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日本大使公邸人質事件について |
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ペルーのテレビ局は、必死の取材合戦を繰り広げながら、一方で天下の大事件を題材にしたメロドラマの企画を練っていたかと思うと、さすがだなあ…と感心してしまいます。 切り替えが早く、割り切りがよく、あきらめもよく、打たれ強く、物事にこだわらず、どんなことでもプラスに転換しようとするポジティブな姿勢を持ち、楽しんでしまう楽天的なペルー人らしさは、こんなエピソードによく表れているような気がします。 マイアミの旅行代理店で、リマ行きの飛行機のチケットを買おうとしたときのことです。アメリカ系の航空会社よりも、ペルー航空のほうが60ドルほど安いので、ペルー航空を使ったらどうか、と代理店の担当者に勧められました。彼女はマイアミに住むペルー人。 わたしは迷いました。ペルー航空は、そのちょっと前、大きな墜落事故を起こしたばかりだったからです。 「そうね、でも(アメリカ系の航空会社の)マイレージカードも持っているし、やっぱりペルー航空はやめとくわ」 そうわたしが言うと、彼女はわたしの目をじっと見つめて、言ったのです。 「事故のことを心配しているのね。でも未来を知っているのは、神様だけよ。要するに、飛びたった飛行機が天に着くか、地上に着くかの違いだけ」 そう、「天に着くか」とは、神様に召されるという意味です。 「天に着くか、地に着くか」というのは、まあ、一種のブラック・ユーモアでしょうが、「割り切りとあきらめ」に基づいたペルー人らしい発想だと思います。 保証人委員会の平和解決への努力が切実だったからこそ、最終的にフジモリ大統領の決断は国民から支持された。友人として政治家・フジモリは支持しても、大司教の立場からは強権的な手法は認めがたいというシプリアーニ大司教の立場もまた人々の共感を呼んでいる(後略)」 (97年4月25日、日本経済新聞夕刊「ニュース複眼〜大司教あっての大統領支持」より引用) シプリアーニ大司教が「MRTAメンバーもまた神の子である」とおっしゃっていたこと、武力突入後の記者会見で彼が流した涙を忘れることはできません。 MRTAの若いメンバーたちは、「(事件の成功報酬として)もらったお金で小型バスを買い、コンビ(ミニバス)の運転手になりたい」「土地を買ってコーヒー園をしたい」「事件が終わったら軍に入りたい」「キューバでコンピュータを勉強したい」「日本の警察官になりたい」と、将来の夢を語っていたそうです。 せっせと日本語を習い、ひらがなが読めるようになったMRTAメンバーは、「おはようございます」と挨拶していたといいます。 武力突入のさい、MRTAメンバーのひとりは、潜んでいた人質に銃口を向けましたが、発射できず、直後に射殺されたのだそうです。 武力突入により、若いMRTAメンバーたちの夢は消えてしまいました。しかし、ペルーにはささやかな夢もかなえられず、貧困にあえいでいる若者が、まだまだたくさんいるのです。意気揚々と武力突入計画の説明をしたフジモリ大統領が、今後、若者のよりよい将来を切り開いてくれることを願ってやみません。 MRTAのリーダー、セルパ容疑者は、妻の釈放にこだわったがために、事件を長引かせてしまったように思います。事件が長引くあいだに、政府はMRTAメンバーたちの心理を分析、ある意図を持ってスポーツウエアやボールを差し入れました。リマの庶民に人気のサッカーチームのユニフォームが差し入れられてから、メンバーたちがサッカーに興じる時間が増え、MRTA組織の統率が乱れ始めた…という報道もあります。 妻の釈放にこだわるあまり事件を長引かせてしまい、大事件の犯人たちが人質とともにサッカーに熱中していたそのとき、軍部が武力突入…。家族の絆を大切にし、サッカーが大好き、そんな楽天的な武装グループが起こした、4か月にも及んだ日本大使公邸人質事件は、悲しいほどラテンアメリカ的な結末だったように思います。 このごろは嫌な事件が次々に起こり、日本大使公邸人質事件は、すでに「終わったこと」になってしまったようです。しかし、この事件で浮き彫りになった数々の問題点は、そのまま残っています。 特に日本政府の「援助のあり方」については、改めなければいけない点が数多くあるように思われます。日本政府は援助を続けるだけではなく、援助資金がどのように使われているか、内政干渉にならない程度に、援助をしている国や政府の問題点を追及する姿勢を持たなければいけないと考えます。そして、わたしたちは、そういった姿勢を持つ政府を選ぶ義務があるのではないでしょうか。 |
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