ホーム 60日間のラテンな旅行体験記 インデックスペルー

ありがとうペルー、また会いましょう!


カハマルカからリマの空港に戻ったのは、お昼過ぎだった。友人のパトリシアに電話をしたら、夕方まで仕事だというので、まずはリマのセントロ(中心地)に向かう。

荷物は空港のロッカーに預け、身軽になったので、空港の外でタクシーを探すことにした。パトリシアが言うには、空港内のタクシーは「空港入場料」を支払っているので、そのぶん料金が割高になるのだそうだ。

タクシーはすぐに見つかった。お父さんが日本人だという30歳の明るいペルー人ドライバー。よく喋り、信号で停まると手を握り、「今夜、遊びに行こうよ」と誘いまくる。ガソリンスタンドに立ち寄り、「先に8ソル(約360円)くれる?」とさらっとお願いする。

ガソリンスタンド(コンビニのAmPmが付属していた)ではちょうどキャンペーン中で、アンケートに答えると豪華賞品が当たるという。

「あなたたち、ご夫婦?」

なんてキャンペーンガールが言うもんだから、彼のはしゃぎぶりは頂点に達した。クルマが走りはじめてからも、誘う、誘うのオンパレード状態。浮かない顔をしていたら、彼が真顔で尋ねた。

「迷惑?」

「ちょっとだけ…」

と答えた途端、彼は貝になった。さっきまでのはしゃぎようがウソのように、固まってしまった。とっても繊細なの。

彼は無言のまましばらく走り、ある交差点にさしかかると、フロントガラスにペタッと貼り付けてあった「TAXI」のステッカーをさりげなくはがす。前をよく見ると交通整理をしている警官がいた。

ペルーのタクシーにはメーターがないので、どんなクルマでも「TAXI」のステッカー(露店などで簡単に買える)さえ貼れば、その場でタクシーになる。はがせばただの自家用車、一瞬にしてドライブを楽しむ「ご夫婦」あるいは「恋人」に早変わりする。

でもみんな考えることは同じ、最近はタクシーが増え過ぎ過当競争になってきているらしい。そういえばセントロを歩いていたとき、信号で停まっていたクルマの列が全部タクシーだった、なんてこともあった。

タクシーを降りるとき、ちょっと彼に申し訳なく思った。「ハッキリ言い過ぎちゃったかなあ」と少し反省していたもんだから、スキがあった。降り際にいきなり抱きしめられ、キスされた。何考えてるんだか、このメリハリはどこから来るんだか…。

セントロの「ホコテン」、ウニオン通りは家族連れなどで賑わっている。天気がよくポカポカとした、気持ちのいい土曜日の午後、みんな楽しそうにのんびり歩いている。前回(94年)にペルーを訪れたときにもこの通りを歩いたが、もっとゴチャゴチャしていたような気がするのは、わたしのこころが落ち着いているからか、この国が平和になったからか、どちらだろう?

プラプラ歩いていたら、中華料理店の前で「スープ、メイン、ごはんがついて、たったの5ソル(約225円)!」と書かれたランチメニューを発見した。そうだ、お腹が空いている。ペルーは中華料理店が多いので、定期的に中華を食べているのだが、そそられる。チャーハンはこの間食べたし、"TALLERIN SANSI"って何だろう?

「おいしいわよ。食べていかない?」

従業員が声をかけてきた。

「あの、"TALLERIN SANSI"って何かしら?」

「あなた、東洋人なのに"TALLERIN SANSI"を知らないの?」

「いや東洋でもいろいろあって、いろんな呼び方があるから、見ればわかると思うけど」

「これはスパゲッティみたいなもんよ」

なるほど、ヤキソバか…。ヤキソバは長いこと食べていないので試してみたら、けっこうおいしかった。

散歩を継続。庶民の町セントロは(いっけん)平和に見える。落ち着いて気持ちよく歩けるし、カメラを取り出しても身の危険は感じない。のんびり歩いてみると、セントロの街並みは何てきれいなんだろう。

スペインの薫りが漂う木製のバルコン(張出し窓)、コロニアル様式の建物、ちょっとくすんだ、それでいて南国的な明るい色で塗られた壁、教会、広場、露店が並ぶ路地、刻んだトロピカル・フルーツにコンデンス・ミルクをかけたデザートを並べて売る屋台、食堂の前でボーッとしているネコ…。

