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02/03/2003


虹口〜旧日本人居住区


−3日め−

<上海大廈で朝食>
朝っぱらからの中華ブッフェは、これでもか!のボリュームで、多種多様なお料理が並んでいた。ただ、ちょっと冷めてて、お味のほうはいまいちかなぁ。っていうか、廉価な食堂+屋台味覚になっちゃったのかも。なーんて思いながらも、しっかり全種類いただきました。

隣りのテーブルで、日本人のおじさんが喋る声が聞こえてきた。
「日本人は、まず、他人のことを考えて行動する。それに比べて中国人は・・・」。
説教チックな展開に興醒め。すぐ、そういう言い方するんだから・・・。お料理が冷めているように感じられたのは、この会話のせいかも。しかし、その後、このオヤジの気持ちがよーくわかる!と、ひとり頷きたくなるような出来事に何度も、何度も遭遇することになるのでした。

名残惜しいけど、チェックアウトの準備をした。未練たっぷりに、何度も、窓の外の外灘(バンド)の風景を見た。その右側の、何の変哲もない、普通の建物のひとつひとつまで、妙なくらい、いとしくなってくる。曇り空の下にひろがる上海の街・・・。上海を見下ろしているんだ。

ホテルを出て、交差点を渡ったところで、もう一度、振り返った。上海大廈、ネオ・バロック様式の外観を持つ浦江飯店、そして赤い屋根のロシア領事館・・・。古い建物が静かにしのぎを削るその場所には、何か強い力が、絶対的に存在している。離れられなくて、しばらくたたずんだ。金縛り的な感覚も、ちょっとある。その強い力は、精霊? かつて、ここで、何かが起ったことを予感させるような・・・。それは、歴史的な事件じゃなくても、例えば、川島芳子にとっての日常的な出来事の断片なのかもしれない。イマジネーションは、膨らむだけ膨らんで、軍服姿の彼女、その靴音が聞こえてくるような気にさえ、なってきた。

さて、ひとたびその場所を離れると、すっかり、フツーの日常、お散歩モードに戻り、またまた外灘→南京東路を通って、今日の宿泊場所 "Seventh Heaven Hotel" へ向かった。ステキな名前でしょ。実際はかろうじて?星ふたつの経済的ホテルなんだけど、名前と立地条件のよさ、加えてお安いのが魅力。

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ホテルに向かう途中、昨日、チェックしておいた靴屋でブーツを買った。皮らしきブーツが、なんと!75元、1000円ちょっと!!! 半信半疑で手に取ると、さっそく店員のおばちゃんがやってきた。

「ヒツージ、ヒツージ」。
むか〜し、高見山が、丸八真綿のコマーシャルで、「2倍!2倍!」と言っていたときのようなアクセントで、2音節めにアクセントを置いて繰り返す。それが、羊皮であることを理解するまで、ちょっと時間がかった。

「あっ、そっか、羊か。来年の干支は羊だもんね」。

おばちゃんには到底わかるはずがないことをひとり呟いたが、そんなことは意にも介せず、更にもうひとりのおばちゃんが加わり、わたしを木のスツールに座らせると、両脇から挟み撃ち状態で、試着(試足?)を開始した。履いていた靴を脱がせると、最初のおばちゃんはわたしの左足に、別のおばちゃんは、別のデザインのブーツをわたしの右足に履かせる。結果は、最初のおばちゃんの勝利。初志貫徹、最初にチェックしておいた、シンプルなデザインの1000円ブーツを買うことにした。

代金を払い終えると、おばちゃんは満面の笑みで、わたしを見送った。カーボンの3枚綴りの伝票は、レジで1枚保管、あとの2枚は、おばちゃんとわたしが受け取ったから、おばちゃんにはキックバックがあるんだろう。めでたし、めでたし。

"Seventh Heaven Hotel"にチェックインし、荷物を置き、虹口へ出発! すでにお腹が空いていたので、人民公園駅近くの屋台で、小籠包と羊肉の串焼きを食べた。小籠包尽くしな今回の旅行、すっかり小籠包通になり、味の違いがわかるようになってきた・・・。と書きたいところだけど、食べれば食べるほど、わからなくなってきた。昨日、1時間半以上並んで食べた南翔饅頭店の小籠包と、5元と引き換えにすぐ手渡された屋台の小籠包、その違いは!?!?

