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男子禁制女性的旅ROOM 2号室

オープン1周年記念企画として4週にわたり、「コソ泥くんとわたし」を連載します。今まで出し惜しみして(?)ましたが、これでわたしがあった「痛いめ」のすべてがわかる!? 

その1〜カラダよりおカネ
(6/1/98)
その2〜やみ両替でアブハチ取らず
(6/8/98)
その3〜身ぐるみ剥がされたら
(6/15/98)
最終回〜まとめ
(6/22/98)


その1〜カラダよりおカネ
(6/1/98)

スペインのサラマンカ(スペインの北西部に位置する古都で、学問の都)と、アンダルシアのマラガ、2か所の語学学校に通ったことがあるのですが、治安のよさはやっぱりサラマンカに軍配!だと思います。

スペインといえばアンダルシア、もっとも「スペインらしい」と言われるところで、ディープです。まあ、スペイン人は一般的にどんぶりですが、南のほうは、さらにどんぶり。所得は低め、失業率は高めで、「コソ泥くん」がそちこちに出没します。

道を歩くとき、バッグは歩道側にかける(通りすがりのバイクが、バッグをかっさらっていかないように)など対策はいろいろありますが、語学学校の生徒たちは軒並み、「コソ泥くん」たちの被害にあいました。そうです、わたしもそのひとり。

背中にしょったリュックの中に入れていたおさいふ、気がついたらなかった…っていうケースなので、不注意以外の何ものでもない、反省の巻。そう、日本では「リュックにおさいふ」は当たり前だけど、外国では御法度です。後ろから近づいて、カンタンに持ってけちゃうもんね。

クラスメートたちも、似たり寄ったりの状態で、みんなぼーっとしてたのかもしれないけど、毎日のように「誰々が何々を盗られた!」ってニュースが駆け巡る。で、あるとき、「討論」の授業で、ドイツ人生徒が質問した。

「マラガには、どうしてこんなに泥棒が多いんだろう?」

先生が「仕事がない」とか、「(スペイン)北部に比べて、アンダルシアは産業が少ない」とか、いろいろ答えていたら、別の生徒がこんなことを言った。

「コソ泥は多いけど、レイプされたって話は聞いたことがない…」

「カラダよりおカネなのよ」

一瞬、間を置いて、先生はそう答え、「ガッハッハッ…」と豪快に笑った。

確かにゴーカンしても、お腹が空くだけで、買い物もできない。とにかく目先のおカネが必要だから、スキがある人をみつけて盗る。欲求5段階説でいえば、低い次元の欲求から満たしていかなくちゃいけないからね。

「だけど…」。わたしはふと考える。ラテンのオトコたちとしては、むりやりやっちゃうなんて、プライドが許さないんじゃないかしら。彼らはいい加減そうに見えて、けっこう繊細なとこあるし…。むりやりやるくらいなら、口説きまくって、自分の魅力にほれぼれさせてから、いい思いしたいって…ね。

あと、「カネは天下のまわりもの」っていう意識があると思う。「ボーッと歩いている旅行者から、ちょっとくらいお金もらっちゃっても、いいじゃん。大金をねこばばするわけじゃなし、向こうはお金に困ってないんだからさ」っていうような…。

理由もなく銃を乱射して、何の関係もない人たちを殺してしまうような、そういう犯罪に比べたら、わかりやすいし、憎めない。でも最近は(このエピソードを経験したのは、1991年です)、日本だけじゃなくて、スペインでも「アメリカ的(?)理由なき殺人」が増えているらしい。インターネットでグローバルするのはいいけど、犯罪がグローバルしちゃうのって、何か切ないなあ。

盗られたおさいふには、お金はほとんど入っていなかったけど、クレジットカードとスペインの銀行のキャッシュカードが数枚入ってたので、日本のクレジットカード会社や、「パリにある緊急何とか連絡オフィス」みたいなところや、スペインの銀行などに電話をかけまくって、全部止めました。どんぶりながらも言葉が喋れてよかった!っていうか、火事場の馬鹿力っていうか…。

念のため、警察に被害届けを出しに行ったら、大混雑。やっぱりみんないろいろ盗られてるのね。隣りに座ってたおじさんは、仕事で使う道具一式を積みこんだクルマごと盗られて、頭を抱えていました。

