ホーム> 60日間のラテンな旅行体験記
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ペルーはずっと前進していた…ように見えた |
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マイアミからリマまでの飛行時間はおよそ5時間半。機内食を食べる暇も惜しんで寝たのだが、寝不足だった(機内食を食べなかったのは、このときただ一度だけ。それほど眠かったのだ)。 しかもマイアミ空港ではトランジットで待ち時間が7時間あった。いくら時間をつぶすのが特技のわたしでも、これはキツい。友人にハガキを書きまくり、アメリカ在住の友人には電話をし、たまっていた日記をつけ、食事をして、切手の自動販売機を探し、ついでに空港内を探検し、やっと搭乗時刻となった。 しかしいちばん長かったのは、搭乗ロビーに入ってから飛行機に乗るまでの1時間である。搭乗ロビーで寝てしまっても、きっと係員が起こしてくれるだろう。が、旅行中は何があるかわからない。「きっと」はアテにならないのだ。 飛行機に乗り込むや否や、わたしは深い眠りに落ちた。 イミグレーションを出たところには、キラキラ光るDUTY FREE SHOPと、ツーリスト・インフォメーションがある。あるだけではない、朝の6時なのにちゃんと営業しているのだ。 自動販売機でテレカを買って、ペルーの友人に電話をしてみたがつながらなかったので、インフォメーションでホテルを予約することにした。 担当のシャーリーちゃんはかわいいうえに愛想がよく、仕事が速い。わたしの希望にピッタリとあったミラフローレスの中級ホテルとタクシーのバウチャーを手際よく作成し、リマの地図までくれた。とてもオーガナイズされている。前進の予感…。 タクシーは韓国製"DAEWOO"の新車である。 「空港はいつ改装されたの?」 ドライバーに尋ねてみた。 「2年くらいまえかなあ」 窓の外を流れる景色、街並みはずいぶん洗練され、新車が増えたような気がする。韓国製のクルマの広告が目につく。 「街がきれいになったんじゃない? 新車も増えたし…。このクルマも新しいんでしょ?」 「そう、このクルマはまだ1年くらい。フヒモリはよく仕事をしてるよ。やっぱり先祖が日本人だけあって、よく働くんだ。1日に16時間も仕事をするんだって! もうテロもなくなったよ」 <フヒモリ>とはフジモリ大統領のことである。スペイン語風に発音すると、こうなるのだ(ニュースでは「フジモリ」と発音していた)。そういえば空港のイミグレーションでわたしの前に並んでいたペルー人の夫婦も、フジモリ大統領を誉めていた。 ホテルはコンパクトなサイズで居心地がよさそうだった。肩が凝らない中級っぽさが、等身大でよい。落ち着いた途端に本格的な眠気に襲われ、またしても深い深い眠りに落ちた。 電話のベルが鳴る。いまどきの「トゥルル」という優しい音ではない。ジリリリリ!、昔ながらの強力な音である。 「ああ、いらっしゃったんですね。フロントでカギを預かっていないものですから、ちょっと気になって…。大変失礼しました」 受話器を取ったら、そう言われた。フロントのおじさんは恐縮して電話を切ったが、もしかして自殺でもしてると思ったのかもしれない。彼の口調には、拍子抜けの気持ちがほんの少しにじんでいたように感じられたのだ。 疲れきった顔をした(ただ眠かっただけなのだが)東洋人の女がひとりで到着し、部屋に入ったまま物音もしない…。彼は不安に思ったのではないか? もう午後1時になっていた。ちょうどいいモーニング・コールだ。ともだちにも連絡を取りたいし、リマの街も早く見たい。 電話をかけようとするが、つながらない。フロントに確認すると、リマ市内の電話番号は1ケタ増えて7ケタになったのだという。 再度、トライをするが呼び出し音が鳴るだけ。他の友人の番号はどこかにまぎれてしまい見当たらないし…。ああだこうだしているうちにヘンなことを思い出してしまった。 あんまり眠くて忘れていたが、わたしはお腹をこわしていたのだ。ドミニカ共和国のゴージャスなブッフェで飽食状態になったのだろう。食べ過ぎ! 忘れるくらいならたいしたことはないはずだが、思い出した途端に急にもよおしてしまった。