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いいオトコ現れる!


アレキパの2日目、今日のツアーもコンパクトなメンバー構成である。ガイドのアナとドライバー、お客さんはブラジル人の弁護士のセルジオとわたしだけだ。彼はとてもいいオトコで、ちょっとトキめく。恋の予感か?

まずは郊外にある小さな村、SACHAKAへ。スクッと伸びたヤシの木が立っている広場では人々がのんびりとお喋りしている。坂道を上ると展望台があり、乾いた山、緑豊かな段段畑やアレキパの街などが見える。犬もお昼寝。

このあたりではインカ時代、あるいはその前のプレ・インカ時代の段段畑が保存され、実際にこの段段畑を使って、昔ながらの方法で農作業が行われているという。

働き手は女性が中心。朝の5時から夕方の6時まで、1日13時間も働き、しかも手作業がほとんど、たまにトラクターを使うくらいだというから驚き!

野菜や果物を売る市場でも、目立つのは女性だ。特に路上で繰り広げられる朝市では、売り手のほぼ全員が女性である。

男性は何をしているのだろう。工場などで働いているというが、公園や街角では世間話をしている男性の姿をよく見かける。日本では「公園デビュー」なんて言葉もあるように、公園でお喋りするのは女性と相場が決まっているのだが、ペルーに限らずラテンの国々を歩くと、そちこちでお喋りしている男性グループが目に留まる。ラテンの男は日本人の男より格段によく喋るためか、女に働かせちゃって自分は左ウチワ状態は一種のマッチョなのか、あるいは仕事がないからか…。

ガイドのアナが言うには、アレキパの失業率は50%に及ぶそうだ。しかも路上での物売りや靴磨きなどの自営業(雇用がないので、自らが創り出した仕事)を営んでいる人々は失業していると見做されないので、いわゆる「定職」と呼べる職業に就いているのは全体の10〜20%程度だという(この「定職」という定義には、契約社員や期間工など就業期間限定の雇用形態も含まれていると思われる)。

さて、次に訪れたのはSABANDIAというアシエンダ(農場)。昔の大金持ちの屋敷跡で、門の鐘を「カーン!」と鳴らすと、召し使い然としたおじいさんが、扉を開けてくれる。

水力を利用してトウモロコシを粉にする粉引きや、パン焼きカマドなど昔の生活を彷彿とさせる機具があるが、このカマドはいまも使われていて、焼いたパンは街に出荷するのだそうだ。

どこまでが庭だかわからないほどの広い敷地には小川が流れ、池にはたくさんの金魚、花が咲き乱れ、リャマやアルパカが草を食んでいる。なんだかとっても眠くなる風景だが、のんびりした田園見学はまだまだ続く。今度は1500キロもあるという闘牛用の牛を牧場へ見に行く。

スペインの闘牛は牛対人間の闘いだが、ペルーの闘牛は牛対牛で闘うのだそうだ。そういえばどこかのレストランで、富士山のようなミスティ山をバックに2頭の牛が向き合っている絵が掛かっていたっけ。

昼食は郊外にあるオープン・エアの高級レストランで。まるでテレノベラのヒロインがご会食でもしそうな雰囲気。しかもガイドのアナは一足先に街へ戻ってしまったので、例のカッコいいブラジル人弁護士のセルジオとふたりっきりの昼食!

「それにしても失業率が50%だなんて驚いたよ」

セルジオはため息をつきながら言った。あまりロマンティックな話題ではない。

「働いている50%には、物売りしている人も含まれているのよね」

「もちろん。働いているには違いないでしょ?」

長引く不況にあえいでいるといわれる日本の96年の完全失業率は3.4%だ。しかもそのなかには、「雇用保険をもらって、しばらくのんびりしよう。ラッキー!」と思っている人も含まれている。