数日後、わたしのおさいふは"EL CORTE INGLES"(スペインで一番有名なデパート)の前のゴミ箱で発見されました。(もちろん)現金はなくなっていましたが、クレジットカードやキャッシュカードは、悪用方法がわからなかったのか(?)、そのまんま入ってました。

ちなみにマラガの町を歩いていると、カーステレオを(手に持って)ブラ下げながらお買い物してる人をよく見かけました。さてなぜでしょう? クルマを停めている間、カーステレオをつけっ放しにしておくと、けっこう盗まれちゃうんですね、これが…。

関連リンク 女性ひとり旅って不安だから、ヒント

その2〜やみ両替でアブハチ取らず(6/8/98)

カリブ海って、いちどは見てみたい!とずーっと思ってて、ホンマもんのカリブ海…が目の前に拡がったときには、わーっと叫びながら、両手を広げて、どこまでも走っていきそうに興奮しちゃいました。

さてさて、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」とかいうけれど、この旅行もまさにそういう感じ…。きれいな海三昧したり、水中ランバダしたりetc., etc., さんざん楽しんだ旅の半ば、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴの街中で「事件」は起こったのです。

「銀行で(ドルを)ペソに替えるなんてもったいないよ。ボクたちが両替してあげる」

ストリート系の若い男のコたちが、声をかけてきて、話を聞くと、銀行より1.5倍くらいお得なレートで両替してくれるっていう。「そりゃ、ラッキー!」というわけで、本格的に交渉に入ったら、だんだんレートが下がっていく。「話が違うよ」「いや、違わない」と、ドル札片手に揉めまくってたら、別の男のコたち…「グループB」がやってきた。「じゃあ、ボクたちと両替しない? キミが言うとおりのレートで替えてあげるよ」

でも、いざ「グループB」と取り引き(?)する段になって、ペソに両替するための<わたしのドル札>がないことに気がついた。最初に声をかけてきた「グループA」と、「レートが違う」「違わない」と揉めていたとき、いったん相手に渡したドル札を取り返したはずだった。が、ない。

「よくさがしなよ」

「でもないのよ。さっき確かにポケットに入れたんだけど・・・」

「道のまん中じゃなんだから、ちょっと奥に入ってさ、落ち着いて探そうよ」

グループBの男のコたちは、自分たちのビジネス(?)がかかっているせいか、何だかとってもやさしい。

でも残念ながら、<わたしのドル札>(US$50くらいだったけど)は見つからなかった。取り返したドル札をポケットに突っ込んだとき、突っ込みかたが甘くて落ちたか、「グループA」のだれかが注意力散漫になっていたわたしの様子をチェックしてて、うまーく持っていっちゃったか・・・。そう、両替するためのドル札はなくなり、もちろんペソに替わったわけでもなく、アブハチ取らずの状態。おいしい話、転じて災いとなるの巻。

「それじゃあ、街を案内してあげるよ」

がっくり肩を落としたわたしに、「グループB」の男のコたちは、それでもなおやさしかった。「ボクたち、実は観光ガイドなんだよねー」とか言いながら、スペイン植民地時代の面影が残る、サント・ドミンゴの旧市街をいろいろ案内してくれて、思わずウルルンしてしまいました。

このときの旅行(1990年)では、ドミニカ共和国、プエルト・リコ、バハマなどを2週間でまわったのですが、やっぱりいちばん印象に残ったのは、ドミニカ共和国。時間がたつと、「いいこと」のほうが残っていくんですよね。いまになってみると、「ラテンアメリカ」にハマるキッカケになったような気がします。で、NGOを通じてのささやかな援助を始めたときも、迷わずドミニカ共和国を選びました。

追記:1996年にサント・ドミンゴに行ったとき、こういう「やみ両替屋さん」はぜんぜん見かけなかった。やみ両替がそんなにおいしい商売じゃなくなったのか、ただ会わなかっただけなのか、そのへんのことはよくわからないけど・・・。

関連リンク ドミニカ共和国

その3〜身ぐるみ剥がされたら(6/8/98)

1991年の9月か10月、場所はチェコのプラハ。まだベルリンの壁が崩れて2年しかたってなくて、やっと資本主義が始まったばかり、チェコとスロバキアが分離してなかったころのこと。歩いているだけで、山ほどおもしろいことに出会える状態だったけど、まあそれはまたの機会にご紹介するとして、悲劇はプラハの最終日に起こりました。