ただ、羊肉の串焼きに関しては、南京東路をバンド方向に歩いていった中程左側にあるお店のほうがおいしかった。南京東路のお店は、ちょっと待つけど、ちょっとだけだし、臭みもないし。それに、串焼きを食べ終わると、お店の前で待機しているティッシュ売りのおばさんが、絶妙なタイミングでティッシュを差し出すのね。その瞬間の微笑みと、タイミングの鮮やかさがサイコー!

地下鉄の駅に向かう途中、いつもと違う入口があったので、試しに階段を降りてみたら、突然、1930年代の上海に迷い込んだ。暗い通路に、バーや、骨董屋が並んでいる。ついに!願望が現実になったのか!?と一瞬思ったりしたけど、よくよく見れば、「ナンジャタウン・上海バージョン」ってな感じ。観光客が求める古き良き1930年代の上海を、軽〜くテーマパーク風に再現してみました・・・みたいな。でも、タイムスリップ感覚を味わえて、ちょっとしあわせ。

虹口は、旧日本人居住区。各国が上海に租界を作ったあの時代、例えば日本なら虹口、フランスなら(今で言う)地下鉄陜西南路駅の近く、それぞれの国のテリトリーに分かれていたという。虹口には、日本陸戦隊の司令部や、神社、ダンスホールがあったとか・・・。

明珠線の虹口足球場駅で降りると、2006年のワールドカップで世界制覇を狙う?中国の意欲がヒシヒシ伝わってくる大サッカー場があって、関係ないけど、場外で、おばさん+おじさんたちが喉自慢大会をやっていた。歌に合わせて社交ダンス的にペアで踊る。なんか、のんびりしてて、昔ながらの娯楽って感じ。『シャル・ウィ・ダンス』みたいなロマンもあったりして、しばらく見てた。

サッカー場の近くの魯迅公園に入ろうとしたら、門の隣りに旅行代理店があったので、周荘行きのツアーがあるか尋ねてみることにした。人民広場の近くの旅行代理店でも訊いてみたんだけど、曜日が合わなかったのね。ちなみに、周荘は上海郊外にある水郷の町。

旅行代理店の担当者の彼女は、島根県の縫製工場で2年ほど働いていたんだそう。ラッキー!日本語が話せる。「日本人、親切、大好きです」。

ギリギリの日本語ながら、ツアーの予約作業は、着々と進んだ。今日は12月29日、12月31日のツアーなんてあるんだろうか?と半信半疑だったりもしたけど、あった。まあ、運がよかったのかもしれないけど、今回の旅行、年末年始絡みで特別料金を請求されたり、混んでいて動きがとれないってことが、まったくなかったの。

ツアーの予約はパソコンで。最後の過程にきて、彼女が戸惑いの表情を見せた。席は空いているのに、予約ができないという。
「あっ、だいじょぶ、だいじょぶ」。
どうやら、クリックするところを勘違いしたらしい。無事、チケットが打ち出された。彼女、ほわっとしていて、いい感じ。脱力系っていうか、和み系っていうか・・・。たとえば、日本人はたくさん来るの?と尋ねると、ちょっと考えてから、「月に10人くらい」と妙にキッパリ、几帳面に答えたりして。

この近くにあるらしい、魯迅故居の場所を尋ねると、「あっち」を指差す。それ以上を探り出すのはむずかしそうだったので、とりあえず、彼女が指差した方向に向かってしばらく歩くと、日本租界があったという山陰路に出た。

