ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
インデックス>ペルー |
|
|
|
ユラで温泉、立ったまま入る |
|
YURAに向かう途中、カラカラに乾いた土地に家がたくさん建っているのが見えた。 「ここは "PUEBLO JOVEN(若い村)" という新しく開発された地域で、仕事を求めてアレキパに移ってきた人々が住んでいるの。家は火山岩で作られているのよ。他の建材に比べると格段に安いから…。電気は引かれているけれど、水道はまだ通っていないので、給水車が水を運んでくるの」 天気がいいので、連なる火山がきれいに見える。山々をバックに鮮やかな色に彩られたエキゾチックな墓地があり、小さな教会が点在している。ペルー人は信心深いのだ。一説によると、国民の95%が、日曜日ごとに教会のミサに参列するなどちゃんと活動しているカトリックだという。 アレキパに主な火山は3つある。まずミスティ山(ケチュア語で<偉大なるセニョール>の意味)、チャチャーニ山(<白いドレス>の意味)、そしてピチュピチュ山(<頂がたくさん>の意味)。 ケチュア語は「チュ」「チャ」など幼児語っぽい発音が多いような気がする。「ミミちゃん、どうちたんでちゅか?」とネコに向かって話しかけるときのようなかわいい響きが、とても気に入ってしまった。ちなみに「ピチュピチュ」というように2回重ねることで、「たくさん」の意味を持つという。 真っ白で起伏に富んだ、サボテンが群生する砂漠をクルマは走る。大きなセメント工場があり、このあたりでは石灰が採取されるそうだ。なるほど、この白さは石灰のせいなのか…。 「最近、ペルーでもサボテンの葉っぱを食用とするようになってきたのよ」 ガイドのロサリオが言った。 サボテンの合間を縫って、単線の線路がクネクネと続いている。ロサリオによると、アレキパとクスコを結んでいる列車があり、飛行機なら30分ほどで到着するところを、およそ24時間かけてゴトゴト走るのだそうだ。『世界の車窓から』といった趣きで、特にプーノからクスコにかけては絶景が広がるという。 「この村に泊まっても、のんびりする以外にやることがないので、ほとんどの観光客はアレキパから1日ツアーで来るの。ときどきフジモリ大統領がこのホテルで静養しているらしいわ。働き者の彼も、たまには携帯電話の電波が届かない場所でくつろがないと…ね。噂によると、このホテルは彼が所有しているんだって」 ロサリオがそう説明してくれたので、ホテルに近づいてみた。入口は鉄枠で閉ざされている。営業はしていないようだが、念のため、中を覗き込んでみた。しかし視界に入ってきたのは、管理人らしきおじさんがひとりだけ。フジモリ大統領はいなかった。 ホテルのすぐ隣りにある温泉は匂いが強く、地元らしき人々で満員だった。日本でも温泉地の総湯にいくと、地元のおばあちゃんがたくさんいるが、あの雰囲気にとても似ているのだ。賑わっている=効用がある、のではないか? とてもそそられたが、浴槽が小さく、足の踏み場がないほど人がいるので、少し離れた別の温泉に行く。 こっちは空いていた。浴槽は大きいが、匂いが弱い。お湯の温度も心持ち低いようだ。やはり最初に行ったところが源泉だろう。ちょっと不本意だったが、ペルー温泉初体験のため、まずは脱衣場へ。この温泉は男女混浴で、水着を着て入る。脱衣場は個室になっており、シャワーも付いている。 お湯は黄色に茶色を少し混ぜたような、何かを思い出させるようなかなり濃い色で、50センチ先は見えない。胸毛モジャモジャのおじさんなんかも入っていて、あまりゾッとしない。温泉だと思うからいけないのだ。プールだと思えばいい。ブラジル人弁護士のセルジオも海パン1枚になり、準備OK! ふたり並んで、温泉に浸かる。 やはり少し寒い。お湯の温度もプールより、やや高いくらいか? 熱いお風呂と熱いお茶が好きなわたしとしては、ふたたびちょっと不本意である。