その晩の夜行列車でプラハを離れる予定だったので、まず駅に行き、荷物を預けてから、プラハ近郊のポジェブラディという町(ミネラルウォータが有名なプラハ近郊の小さな町)へ。「荷物預かり」(人が番をしている)が見当たらなかったので、コインロッカーに荷物を入れたのが運のツキだった。

楽しい一日遠足からプラハに戻って、ロッカーの中を見たら、空っぽ…。

そういえば、ロッカーの使い方がわからなくって、ガタガタやってたとき、「これはこうやって暗証番号を合わせるんだよ」と教えてくれたオッサンがいた! 「ありがとう!」なんて言ったわたしがバカだった。彼は暗証番号をチェックして、わたしの姿が見えなくなるやいなや、全財産が入ったバックパックを持ち去ったに違いありません(パスポート、いくらかの現金、クレジットカードなどは身につけていたので無事)。

これからどうしよう。背筋に冷たいものがスーッと落ちていき、なぜかわたしは走り出した。ホントに意味はなくて、ただ走りたくなっただけだったんだけど…。それから警察に行った。

お巡りさんは英語がほとんどできなかったけど、「荷物をほとんど盗られた」っていうことはわかってくれて、「とくかくちょっと待て」という。しばらくすると偉そうな人が何人かやってきた。黒塗りのハイヤーみたいなクルマに乗って、石畳でデコボコしたプラハの街を、ガタガタ揺れながら走り、別の場所に向かう。ぼんやりと灯る街灯に浮き上がる街並みは、こわいくらいキレイで…。

到着したのは「本署」らしかった。取り調べ室のようなところに入り、再び待つこと数十分、そうして「彼」がやってきた。

第二次世界対戦中に通訳として活躍していたという彼、帽子(「外国人紳士」がかぶるような、昔風なやつ)を脱いで、ハンガーにかけると、「レディース・アンド・ジェントルマン」状態、流暢な英語で自己紹介、<わたしたちがしなくちゃいけないこと>を教えてくれた。

「盗難にあったときのこと、これから詳しくお伺いします。お時間をとらせて申し訳ないのですが、協力していただけますか? それではさっそく・・・」

彼が言ったとおり、取り調べ(?)はホントにホントに、詳細を極めた。盗まれたバックパックに入っていた「持ってたものリスト」を作るというのだが、例えばTシャツなら、枚数はもちろん、一枚一枚のサイズ、色、どこの国製か・・・と尋ねてくる。それをTシャツからパンツから、カセットテープから化粧品から、何から何まで伝えて、「彼」が訳して、警察官がタイプライター(!!!)に打ち込んでいくのだ。質問が入ったりすることだってあるし、一品づつこれをやってくと、気が遠くなるような時間がかかる。

「さすが、つい最近まで共産主義やってただけあって、気が長い・・・」

(なんで共産主義=気が長いになるんだか、突っ込まれると困るけど、ソ連=寒い=忍耐強いって感じ。あと、なかなかモノが買えなくても、ちゃんと並んで待つイメージとか)

「彼」も、警察官も、疲労感を見せることなく、精力的に仕事を続ける。しかし夜明けが近づいてきたころ、さすがに「そろそろやめようかモード」になった。

「もう朝も近いし、これからホテルに泊まるのはもったいない。このへんのホテルは高いのであります。ここ(警察署)に泊まらせてもらえるよう、わたくしが頼んでさしあげましょう」

古風な英語を喋る「彼」は、とっても親切で、気持ちを和ませてくれた。詳しい会話の内容は忘れちゃったけど、いろいろ世間話もして、「彼」が住んでいるアパートの家賃も教えてくれた(いくらだったかなあ)。しかし別れのときは来た。例の「外国人紳士」がよくかぶる帽子を手にとって、「それでは、わたくしはそろそろお暇いたします。このさきのご旅行が、すばらしいものでありますように、心からお祈りする次第でございます。ご機嫌よろしゅう」

「彼」は去り、わたしは取り調べ室(?)のソファに転がって、そのまま深い眠りに落ちた。

最終回〜「コソ泥くんとわたし」まとめ(6/22/98)

