ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
インデックス>ヨーロッパ/アメリカ |
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ニューヨークで友人と再会! |
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働いていたころ、わたしも出張で地方に行くとき、新幹線のなかで新聞を読んだりしていた。もう遠い昔のことみたいだけど、あのころのわたしもこんなふうに冷たく見えたのかなあ…。旅行を始めて早や5週間が過ぎたが、テレビのニュースは見ていても、新聞はまったく読んでいない。けっこう世の中の出来事に関心があったのに、今はまったく気にならない。 しばらくしてキャリア系は、居眠りし始めた。着陸が近づき、目覚めた彼女はちょっと気取って髪を整え、足を組み替え、窓の外に視線を移す。飛行機の高度が下がり、着陸し、猛スピードで滑走路を走り出すと、彼女とわたしの間の座席に置かれていた新聞が、ゆっくりと滑りはじめ、落ちそうになったが、彼女は気がつかない。押さえてあげたら、彼女はちょっと照れたように、低い声で「THANKS」と言った。 いっけん冷たく感じられたキャリア系も、そんなときの表情は暖かみがあって、とってもかわいい。そういえば東京でも、みんな冷たそうな顔をして歩いているけれど、何かの拍子に人の「暖かみ」が顔を出すことがある。ペルーやキューバ、ドミニカ共和国ではあまり見かけなかった表情を見て、ちょっと懐かしいような不思議な気持ちになった。 ニューヨークには、外国人モデル事務所でいっしょに働いていた、長い付き合いの友人が住んでいる。現在、彼女は大学で物理学や生物学などを学んでいるのだ。 ラガーディア空港から、バスと地下鉄を乗り継ぐこと約1時間半。彼女のアパートの近くの「アベニューN」という駅(ブルックリン)に到着し、彼女の迎えを待った。 11月のニューヨークはさぞ寒いだろうと思い、手袋、マフラー、セーターなどの防寒グッズをペルーで買い込んだが、そんなに寒くはない。枯れ葉が舞い、秋が深まっているっていう感じかな。 待つこと15分、マフィアのような黒塗りのリンカーンが近づいてきた。黒い遮光フィルムが貼られた窓ガラスがゆっくりと開き、黒いシャネルのサングラスをかけたマフィアのような女が現われた。 「お待たせ!」 日本語が聞こえてきて、その女が友人だと気がついた。「タクシーで迎えに行く」と言っていたので、てっきり黄色い「イエローキャブ」で登場すると思ってたのに…。 彼女はわたしのために「泡風呂」を用意してくれていた。 「まあ、まずはゆっくりお風呂でも入ってきて」 白い泡とバスタブ、西側の窓から斜めに射しこむオレンジ色の午後の陽射しに包まれて、のんびりと風呂につかる。気持ちはいいが、まだかゆい。そう、アマゾンで蚊などの虫に刺されまくり、あれからもう1週間が経つのに、わたしのカラダは相変わらず「虫刺されのデパート」状態なのだ。泡風呂に長いこと浸かっていたら、いちばん気になっていた大きなカサブタ(グチュグチュの虫刺されが進化したもの)が、ボロッととれた。 「アマゾンで虫に刺されちゃってさ…」 わたしが言うと彼女の表情が変わった。 「あのへんの虫ってアブナイんじゃないの?」 「まあ、なかにはアブナイのもいるかもしれないけど、わたしは観光地しか行ってないからだいじょうぶ」 「観光地っていったって、船に乗ってアマゾンの奥地に行ったんでしょ?」 「奥地にもいろいろあるし、わたしが行ったのは初心者コースなの」 「最近、アメリカでも虫刺されが原因の病気が流行っていて、死んでる子供もいるのよ。だから、ほら、親から虫除けを送ってもらったの」 テーブルには数種類の虫除けが並んでいた。 「お願い、そんなこと言わないで! 聞いてるだけで、高熱が出そう…。ああ、高熱が出て、死ぬかもしれないのね」 暗示にかかりやすいわたしは弱気になった。 「だいじょうぶよ。死んでるのは子供だし、あんたは体力があるから」 友人に励まされると、元気が出てきた。