温度が低いので、湯気も上がらない。が、ボコボコと泡が上がってくるのを見ていると「温泉チック」な気分になってきた。 だんだん気持ちがよくなってきたころ、新入りの観光客が入ってきた。彼らは突然カメラを取り出し、わたしたちに向かってシャッターを切ったのだ。まったく何を考えているんだか…。しばらくすると、どこか遠く離れた世界のどこかで、わたしが知らない誰かが、温泉に浸かってボーッとしているわたしの写真を見ながら旅行の思い出話なんかするのだろう。ちょっと不思議な感じ。 セルジオと話をしたり、目を閉じて瞑想しているうちに、長い時間が過ぎたらしい。彼が寒いと言うので上がったが、とっくに1時間が経過していた。 ガイドのロサリオによると、ペルーには温泉はそんなにないそうで、このあたりではここだけだそうだ。火山がいくつもあるのなら、温泉もたくさんありそうな気がするんだけど…ね。 結論。ぬるいお湯より熱いお湯、湯気がないより湯気つき、黄色のお湯より白濁色、水着を着るより素っ裸、こと温泉に関しては日本のほうがわたしの体質にあっているようだ。でも色はともかく、温度については、外国人は熱いお湯が苦手だから水でうめてるんだと思う。 セルジオは夕方の飛行機でサンパウロに戻るというので、お別れを惜しみながら住所交換。うーん、何事もなく終わってしまった。でも楽しかったわ。 スーパーで"TAMPICO"というオレンジジュースを買おうとしたら、かわいいキャンペーン・ガールに声を掛けられた。 「あなたが手に取ったその小さな"TAMPICO"は、果汁が2種類しか入っていないけれど、このひと回り大きい"TAMPICO"には、3種類の果汁が入っているのよ」 「このヨーグルト・タイプの"TAMPICO"は飲みやすくてお買い得よ」 "TAMPICO"はラテンアメリカではよく見かけるジュースで、「タンピコ」という名前がかわいいだけではなく、味もなかなかイケるのでよく飲んでいるが、こんな風に営業されたのは初めてである。 アレキパの街は碁盤の目状になっているので、基本的な方向感覚があればまず迷わない。猪突猛進してくるクルマを縦横無尽に避けながら、身を翻しつつ散歩を続けていたら、教会でミサをやっていた。 わたしはカトリックでも仏教徒でもないが、神様がいらっしゃることは信じている。知らない土地を訪れたときには、東京でも金沢でも長野でも、ペルーだろうとスペインだろうと、その土地の「神様」にご挨拶し、お祈りするのが習慣になっている。こうして無事に旅行を続けられるのも、神様にお祈りしているおかげと信じているのだ。 教会は溢れんばかりの人々で大賑わい。これだけの人々が集まるミサは、ヨーロッパではクリスマス以外に見かけたことはないように思う。ほんとうにペルー人は、信心深いようだ。わたしも見よう見真似で、しきたりに従いながらミサに参加する。 隅っこに空席を見つけ、腰をおろした途端に、献金を集めるため神父様が回ってきた。いかにも興味本位で参加している外国人という風情のわたしのそばを彼は素通りしようとしたが、呼び止めて献金したら、ちょっとビックリしていたみたい。旅行もちょうど半分が過ぎた。これからも無事でありますように…。 祈りは別の作用もあったようだ。というのも偶然通りかかったCDショップで、長いあいだ探していたアーティストのCD(アルゼンチンの男性シンガー FITO PAEZ と、同じくアルゼンチンのグループ SODA STEREOの昔のアルバム)を見つけることができたのだ。厳選に厳選を重ね、結局6枚ご購入。 白い火山岩で造られたヨーロッパ的な建物が立ち並び、「シウダ・ブランカ(白い町)」と呼ばれているというアレキパの町を歩いていると、まるでスペインの町にトリップしてしまったようだ。CDが入った袋を大事に抱えて広場に出ると、きれいにライトアップされたカテドラルが見えてきた。またね、アレキパ! 旅行した時期は1996年10月〜11月です。 |
|
|
|
|