プラハで身ぐるみ剥がされたわたしのその後…。

警察で数時間仮眠、コーヒーの香りで目を覚まし、町へ出ました。多分、いつものようにどこかでキッチリと朝食を食べたはずです。

この日は土曜日、なんとしても!午前中に買い物して、身の回りのものをひと通り揃えなくちゃ(デパートは土曜日午前中で閉店、日曜日も開かない)…。「プラハの三越」みたいなデパートに行って、旅行用バッグ、タオル、スパッツ、Tシャツ、下着etc., etc., 買い物しまくりました(身につけてたパスポート、現金は無事だったからね)。

荷物がないって、とっても心もとない感じ。旅行用バッグを購入したときは、なんだかホッとしました。で、バッグを持つと、今度は中に何か入れたくなってくる。下着やタオルじゃかさばらないから、包装紙までたたんで入れたりして…。

荷物をぜんぶ盗られたときは、全身から力が抜けました。無防備だった自分に腹もたったし、後悔もした。「もう日本に帰っちゃおうかな」ってちょっと思ったけど、このまま帰るのもなんか悔しい。結局、そのまましばらく、ヨーロッパを「放浪」(?)したんだけど、スイスで会った男のコがジーパンくれたりして、荷物はだんだん増えていきました。

ムカついたいのは、日本の超大銀行の対応です。実は荷物のなかに「トラベラーズ・チェック」を数千ドル分入れてました(アホでしょ?)。今みたいにシティバンクのカードや、クレジットカードで現地通貨が引き出せるような時代じゃなかった(1991年)から、とりあえずトラベラーズ・チェックにして持ってちゃったんですね。さすがに厚くて腹のなかの貴重品袋に入りきれなかったので、荷物のなかに入れといたら、盗られちゃった。

盗まれたトラベラーズ・チェックのうち8割が日本の超大銀行で、残り2割がCITI BANKって感じだったかなあ。CITI BANKは少額だったせいか、すごーく感じよく、迅速に再発行してくれた。それに引き換え、日本の超大銀行は!!! 結果的には、再発行されたけど、CITI BANKに比べて、100倍感じ悪くて、100倍遅かった。

日本の超大銀行の海外の支店で、駐在員の日本人と話したけど、なんていうのかな・・・いかにもエリートって感じ。冷たくて、マニュアル通りに答えるだけ。「申し訳ございませんが、致しかねます」みたいな言い方するんだけど、慇懃無礼っていうか、こころがないっていうか…。

海外で困ったとき、日本人より外国人のほうがやさしかった…って、よく聞くハナシだけど、このときのわたしもまさにその状態。まあ、このへんのことは、また次の機会に書くことにしましょう。

さて話は戻ってトラベラーズ・チェックの再発行。なかなか再発行してもらえなかったトラベラーズ・チェックはインターナショナルなCITI BANKやVISAじゃなくて、その超大銀行が発行する日本円のトラベラーズ・チェックでした。まあ、あれから7年もたってるし、日本版ビッグバンの時代だし、超大銀行の対応もすこーしはよくなってるかもね。

ここでクイズ。その銀行のイニシャルはTMで、東京だと渋谷に支店があって、日曜日でも外貨に両替できるCD機がウリです。もうわかっちゃうよね。

ところで、今回の「コソ泥くんとわたしシリーズ」のエピソードを復習してみると、痛い目にあったのは、1990〜1991年に集中してるんですね。そう、そのころはちょうど個人旅行に慣れ始めていたころ。

クルマの運転とか、スキーなんかでもよく言われるけど、「ちょっと慣れ始めたころ」がいちばん危ないんですよね。まあ、このへんで痛い目にあったおかげ(?)で、その後は今のところ順調です。

あとあのころは、あんまりいい状態じゃなくて、運を身につける力がなかったんです。やっぱ、「盗りやすそうなヤツから盗る」「スキのあるヤツから盗る」のが、コソ泥くんたちの基本。サッカー見てても思うけど、ちょっとした一瞬のスキをつかれて、点を入れられちゃう。

個人旅行でも「スキ」を見せないためには、けっこう力を使います。自分に「運を味方につける力」がないな…って感じるときは、あっちこっちフラフラしないで、リゾートでのんびりするとか、温泉行くとか、したほうがいいかもね。これからも気をつけながら、旅行を楽しみましょう!

関連リンク 女性ひとり旅って不安だから、ヒント

 

旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
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