そんなわたしに、友人は疑いの目を向ける。 「ねえ、ヘンな虫、連れてきてないでしょうね」 ムキになって否定したが、実はわたしも同じことを考えていた。いつまでもかゆいだけではなく、頻繁に虫刺され跡をチェックしていくうち、アマゾン直後には見かけなかった「ご新規さん」が出現することに気がついていたのだ。 「ご新規さん」のほとんどは足に現われるので、いつもはいているスパッツが怪しいと、わたしは睨んでいた。友人が地下の「居住者用共同洗濯場」に行くというので、同行。洗える限りのものはすべて洗ってみた。さて結果はいかに? 夕方、友人と近所に買い物に行く。「キングズ・ハイウェイ」というブルックリンにある駅近くの商店街は、下町っぽくていい感じ。通りにはイージーリスニング音楽が流れ(日本の商店街でもよくあるけど)、公園では犬を連れたおばあさんたちが集っている。 映画『アメリカン・グラフィティ』に出てきたような、小さな場末っぽい映画館はちょっとレトロな雰囲気、豊かに装飾された白い壁の建物だ。入口付近がひさしのように前面に突き出し、ひさしの上に上映作品の名前が書かれている。 大きなスーパーはなく、食料品店、八百屋、クリーニング屋などが軒を連ねている。なんだかとっても懐かしい雰囲気で、1950年代にタイムトリップしてしまったようだ。そういえば、映画『スモーク』もブルックリンが舞台になっていたっけ。
アメリカは食料品が安いと聞いていたが、想像以上に安かった(あまりに食料品が安いから、肥満が多いという説もあるが…)。ニューヨーク州の消費税率は8.25%だが、食材には消費税がかからない。生きていくために最低限必要な食品には課税しないという消費税のシステムはすばらしいが、健康保険制度はないという。うーん、やっぱり「あちらが立てば、こちらが立たず」だ。
「あんた、ラッキーだったわよ。いままでここに住んでいたルームメートがちょうど引っ越したところだから、好きなように台所を使えるし、お風呂も入れるし…。あと数日で次のルームメートが来るから、ちょうどいいタイミングだったのよ」 友人がマンハッタンの歯医者に行くというので、同行。マンハッタンに出るまえに7キロほどのダンボール箱を抱え、徒歩20分の郵便局へ。友人もわたしも日本へ送る荷物があったのだ。こんなこともあるから、体力は大事でしゅ。 地下鉄の駅で「切符1枚くださーい」と元気に言ったら(券売機はない。どこまで乗っても同一料金)、窓口にいた黒人青年が「先に金くれよ」と返してきた。そうか、先にお金を払うのね。「XXXください」「はい、XX円です」のやりとりのあとに、お金を払う日本のシステムがすっかり身についているわたし。だけど他の国でも、日本的方法でやってきたけど、こんなふうに言われたことあったっけ? 友人のアパートがあるブルックリンからマンハッタンまでは、地下鉄で1時間近くかかる。まわりをはばかることなく大声で日本語で喋りまくっていたら、あっという間に着いたが、車内にいる人々の視線は冷たかった。外国人が英語以外の言葉で、ハイ・トーンで会話している光景は日本でもよく見かけるけれど、わたしたちもまったく同じ状況。ヘンな言葉で喋ってるって思われてたのね、きっと。 歯医者はマンハッタンのど真ん中、フィフス・アベニューに面したビルにある。むかし日本に住んでいたという歯医者は日本語ペラペラ、知的で温厚な男性、33歳。ニューヨークの超中心地の歯医者は、完全予約制になっているせいか待っている患者が少なく、サロンみたいな雰囲気だ。 次にトランプタワー(このビルに足を踏み入れたときには、あのイヴァナ・トランプがデザインしたわりには上品…と思ったが、よく見ると十分にキンキンキラキラ〜)のこぎれいなカフェでお茶を飲む。クシュッとした歯ざわりのオキシデンタルなパンがおいしい。
どこに行っても、理由は違っても、何でもおいしい。2か月もひとりで旅行するのだから、気を使ったりなんかして、自然とダイエットもできて一石二鳥…という予想は見事にハズれた。
「RECORDS」というCD屋に入る。「試聴できる?」とラテン系のおにいさんに尋ねたら、「試聴はできないけど、ボクが収録曲を歌ってあげるよ」だって!
