだろう。

歩く量がちょっと足りなかったので、お母様と別れ、昨日に引き続きサラマンカの中心地まで散歩。

お昼はお母様の手料理大会。レンテハス(豆)のスープ、サラダ、ジューシーな白身魚、肉じゃが、そしてさっきのパン屋で買ったペストリーの豪華ラインアップ。食べて、食べて、食べまくり。

「ホント、母がいるときに遊びに来てラッキーだったわよ。彼女がいなかったら、いつもサラダ、サラダ、サラダ状態なんだから」と友人のラウラ。お母様はクルマで1時間半ほど行ったところにある村に住んでいるが、ときどきサラマンカに遊びに来るのだそうだ。今回の旅行では「ラッキー」と言われることが多いみたい。

午後はテレバンコ(CD機)で、またペセタを引き出す。簡単に引き出せるのがおもしろくて、クセになりそう。引き出したお金は当然使っちゃうのにね。スペイン料理の本、ヨーロッパっぽいデザイン(?)の革のジャケットとブーツを購入する。

そしてラウラに勧められた展覧会(19世紀にイタリアに渡って活躍したスペインの画家たちの特集)を見に行く。宗教画、風景画といった古典的ヨーロッパ絵画系から、原色を多用したもの、アフリカ人の肖像画、アラブ人のカフェなど、現代アートの息吹が感じられる作品まで、バラエティに富んでいて楽しめた。しかもタダ。

いざ、メキシカン・レストランへ! お母様にとってはメキシコ料理初体験の宵である。当初、お母様は好奇心とこわいような気持ちが入り混じり、メキシコ料理に挑戦することをためらっていた。

わたしが散歩中にもらったメキシコ料理店のチラシを穴があくほど見つめ、「メキシコ料理って辛いんじゃないの?」。「いや、辛くないのもいっぱいあるよ」とわたし。「最近、はやっているのよ」とラウラ。「初めて中華料理を食べたときも、ちょっとためらったけどおいしくて、今じゃ大好物なの」とお母様。結局、好奇心が勝った。

金曜日の夜、レストランは若者たちなどで大混雑していたが、運よくほとんど待たずに席をゲット。最近、メキシコ料理を食べるのが流行しているそうだ。「適当に頼んでね。わたしたちはよくわからないから」とラウラが言うので、代表的な料理をみつくろってオーダー、ほどなく料理が運ばれてきた。

それぞれのお皿に分けるのはわたしの役割だが、お母様の視線がわたしの手に突き刺さる。「ねえ、ラウラ、手伝ってあげたほうがいいんじゃないの?」。お母様はじっと待っている時間が100年に感じられているようだ。熱い視線をまともに受け、手が震えそうになりながら、ついに分け終えた。ホントに長い時間に感じられたわ…。

それから「もう食べられない」と口々に言い続けながら、わたしたちはすべてを食べ尽くした。もちろん大量のデザートまで…。

第五日目
ラウラが長距離バスターミナルまでクルマで送ってくれる。彼女と話していると、同時に同じことを言いあったりする。気があってるわたしたち…。感涙のお別れ…ではなく、あっさりとしているのがよい。きっとまた会えるもんね。

ゴージャスなバスに乗ってマドリードへ。車中爆睡。

荷物を預け、マドリードの街をお散歩+CDショッピング。マドリードの中心地、「SOL」の近くの巨大デパート「EL CORTE INGLES」とフランスから来た「FNAC」(音響製品、書籍などを扱っている)で、CD合計10枚ご購入。

外に出るともう夕方、大通りに飾りつけられたイルミネーションに電気が入り、ぼんやりと光っている。そう、クリスマスが近づいているのだ。空はまだ少し青く、弱くなった太陽の光を受けて白い雲がピンクに染まっている。ちょっとロマンチックな気分になり、暮れていくマドリードをしばし散歩(ロマンチックになっても、やることはいつもと同じお散歩だが)。

チャマルティン駅から夜行寝台列車に乗り、パリへ向かう。せっせと日記を書いていたら、車内販売のワゴンがやって来た。余った80ペセタ(約70円!)で何か買おうとするが、80ペセタで買えるものは何もないという。

当然…と恐れ入って身を引いたら、「そうもいかないだろう。このポテトチップの小袋は220ペセタだが、えーい、このさい交換だ」と販売員のオヤジ。

何が「そうもいかない」のかよくわからないが、これがラテンのスピリット!「多く支払う人もいれば、少なく支払う人もいる。人生はそんなもんだ」と言いながら、オヤジは鷹揚なしぐさでポテトチップを差し出した。

「そうか、日記をつけているのか。それならこのことを忘れずに書いておきたまえ」。豪快に笑いながら、立ち去る彼。日記だけじゃなくて、ほら、こうしてインターネットのホームページにまで書いちゃったんだから!

寝台列車で同室になったおばさんは、列車が動き出すとおもむろに『HOLA』と『SEMANA』(どちらも『フライデー』と『女性自身』を掛けあわせたようなスペインの写真芸能週刊誌)を取り出し、熱心に読みはじめた。日記を書き終えてぼーっとしていると、「読まない?」と『HOLA』を差し出してくれので、ご好意をありがたく受ける。読みはじめるとわたしも熱中…。へえ、マイケル・ジャクソンが再婚したのね…。スペインの旅は、芸能週刊誌とともに終わった。

日本に帰ってから、ラウラから手紙が来た。「母はすっかりメキシコ料理が気に入ったみたい。あのすばらしい『晩餐』のことを会う人ごとに話しているわ。『あなたがこの家にいた数日間はとても楽しかった』と今でも言っているの。短い時間だったけど、母だけでなく、わたしたちの友情も深まったし、すばらしい再会だったわ」。

同じことをわたしも思っている。ありがとう、ラウラ、そしてお母様!

次はフランスへGO!

旅行した時期は
1996年10月〜11月です。



旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
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