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06/23/2003


アデュー!上海


−6日め−
いよいよ上海最終日。今日は(2003年の)元旦です。さて、どんなめでたいことがあるか?! なーんて思いを馳せつつ?金門大飯店をチェックアウトし、6つめのホテル「衡山馬勒別墅飯店」へと向いました。いいホテルだろうな・・・と漠然と思ってはいたんだけど、想像を遥かに超えてすごかった。まだこのホテルを知らない人は、まず!ここをクリックして紹介を読んでみてね!

時の流れを超越したような、眩暈しそうなほど好み、レトロでクラシックなお部屋で、このままぼーっとするべきか、またまた散歩に出るべきか、舐めるようにまわりを見まわしながら、しばし考えた。自分の姿が見えないから言っちゃうと、すっかり気分は川島芳子。1階で待っている山家亨をじらせているってシチュエーションになりきったりして。

フロントへと降りる階段、その手すりの装飾のひとつひとつを抱きしめたくなる。ここにあるなにもかもを。

中国元が残り少なくなったので、新館に両替しに行ったら、「トゥディ ホリディ ノー マネー」と簡潔な答えが返ってきたので、銀行へ。元旦だけど、銀行はちゃんと開いてた。

初詣?しに静安寺に行ってみたら、ウルトラ工事中。旅行に行くと、何かと工事に当たることが多いんだよね。なんとなく、人生象徴してるような気がする。今年の運勢も工事中!? でも、どんな風にできあがるか(できあがらないか)って、たのしみがある。

リッツカールトンが入っている、今どきの新しいきれいなビルに、ユナイテッド航空があったので、一応、尋ねてみた。帰りの便の変更はできるかどうか。チケットを予約するとき、「出発後の変更は不可」って言われたような気がしたけど、念のため。そしたら、やっぱり、予約の変更はできなかったから、本当に今日がラストのお散歩。

で、この「上海商城」というゴージャスな建物、リッツカールトンの他にも、わたしにはまったく縁がないブランド・ショップとか入ってるんだけど、あの!上海雑技団の公演が行われる「上海商城劇院」も入っているのね。「雑技」って、ちょっとうらぶれた場末のサーカス小屋みたいなほうが、風情があると思うんだけど、今晩のチケットがまだ残っていたので、買っておきました。

このあたり、地下鉄の静安寺駅から石門一路駅へ向う道には、マンダリン・ホテルとか、こぎれいなショッピング・モールなどがあって、あんまりそそられない。それでも、胡麻団子とかを売っているような、昔ながらの食堂もあって、食べながら歩いた。ま、どーでもいいことだけど、胡麻団子はおいしかった。でも、路上で売ってた焼きイモは、きびしかった。鮮やかなオレンジ色で、きれいなんだけど、べちゃーっとしてて、繊維感?がない。ただ、天秤みたいな道具で、重さを測るのがよかったな。

焼イモを買ったのは、マンダリン・ホテルから、淮海路に向って歩いていく途中。このあたりには、錦江飯店や花園飯店など、日本のパックツアーがよく利用するホテルがあるせいか、「スナックやすらぎ」とか、日本語の看板もそちこちにありました。一応、どちらのホテルも覗いてみたら、花園飯店では餅つきやってた。錦江飯店は、周恩来やニクソン大統領などが宿泊したという名門なんだってね。建物もクラシックな雰囲気でした。

「あっ、そうだ、今日は元旦だ」って思い出したのは、旧フランス租界の淮海路に出てから。とにかくものすごーく人が多くて、獅子舞まで登場! ちょっとはずれたくなって、泊まりたかった端金賓館に行ってみた。今回、毎晩、違うホテルに泊まったけど、それでも6か所だけ。上海って、いっぱいホテルがあって、泊まりたいホテルもまだまだある。

ホテルでは結婚式をやっていて、そういえば衡山馬勒別墅飯店でも、こんなに寒いのに、ノースリーブのウェディング・ドレスを着た花嫁さんが、思いっきりにこやかな笑顔で、記念撮影してたっけ。日本だと元旦から結婚式ってしないけど、めでたくていいよね。キリもいいし。

特にやることもないから、離れの喫茶店でジャスミン・ティーを飲んだ。ぬるいわりには、39元もしたんだよね、約600円。上海の物価を考えると、これはものすごーく高い。雑技団のチケットだって、50元で買えたんだし、街の食堂のワンタンなんて、1杯1元・・・。

太陽はゆっくりと降りていく。そろそろ午後も深まってきた。残された上海はあと少し。これまたレトロでクラシックな家だという孫文記念館へ。途中、復興公園のお手洗いに行ったら、今回の中国で初めて!ドアを開けっぱなしにして、用を足しているおばちゃんに遭遇した。

中国といえば、まずお手洗いの心配をする人も多いみたい。比較的近いほうなので、今回もあちこち公衆トイレに行ったけど、こういう場面はまったくなかっただけに、のけぞりました。豪快に開け放したドア、なぜかこっちを向き、中腰で用を足しながら、おばちゃんとバチッと目があった。彼女がニカッと笑ったように見えたのは、気のせい???

孫文の家は、真冬の夕方がよく似合った。1920年代、新たな激動の時代に突入する前の息吹を感じさせるような、それでいて、ハイソで上品なたたずまい。でも、ふっと思う。これが、真夏の朝の8時ごろだったら、この家は、どんな顔を見せるんだろうって。

孫文の家を出てからも、旧フランス租界をまた歩いた。「銀座衣装」っていう看板が出てた。思南路っていう道が特に好きだった。なんでだろう。来たこともないのに、なんだかなつかしい。街路樹や古い家がほんの少しだけ残った夕方の光のなか、シルエットになって写った。上海はどんどん暮れていく。つなぎとめようとするけれど、すり抜けていく。夕闇があたりを包む。

帰ってきてから、『李香蘭 わたしの半生』という山口淑子の自伝を読んだ。阿片窟は旧フランス租界のはずれにあったという。旧フランス租界のはずれ・・・。もしかして、魔窟はこのあたりにあったのかも。

昔々(1940年代)、美空ひばりはジャズも歌っていて、そのなかに『上海』っていう曲がある。「どうせいつかはアデュー上海、あきらめましょう」って歌うの。わたしの気持ちそのもの。「アデュー」ってフランス語は、上海にすごく似合うって思った。

淮海路に戻ると、行列ができている饅頭屋があった。上海では、数え切れないほど饅頭を食べたけど、ここが一番おいしかった。ズルする人がいて、わたしの後ろに並んでいたおばちゃんは、思いっきり真剣に、「あの人ったら、ズルしたわ!」って、中国語だからよくわかんないけど、たぶんそう言ったんだと思う。「包」って漢字を見ると、思い出すことは、ふたつ。夕闇に包まれた思南路と、やっと食べれた、肉汁たっぷりの具を包んだほっかほかのお饅頭。



 


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