彼はいちいち歌ってくれて、CDの解説までしてくれた。サービス精神にこころ打たれ、CD4枚ご購入。
大好きなテレノベラに間に合うように、友人のアパートに戻る。これはドミニカ共和国やペルーに滞在していたころから、ずっと見続けている大長編メロドラマ。ニューヨークに来てまで見れて、しあわせ。ちなみにニューヨークにもたくさんのラテン系が住んでいるので、スペイン語チャンネルがある。そういえば日本語チャンネルもあり、コマーシャルには久保田利伸が出演していた。
「念のため、タクシー会社に電話しておいたほうがいいわよ。忘れてるかもしれないから」 友人はそう言っていたが、わたしは予約した時間まで待つことにした。出発時間まで充分に余裕があったし、タクシー会社はすぐ近くにある。10分過ぎても来なければ、電話すればいい。 早めに出発の準備を整え、窓の外を見ていると、約束の5分前に例の黒塗りのリンカーンがゆっくりと走ってきて、アパートの真ん前に停まった。そして約束の時間ピッタリに、電話が鳴る。 「お迎えにあがりました」 ラテン系のタクシー会社だが、なんて時間に正確なんだろう! 時間に鷹揚なことで知られるラテン系、でもニューヨークではこうじゃなきゃやっていけないんだろう。 ユナイテッド航空6593便は、11時50分発、ワシントン到着は13時15分。お昼は機内食が出るだろうと思い、待ち時間にはコーヒーだけ飲むことにした。が、搭乗時間が過ぎてもアナウンスがないし、待合室で搭乗を待っている人は数えるほどしかいない。念のため係員に確認したら、もうすぐ搭乗だという。 「手荷物はひとつだけ、座席の下に入るだけ」 搭乗カウンターにそんな注意が貼ってあった。「座席の下」? 「座席の上」にラゲージ・スペースはないのかしら…。嫌な予感…。 搭乗のアナウンスがあり、階段を下りると空港の地面があった。 「あちらです」 係員が指を差した場所には、トンボのようなプロペラ機がいた。 座席数21、乗客8人、若いパイロット、とっても若い副パイロットが各1名。頭上のラゲージスペースなし、スチュワーデスはいないし、収納式のテーブルなし、だからお昼もなし、たぶんお手洗いもなしの、ないないづくし。 南米で乗ったプロペラ機には、ラゲージスペースもあったし、スチュワーデスもいたし、テーブルもあったし、お昼も出たのに、ここまで来てこんなことになるとは思ってもみなかった。ニューヨークとワシントンなんて天下の大都市を結んでいる飛行機なのに…。 離陸してからしばらくの間、よく揺れる。心臓がドクドクする。本を読みたかったが、持っていないので、日本の友人たちにハガキを書くことにした。テーブルがないので書きにくいが、日記帳を膝に置き、ムキになって3枚ほど書いた。気持ちを他に向けないと、目の前が暗くなってくるのだ。ホントに怖がりなわたし…。 着陸が近づくとまた揺れだしたので、ハガキ書きを断念し、お祈りに転じる。まわりのみんな(といっても7人しかいないが)も十字を切っている。 人生は予期せぬことの連続だと思った。
次、ミラノへ行こう! 旅行した時期は1996年10月〜11月です。 |
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