プラタナス?の並木と、点在する洋館。でも、色褪せた赤い瓦の三角の屋根はどこか日本的。それでいて、屋根とお揃いの色で塗られた窓枠などの雰囲気は、やっぱり西洋的。和洋折衷、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。このあたりに陸軍の司令部や、ダンスホールがあったのだろうか。「森本」「金谷」など、日本の苗字がついたお店の看板があった。もっと何か当時の日本租界の痕跡はないかなって、延々歩いていったら、ピザハットがあるような、繁華街に出ちゃった。戻る。

戻りながら、ロングに引いた感じで自分が歩いている並木道を見たら、どこか日本っぽくて、ふっと昔に引き戻される感覚がきた。わたしのイメージの中にある、当時の外地。静かな冬の散歩道のどこかで時間の軸がねじれて、渦巻いているような・・・。ま、今日で上海に着いて3日め、中国語はわかんないし、ほとんど日本語も喋らないで、ひたすら昔の上海の断片を求め続けてているもんだから、ある意味、メンタル・トリップ状態に入っちゃったのかもしれない。

お腹が空いたので、魯迅公園の近くの食堂でお昼を食べることにした。使い捨て容器に、ゴハン、角煮、油菜などの野菜を、大雑把にドカンと入れてもらって、4元、60円くらい。ガシッと食べ尽くすと、なんか、生きてる!って感じがする。

そういえば、山陰路にあるはずの、魯迅故居が見当たらなかった。漢字を書いて、何人かに尋ねてみると、微妙に指差す方向が違うので、今度は、別の道、四川北路を同じ方向に向かって歩いてみた。しばらく歩いたが、ない。そのうち広場に出て、何の気なしにその奥に入ってみると、骨董屋などが並ぶレトロな街並が現れた。レトロなんだけど、こじゃれてて、カフェやレストランが並んでいる。東京でいえば、青山っぽい雰囲気。

「あった〜!」。
昔ながらの、長屋風3階建てアパートの前の電柱に、「仁丹」の看板が!!! そこには「消化と毒けし」と日本語で書かれてあり、ヒゲを生やしたおじさんのイラスト付き。あともう1枚は、1930〜1940'sのアメリカの広告タッチの女性イラストと、デザイン文字で「GRL」(GIRLではなく)と書かれている。飛び上がらんばかりに喜びながら、昨日買った写ルンで、写真を撮った。デジカメと違って消去ができないし、枚数に限りはあるし、緊張の一瞬・・・。

でもね、後で冷静に考えてみると、この看板、磨かれているようで、ミョーにきれいだったんだよね。雰囲気づくりのために、保存してあったのをどっかから持ってきたような気がしないでもないけど、ま、いいか。

しばらく歩いていくと、超中国的建物の教会(鴻徳堂)があったりして、このエリア、ホント、カッコいいです。わたしが持っていったガイドブックには載っていなかったけど、帰ってきて、別のガイドブックを見てみたら、あった。多倫路っていう名前なのね。おすすめ。

魯迅故居はなかったけど、思わぬ発見があって、ハッピー。で、まだ未踏だった魯迅公園に入り、魯迅博物館に行った。あんまり期待していなかったけど、ほの暗い照明の下、魯迅が生きた激動の時代の写真がきれいに展示されていて、またまたタイムスリップ状態になりました。地下鉄の駅にあった「ナンジャタウン・上海バージョン」にしても、ここにしても、ほの暗さがポイントなんだよね。それだけで、迷い込んだような感覚になる。わたしが単純なだけかもしれないけど。

残された課題は、ただひとつ、魯迅故居。警備員のおじさんに尋ねると、どうやら、やっぱり、最初に歩いた山陰路にあるらしい。そろそろ日も暮れかけていたので、そそくさと山陰路に向かった。さっき、歩いた道、しばらく行くと、あるじゃん、魯迅故居。