しばしお手洗いで腸をキレイにする…。 お腹の調子は気の持ちようによるところが大きい。部屋にいても気になってしまうので、とりあえずお散歩に出ることにした。天気はよく、ポカポカと暖かい。ホテルから海辺の公園まで、気持ちよく歩いた。 リマの海岸線には崖が連なっており、高級住宅地+ショッピング・タウンのミラフローレスは崖の上の高台にある。この"PARQUE SALAZAR"という海辺の公園も高台にあるので、眼下に広がる海を見下ろし、同時に見渡すことができるすばらしいビュー・ポイントだ。崖の高さはビルの高さでいえば25〜30階ほどもあり、ちょっと不思議な地形になっている。 この公園には「笛吹きじいさん」がいる。理由はよくわからないが、恋人たちがハードに抱き合うと(別に太陽のもとでHをしてるわけではないのだが)、このじいさんが笛を吹きながら走って来るのだ。いいムードになった恋人たちは、飛び上がらんばかりに驚き、その場を離れる。ちょっと年は食っているが、『ペッパー警部』のような役割を果たしているのではないか? しばらくそんな光景を眺めていたら、笛吹きじいさんがこっちに向かって歩いてきた。 「何か悪いことでもしたかしら」 思い当たるフシはない。ただボーッとしていただけだ。 「日本人か?」 彼は世間話をしたかっただけらしい。「そうだ」と答えると、世間話のフルコースが始まった。 「フヒモリはよくやっているよ。ほら、この公園だってこんなに平和だろう。ペルーは昔に比べてずっといい状態になっているんだ」 笛吹きじいさんの口調に力がこもった。 話はさらに続く。太陽の光が眩しくなったので、サングラスをかけたら、じいさんがニマッと笑ってこう言った。 「アメリカ人みたいだ」。 このとき、ひとつの謎が解けた。 旅行をしていると、なぜか「アメリカ人か?」と頻繁に尋ねられるのだ。こんなにオリエンタルな顔立ちなのになぜだろうとずっと不思議に思っていたが、理由は超簡単。サングラス=アメリカ人という図式が成り立っているのだ。サングラス=マッカーサー=進駐軍=アメリカ人、なんていう連想は年配の日本人だけではないらしい。 愛の公園なら愛を交してもいいのかと思うが、そうでもないらしい。笛吹きじいさんはいなかったが、カップルが海側の壁の近くに立つと、警官がやってきてその場から離れるように注意をするのだ。なぜ? この公園は名所旧跡のひとつらしく、大人数のフランス人らしき観光客がバスから降りて記念撮影をしている。前回、94年にリマを訪れたときには、観光客らしい観光客はほとんど見かけなかった。やはり治安は確実によくなっている。少なくとも、このときはそう感じた。 ミラフローレスの中心に向かうと、警官の数が一気に増えた。自動小銃を持ち、迷彩服を着た軍人も含め、警官が数十メートル置きに立っているので多少の緊迫感はあるが、街には活気もある。経済が上り調子にある国の大都市特有の活気だ。バブル前の東京、NAFTAに参加する直前のメキシコ・シティを訪れたときにも似たような勢いを感じたことがある。 人々の表情も明るい。モノとヒトが溢れ、木陰のベンチではみんなのんびりとくつろいでいる。お腹の調子もすっかりよくなったので、中華系のファースト・フードで遅めの昼食を取ることにした。 カウンターで注文しているとき、外で「パーン!」という破裂音がした。従業員の女のコたちは無表情なまま、通りに目を向けた。 彼女たちの視線の先には、この国の昔がある。1980年代から1990年代の初頭にかけて、「コーチェ・ボンバ」と呼ばれる車爆弾などのテロが頻発し、リマは南米で最も危険な都市と呼ばれていたのだ。 1990年に発足したフジモリ政権の徹底したテロ撲滅対策により、テロは激減した。が、いっけん醒めているように見える彼女たちの表情には、まだ昔のことが残っているように感じられた。なぜだろう。まだ不安定な要素が残っているのだろうか。それとも…。 店内にはコンパクトな携帯電話(コードレスの子機のように大きいものではない)を持った、上品な雰囲気の女性がいた。もうこの国にも携帯の波は及んでいる。 ペルーの旅は、まだ始まったばかりだ。 旅行した時期は1996年10月〜11月です。 |
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