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小笠原雑記その1〜出発から到着まで

2007/2/25


「ホテルから、特別室を一室、ご提供いただきました」。

予約受付担当の若い男性は、厳かな口調で、そう言った。昨日、電話したとき、別の声の人は、ニベもなく「もう満杯」って答えたけど、なんか呼ばれているような気がして、もう一度かけてみたら、この返答。2人じゃないと申し込めないというので、即座にともだちに電話したら、すぐつかまった。

運命の予感。「予定がある」と渋る彼女を口説くこと5分ほど。日ごろの鍛錬? 声の高低を使いわけ、トークのエッセンスを振り絞り、そして、彼女はおちた。

ちょっと前、別のともだちから頼まれて、旅行本のお手伝いをしたんだけど、そのとき、過去の旅行をすっかり忘れていたコトに、我ながらビックリした。メキシコで泊まってサイコー!って思ったホテルが思い出せない。で、自分のホームページを読み返してみた。

書いておかないと、どんどん忘れていく。ただ、最近は書くことが、ミョーにめんどくさかったりする。たぶん、気が済んじゃったからだと思う。書きたいコトは一通り書いちゃったし、いまは、肌ざわりがザラザラするような現実のほうが、興味がある。

ただ、小笠原については、ほんの少しでもいいから、断片的にでも、書いておきたいと思う。

定刻で25時間半、ちょっと遅れて26時間くらいの船旅。
海はちょっと荒れて、けっこう揺れた。

っていうことは、後から考えてみると、到着した
日は、島にも波はあったということだった。波乗りするには、到着した日が一番よかったみたい。

でも、波乗りよりしたいことがあった。ビールと島寿司。船の中だと気持ち悪くなるかもしれないから控えていたビール。揺れから開放されて、島寿
司食べながら、飲んだビールは、ホントにおいしかった。

島寿司は、醤油につけたサワラの
お寿司。ワサビじゃなくて、カラシを使うのがポイントなんだそうだ。

次は夜飲むビールの確保。
スーパーに行くと、BGMは、いまどきほとんど耳にしない、1960年代後半〜1970年代のアメリカン・カントリー・ロック。『限りなく透明に近いブルー』とか、片岡義男とか、そういう時代の音ね。

小笠原がアメリカから日本に返還されたのが1968年。もう30年近くも前のことなのに、なぜ
、いま、アメリカン・カントリー・ロック? 基地の匂いがした。 

船が着く、二見港の近くにある公園は、日本ぽくないな。バスケットのゴールがあって、ヤシ
の木があって、基地の「ハウス」みたいな一軒家もあり、くすんだ赤い建物あり、そして、背景の山の頂上近くに神社が謙虚に構えてる。

ところで、ホテルの「特別室」について。ホテルというよりは民宿だった。「特別室」に
はソファの代わりに重宝したエキストラ・ベッドがあって、ユニットバスが付属していた。ホテル内を探検してみたけど、どうやら、「特別室」じゃない部屋との違いは、そのくらいだったんじゃないかと思う。

この質素な「特別室」から、小笠原の旅は始まった。




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