上海に着いてから、「共産主義の国にいる」って思うことはほとんどなかったけど、受付の女性は、共産主義チックだった。愛想のかけらもない。来訪者が来ると、鍵を開けて、護衛と彼女が案内してくれるシステム。「応接間」「寝室」などと、とてもシンプルに解説?してくれる。ここは、魯迅が1933年から、1936年10月に死去するまで、住んだ家なんだそうだ。亡くなって70年近くたっているっていうのに、生活感があるのがすごい。

ところで、すごい!って言えば、上海駅の地下鉄切符売場のカオス。ひとつしかない窓口に切符を買いたい人々が殺到する。わたしの親の世代なら、戦後の復興期を懐かしく思い出すのかもしれないけど、とにかく秩序が存在しない。

フツー、窓口がひとつなら、一列に並ぶでしょ。しかしここでは、おしくら饅頭状態で、押し合いへし合いしながら、窓口を目指す。買い終わった人はカオスから脱出しようとするけど、なかなか出れない。だって、その人を出すためには、その場にいて切符を買いたいが(少しは)身を引かなきゃならなくて、そうすると切符購入への道が(ほんの少し)遠ざかるもんね。そんなわけで、渾身の力を込めたせめぎあいが続くのだ。

わたしは絶対この窓口で切符を買ってやろうと意気込み、久しぶりに燃えた(こんなことで燃えてる場合じゃないけど)。ジリジリと窓口に近づくと、ガラスの向こうで、マジメで気が弱そうな駅員のお兄さんがひとり、せっせと切符とお金をやりとりしていた。この街で気が弱いと、生きていくの、けっこうたいへんかも。

そして、数分後。見事!切符を手にしたときは、誰も見てないっていうのに、ガッツポーズしちゃいました。切符買っただけで、こんなに達成感が味わえるって、やっぱ、すごい。

で、もひとつ地下鉄絡みですごいのは、席取り。大阪の笑い話で、電車の席を取るとき、おばちゃんが、「ウチ、そこ、座ってまんねん」って自己主張しながら、席めがけて走ったっていうのがあったけど、上海もそんな勢い。もう、ホント、怒涛なの。ダーッと走る。ええかっこしいの東京人は、ちょっと引きました。

たとえば、マックでコーヒー買うときも、カウンターに垂直に並んでいたら、どんどん横入りされるから、カウンターに沿って並んだ。それでも横から入ってくるから、肘鉄出して、防御しないと。これが日常茶飯事なんだから、エネルギーの量もすっごいよね。

今日は1日歩き回って、計4人に道を訊かれた。マックの前でコーヒーを飲みながらタバコ吸ってたとき、肉まんが入ってた袋をゴミ箱に捨てようとしていたときなど、素でいるときに、いきなり中国語で訊かれるから、一瞬固まる。中国語はできない、道はわからないことを簡潔に伝えるため、「アイ・アム・ジャパニーズ」と英語で答えることにしました。

地元?南京東路に戻って、今日も外灘(バンド)の夜景を見に行ったけど、日曜日って外灘のライトアップがないのね。ライトアップって人工的で、ちょっとイヤって思うこともあるけど、ライトアップしていないバンドは締まらない。遊覧船に乗るのは、明日に延期。南京東路の裏道を歩くことにした。

路地に入ると、気持ちあやしい雰囲気。さすがにここで食事するのはきついな・・・って風情の食堂とか、得体の知れないものを売っている小物屋さんとか。上海都市旅館っていうホテル?があって、シングルルーム50〜100元っていう看板が出ていた。もう少し広い通りにある★なしと思われるホテルは、シングルで138元。泊まってみようかとも思ったけど、虫がいそうでやめといた。前にラテンアメリカで虫に刺されたときは、半年くらい痒かったし、今でも跡が残ってるしね。

ホコテン、南京東路の喧騒をよそに、裏通りは静まりかえっていた。昔ながらの港町風な街並が、街灯に照らされて、ヌルっと輝く。


2003年1月現在、1元は、約14.5円です。

 


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