ゆったりしたいい感じの午後だが、路上ではたくさんの物売りたちがデモンストレーションを繰り広げている。首から下げた箱にタバコやお菓子を入れて売り歩く古いタイプの「物売り」ではない。あやつり人形やおもちゃなど、もっと単価の高い品物を売っている。

「ペルーには仕事がないから、みんな仕事をクリエートするんだよ」

誰かがそんなことを言っていた。「作る」のではなく、創造性を発揮して「創る」のだ。

歩いていたらサン・マルティン広場に出た。工事中だったが、堂々とした美しい広場である。そういえば大統領府がある中央広場も工事中だった。テロがなくなり、経済的にも上向きな状態にあるといわれているこの国は、街の要所の景観を整えている最中らしい。

このあたりは格安航空券を売る店が立ち並んでいた。今後の参考に…と料金表を見ていたら、チケット屋のおにいさんに声をかけられた。

「チケットを探してるの?」

「いや、見てるだけ…。また来ることがあるかもしれないから、参考にしようと思って」

「いつ帰るの?」

「今晩の飛行機」

「どう、ペルーは気に入った?」

「とっても! 3年くらい前にも来たことがあるんだけど、ずっと平和になったよね」

「それは真実じゃないよ!」

いきなり別のおにいさんが会話に入ってきた。

「平和に見えるかもしれない。でもこの国の貧困はなくなっていないんだ」

携帯電話を手にした「おにいさんB」は、強い口調で言う。

「税金は上がる、物価は上がる、でもボクたちの生活はちっともよくならない。確かにフジモリはテロを撲滅した。その点では評価できるけれど、彼の政策はお金持ちを優遇し過ぎているんだ」

「この国の貧しさを見たかい? 三食も満足に食べられない人々がたくさんいる一方で、子供連れで外国旅行を楽しむ金持ちがいる。経済成長率は上がっているかもしれないけれど、ペルー人の貧富の差は開くばかりだ」

「国営企業を外資に売却した莫大なお金はどこに行ったんだ? 広場をキレイにする前に、フジモリは庶民の生活をもっと考えるべきだ。だいたい電電公社を買収した外資系の電話会社は技術力がないよ。ボクの携帯なんか通話料金は高いけど、しょっちゅう切れるし…」

「まあまあ、ちょっとお茶でもしようよ」

最初に話しかけてきた「おにいさんA」がなだめる。そんなわけでわたしたち3人は、なぜか近くの中華料理屋でお茶ならぬ、ペルーの国民的飲料「インカコーラ」を飲むこととなった。

「おにいさんB」はインカコーラ片手に喋りまくる。養っている家族の構成、彼の収入の額、携帯電話の本体価格(US$390だそうだ)に通話料といったプライベートなことから、この国の現状まで…。

フジモリはテロを撲滅し、コーチェ・ボンバ(車爆弾)があちこちで爆発していたリマを(特に治安がいいわけではないが)とりあえず平穏な街にした。全国にたくさんの学校を建設するなど教育に力を注ぎ、公衆電話などのインフラも整備した。累積赤字で身動きがとれなくなっていた国営企業を思い切って売却、海外からの投資を呼び込んだ…。

しかし確かに彼が言うとおり、この国の「貧しさ」はなくなっていない。貧富の差はグングン開いていく。だが、スペイン人がこの地を征服して以来続いている「持つ者と持たざる者」の格差を縮めることは、決して簡単なことではない。時間もかかる。

格差が縮まるのはいつだろう? フジモリが建てた学校に通った子供たちが大人になるころ? でも学校に行かずに物売りをしている子供たちもたくさんいるのに? これからペルーはどうなっていくんだろう?

おにいさんたちと話しこんでいたら、あっという間に時間が過ぎた。そろそろ友人のパトリシアの仕事が終わるころ、彼女と待ち合わせした中央広場へと急いだ。

彼女と活気づく夕方のリマを歩く。いろんなお喋りをしながら、中央郵便局など最後の観光をしながら、バッグをしっかり抱えて歩き回る。

「プレゼントをしたいから、市場に行こう! ペルーの思い出として、わたしの思い出として、あなたが好きなものをプレゼントしたいの」

パトリシアは勤労学生なのでちょっとためらったが、彼女が目をキラキラさせながらオファーしてくれるので、ご厚意に甘えることにした。

「アメ横」を巨大にしたような大マーケットには、モノが溢れている。迷路のように入り組み、区画ごとに分別され、さまざまな品物を売っている。大人用の服、子供服、スポーツウェア、電気製品、海賊版らしきビデオ、食品、みやげものなどのお店や食堂などがギッシリ詰まっている。この市場でパトリシアは、Tシャツと手袋を買ってくれた。感動!