アレキパの郷土料理「ロコト」が運ばれてきた。ピーマンの肉詰めである。

「でも最近のラテンアメリカは、昔に比べればずっといい状態になってきたよね」

とわたし。

「そう、ボクの国(ブラジル)でもインフレはかなり収まってきたし、よくなってきていることは確かだけど…」

「メキシコもちょっと危ない時期もあったけど、なんとかやってるみたいだし」

「メキシコ…」

そう言いながら彼はおおげさに天を仰ぐ。

「話せば長くなるけれど、メキシコのいまの状態は決していいとはいえないよ。そう、メキシコについてはこんな言い回しがある…」

「どんな?」

ああ、かわいそうなメキシコ。神様からはこんなに遠く(見放され)、アメリカ合衆国からはこんなに近い」 (注)

セルジオは神妙な顔をして、そう言った。

「失われた10年」と呼ばれる80年代のラテンアメリカ諸国は危機的状態にあった。膨大な対外債務、貧困、麻薬、頻発するテロリズム、ハイパーインフレなどの問題はそれぞれが複雑に絡みあい、解決をいっそう困難にした。そして90年代、一般的には「よくなってきている」と言われている。しかし本当によくなってきているのだろうか?

ロマンチックなムードにならないまま、テレノベラのようなシチュエーションは終わった。

「どう、今日の夜、いっしょにフォルクローレでも聞きにいかない? アナがいいお店を知ってるって言ってたよ」

セルジオが誘ってくれた。

ホテルに戻ってひと休み。夕方、銀行に行く。このあたりはシエスタの習慣があり(本当にお昼寝をしているかどうかは知らないが)、ほとんどのお店は午後の数時間閉店する。夕方になると再び開店し、街は活気づくのだ。

銀行では「待ってました!」とばかりの長い行列。街角には「両替屋さん」がたくさん立っているので、ちょっと気持ちが傾いたが、ペルー人の友人の言葉を思い出し銀行の行列の最後尾についた。

彼女によると、「両替屋さん」は合法的に両替を行っているのだが、ときどき(特に100ドル札)ニセ札が紛れていることがあるらしい。レートは銀行よりちょっといいけど、なんせ両替する場所が歩道なので、お金に気を取られているうちに他のモノを盗られたり、「お金を持ってるよーん」と広告しているようなものだから、両替後に後をつけられてすられることもあるという。

辛抱強く順番を待つこと20分ほど。遂にわたしの番がまわってきた。

「あの、この100ドルをソルにしてほしいんですけど…」

わたしがスペイン語でそう言うと、窓口の女のコはにこやかに英語で答えた。やはり外国人を見ると習った英語を使いたくなってしまうのだろう。

彼女は手際いい、愛想いい、英語うまいの3拍子揃い。もちろん、使いやすいように金種も細かくしてくれた。

銀行では事務的に応対されることが多いので、愛想よく応対してもらえると、とてもうれしくなってしまう。そういえばリマでお腹をこわしていたとき、銀行で両替し、ついでにお手洗いを借りたことがあった。窓口の男性はさすがに一瞬ためらったが、わざわざお手洗いまで案内してくれた。銀行でお手洗いを借りたのは、後にも先にもこの1回限りである。

そうそう、お腹の調子は回復した。特に何をしたわけでもない。適量な食事は摂っていたし、クスリも飲まなかった。毎日、梅干しを食べ、ビタミン剤を飲んでいただけ。今日でペルーは5日目、時間がたてば自然と環境に適応していくのだろう。

ところで、アレキパの街には信号機はあまりない。でもクルマは多く、街の中心ではしょっちゅう渋滞している。つまり横断するには、反射神経がモノをいうのだ。

最初はいつになっても渡れなかったが、だんだんタイミングが掴めてきた。しかしちょっと図に乗って無理をすると、容赦なく突っ込んで来るクルマに轢かれそうになる。いっけんプリミティブに見えるが、これはカラダと反射神経を最大限に使う、一種の<ハイテク>ではないか? この街の中心を1時間ほどお散歩すれば、反射神経はずいぶん磨かれるはずだ。