日が暮れた。ペルーが終わっていく。コンビ(乗り合いのミニバス)に乗って空港へ向かった。

「掃除したんだからお金をちょうだい!」

外から子供の声が聞こえた。コンビはその声を無視して走り出す。しかしモップを持った子供は走ってついてくる。信号で停車すると、また子供の声が聞こえた。

「お金をちょうだい!」

「ドアを閉めろ!」

ドライバーが叫んだ。コンビは走り出す。子供はまだついてくる。渋滞で停まると、また子供の声。車内は満員だが、みんなとっても醒めているように見える。わたしたちに何ができるのだろう? 車掌がいくらかのお金を渡したらしく、子供の声は聞こえなくなった。

到着した空港は別世界だった。北アメリカに行くのだろうか、毛皮のロングコートを着ている老婦人、おめかしした子供とその家族、送迎の人々などで賑わっている。ゆっくり食事をするために、ちょっと早めに搭乗手続きを済ませた。振り返ってみると、常に食べることを優先しているわたし…。

搭乗手続きはとてものんびりしたペースで進んだ。いや、あまり進まなかったのだが、そのうちわたしの番がやってきた。

「日本人ノ方デスネ?」

担当の女のコはわたしのパスポートを見て、日本語で尋ねた。

「あら、日本語が喋れるのね」

「ハイ、少シ」

「どうやって覚えたの?」

「埼玉県ニ、3年間、ブラジル人ト、住ンデイマシタ。ダカラ、日本語ト、ポルトガル語ヲ、覚エマシタ」

こんな調子でお喋りしながら、ハイジャック防止のためかとても丁寧に搭乗手続きをするので、充分な時間がかかった。お腹がグーッと鳴る。じっと待っているパトリシア。

さて遂に搭乗手続きは終了、レストランへ(と走る)。

「何でも好きなものを食べてね」

わたしが言うと、パトリシアは考え込んだ。

「クラブ・サンドイッチがいいなと思うんだけど…」

「OK!」

「でもちょっと高いの」

「いいのよ、そんなの」

注文を取りに来たウェイトレスは、ほんとうにキレイなコだった。一般的にペルーのレストランやファーストフード店の店員はキレイなコが多いが、そのなかでも彼女はズバ抜けていた。

パトリシアとわたしは気持ちよく食事を平らげながら、お喋りを続けた。喋って、喋って、喋りまくった。今度、彼女と会えるのはいつだろう? 大好きなペルー、来年とは言わないけれど、数年のうちには戻ってきたい。願いはかなうかなあ…。わたしがゲートの向こうに消えてしまうまで、パトリシアはずっとずっと手を振り続けた。

飛行機のなか、わたしのまわりはペルー人のオヤジ団体客で埋まっていた。隣りに座っている立派な体格をしたオヤジは、緊張しているらしく、しばらく固まったまま動かない。やっと動いたと思ったら、ヘッドフォンと格闘している。

「これはね、ここに差し込んで、こうやって耳にあてるんです」

教えてあげた。

「実はボク、飛行機は初めてなんだ」

彼は告白した。機内放送のチャンネルの選び方、音量の調整、シートにはリクライニングという機能があることなど、いろいろ教えてさしあげる。

「飲み物はいかがですか?」

アメリカ系の航空会社だったので、スチュワーデスが英語で尋ねる。

「何て言ってるんだ?」

「飲み物は何がいいかって」

「インカコーラをください!」

大きな声でオーダーするオヤジ、怪訝そうなスチュワーデス。アメリカの航空会社だから、インカコーラはないの。

「コカコーラでいいですか?」

何度も頷くオヤジはかわいい。

映画が始まった。シートだけリクライニングさせながら、でも彼自身は直立不動状態、固まったまま映画を見続けた。

何でも彼らは公務員で、これが初めての海外研修なんだそうだ。

マイアミに到着すると、ほぼ同時に到着した便の乗客がごっそり降りてきて、入国審査のカウンターは長蛇の列。オヤジたちもどこかへ行ってしまい、ペルーが終わった。

次は、ペルーの旅を終えて

関連リンク ボーッとしているネコの写真

ペルーの写真 

旅行した時期は1996年10月〜11月です。



旅行して、どんな人たちと会った? どんな体験をした? 何を感じた?
http://www.page.sannet.ne.jp/megmeg/
Copy Right (C) 1997-2000 Emico Meguro All Rights Reserved.