再びホテルの部屋に戻り、今回の旅行でハマッている恒例のテレノベラを見る。いま主人公の女性は無実の罪で刑務所に入れられ、辛酸を舐め続けているところである。

もともと1時間のドラマを30分づつ放映しているので、ただでさえ緩慢なストーリーはほとんど毎日同じ(100回も続く大河ドラマなので、日本のドラマのように急展開しないのだ)。なのにやめられないんだよね、これが…。

旅行をしている間に最終回を迎えるとはとても思えないが、せめて出所するくらいのストーリー展開は欲しいと思っているうちに、眠気に襲われた。

電話のベルが鳴る。昔ながらの電話機なので、「ジリリリリ!」というすさまじい音で目が覚めた。

「さあ、フォルクローレを聞きに行きましょう!」

アナの声が聞こえてきた。

彼女が連れていってくれたフォルクローレ・レストランは洞窟のような造り、火山岩でできており、天井がとても高いので音響が非常によい。

演奏しているグループはギター、太鼓、ケーナ(縦笛)、サンポーニャ(笛の一種)、チャランゴ(小型ギター)の5人編成だった。『コンドルは飛んでいく』などのスタンダードな曲も交えて、男性的な力強さで歌い上げる。こういったフォルクローレのグループにはよく出会うが、彼らのアレンジはちょっと洒落ていてカッコいい。

「アレキパの名物をオーダーするわね。飲み物はチチャモラーダ? それともピスコ・サワーにする?」

アナが尋ねる。

チチャモラーダはとうもろこしで作るお酒で、ドロッとしていて甘い。ピスコサワーは葡萄の地酒に卵白、レモン、砂糖を混ぜたあっさりしたペルー風のサワー。運ばれてきた名物「チチャロン」はスペアリブのようなもの。ただしスペアリブより肉の量は多く、油気は少ない。他にはホカホカしてとってもおいしいポテトに、柔らかいチキン。近郊の村で作られた産地直送の食べ物は、シンプルだが美味である。

「ブラジルのミュージシャンでは、カエターノ・ヴェローソの甘い声が好き。『フィナ・エスタンパ』っていうCDを買ったんだけど、すごくよかった」

音楽の話になったので、わたしはブラジル人弁護士のセルジオにそう言った。

「カエターノ・ヴェローソもいいけど、日本のリュウイチ・サカモトも本当に素晴らしい」

セルジオは誉め返してくれる。以前、坂本龍一はカエターノ・ヴェローソと共演したことがあるのだ。こんな共通の話題があると、コミュニケーションが深まっていく感じがする。

「ペルーのミュージシャンでは、ちょっと前に『リガ・デル・スエニョ』というグループのCDを買ったわ」

「どこで?」

「東京の大型輸入CDショップで」

「東京で?」

アナは信じられないというように目を見開いた。

「リガ・デル・スエニョは、リマではすごく流行っているけど、アレキパではまだ知っている人が少ないくらいなのよ。なのにあんな遠い東京で彼らのCDが買えるなんて…」

ちなみにわたしが持っているCDはカナダ製である。ちょっとマニアックな中南米のアーティストでも、アメリカやカナダで発売されているものは、日本でも入手できることがある。

「じゃあ、ミキ・ゴンザレスは知っている? 彼の音楽はやさしくて、それでいてメリハリがあってサイコーよ」

アナが奨めてくれたこのシンガー、名前が「ミキ」だから女性かと思ったが、男性だという。ぜひ聞いてみることにしよう。

ピスコサワーはあっさりと飲みやすかったが、けっこう効いた。もう午前1時を過ぎている。アナとセルジオはわたしをホテルまで送ってくれて…、あれ、あのあとふたりはどこへ行ったんだろう???

ホテルのフロントのカウンターには、まだ帰ってきていない客の部屋のキーが5個ほど並べられていた。眠そうな顔をした従業員は、わたしを見るとニンマリ笑った。

(注)ポルヒオ・ディアス(軍人・大統領)が100年ほど前にいった言葉。
かくも悲しきメキシコ
かくも天国に遠く
かくもアメリカに近く

次は、ペルーの温泉だっ!

ペルーの写真

旅行した時期は1996年10月〜11月です。



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