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今週の「な〜に言ってんだか」2007


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2007年12月30日(日)今年の年末は・・・
仕事に関しては、かなり平穏だった。波乗りみたいなもんなのね。静かだったり、ドーンとサイズが上がったり・・・。穏やかじゃないことだって、いっぱいあったし。たった2日お休みしただけで、もうずいぶん昔のことみたいだけど、年が明けて、また始まれば、いろんなことがあるんだろうな。よけたり、かわしたりしながら、でも基本姿勢は勇猛果敢でいたいと願う。そして、キレイゴトに聞こえるかもしれないけど、感謝の気持ちを大切にしたい。

始まるまでの間は、スリランカ。波乗りして、一日三食カレーを食べる。行ったことがない国に行きたかったんだよね。スリランカはイギリスが宗主国だったし、トリニダード・トバゴや、ガイアナに似てるかもしれないけど、未知で、新鮮なコトと出会えるような気もするし。

2007年12月25日(火)東尾久三丁目
大塚から路面電車に乗った。せっかくだから、ちまちま乗り換えなんかしないでね。6年近く前、一日乗車券を買って、いろんな駅に降りちゃ歩いたことを思い出した。あらかわ遊園にも行ったな。観覧車に乗って、ヤギを見て・・・。でも駅がいっぱいあって、とっても全部は降りれなかった。町屋も、たぶん降りてないと思う。

東尾久三丁目から町屋まで歩く道は、なつかしい昭和の雰囲気だ。たい焼きを買って歩きながら食べる。毎日、いろんなところに行くけれど、東京は広いから、未知は無尽蔵にある。しょっちゅう行ってるところでも、ほんの近くに、未知がある。

i-phoneが日本発売になったら、本気で乗り換えようと思う今日このごろ。ソフトバンクが決して好き!なわけじゃないけど、コマーシャルはホントにおもしろい。「島根のおじさま」にもノックアウトされたけど、いま流れているコマーシャルのBGMは、スウィング・アウト・シスターの『ブレイクアウト』。つまり、突破。なつかしいな、1986年の暮れ。

最近、上からモノを言うひとが増えたような気がする。古今東西、お役人は上から目線だけど、すそ野が広がってるんじゃない? お役人でもないどころか、今のプロジェクトが終了したら、一転、失業か末端でしょ?って輩まで、偉そうに言うわ、言うわ。

まず、自分を省みよう。省みるなら書かないような気もするけど、ちょっと棚に置く。最近、格差社会とか、負の連鎖とか言うけど、上からのモノ言いから始まってるのかもね。上からモノを言われてムカつく。それなら上からモノを言ってやろうと思う。そんなコトを繰り返しているうちに、なーんかギスギスしてくるんだよね。

そんなわけで、飼いネコに説教してみた。「そうやって、このネコ缶は飽きた、あっちも飽きた。そんな贅沢でいいの?今のしあわせを充分に・・・」。飼いネコは文句を言いつつ、ふて寝する。そのうち、本気で眠くなってきて、深い眠りに落ちる。

結局、平和なんだよね。いまのところはね。うれしいこともいっぱいあるし。

2007年12月18日(火)
『ウェイトレス』など。
いちばん最近見たアメリカ映画は何だったんだろう。アメリカの英語、ひさしぶりに聞く気がする。お金儲けメインで作っていない、アメリカのインディース映画。こういう映画がちゃーんと存在していることがうれしい。ユーモアと皮肉、フツーの人々が小さくても、一生懸命生きている場面、場面を愛情を持って描いてる。

ユーモアと皮肉はちょっと、フランス映画っぽかったりもする。普通の人々の普通の生活をよーく観察していないと、こういう映画は作れないと思う。視点がすごい。

なのに、こんなにステキな映画を作った女性監督が、もうこの世にいないなんて、本当に残念。もっともっと生きていたら、どんな映画を作っただろう??? 

とある南部の田舎町。パイのお店。3人のウェイトレスのひとりの妊娠が発覚するところから『ウェイトレス』の物語は始まる。DV系の夫から逃れるために、せっせと小金を貯めこんでいた矢先の、望まない妊娠。産婦人科医との思いがけないアヴァンチュール! そして出産後に彼女が歩もうと決めた道は・・・。

ケッコンしててもしてなくても、子供がいてもいなくても、この映画はいっぱいヒントをくれる。そういえば、水曜日、レディースデイの映画館は、女性で埋めつくされていたっけ。

印象的だったのは、主人公の彼女が働くパイ屋の無愛想な店長があるとき「オレはしあわせだ」と言い切る意外なほどの力強さ。

『ここに幸あり』も見た。映画評は絶賛の5つ星だったし、「大切なのは名誉よりお金より良き友人」っていうメッセージにもすっごく共感するんだけど、うーん、なんか辛気臭いんだよね。登場人物の魅力に欠けるっていうか、潔さが感じられないっていうか・・・。

Bophanaのライブ。初めて "Mimar Voce"を聞いたときの風景が蘇る。小雨が降る神谷町、しっとりと濡れる紅葉前の秋の緑。この曲に会えて本当によかった。

夏から通い続けた歯医者。もうはずれないようにと、歯科助手の女のコは「祈りをこめてセメントを練りました」と言ってくれた。いま、本当にうれしいと感じるのは、こんなときだ。

巷には「死んだ魚の目」をした若者もいる。誰かのクローンみたいね。主体性がない。言われた通りに動く。決まりきった反応。感情を表そうとしない。「あんたってホントに姑息なコバンザメね!」なーんて言葉を投げつけたくなったとき、寅さんがそっと耳元で囁く。「それを言っちゃあ、おしまいよ」。

2007年11月25日(日)どんどん過ぎ去っていかないように
オンショアでどこもかしこも波がグチャグチャの日、由比ガ浜で波乗りした。いつもはほとんど波がない場所だから、新鮮。帰り道、北鎌倉を通って国道一号線に出た。渋滞のなか、夕闇に沈む景色、浮かぶ民家の灯りが色っぽい。蘇州を思い出した。

東京ガスの「ガスパッチョ」のコマーシャルが好き。織田信長篇の最終回、ピエール瀧が「達者でな」と言うときの表情は、すべてを受け入れることができる男の懐の深さが滲み出ているような気がする。悟りなのかもしれないな。たとえ明るい未来がないことを悟っていても「達者でな」と言える懐の深さ。カッコいい。

夏ごろから米原万里さんの本を読んでいる。最初に読んだのは、『終生ヒトのオスは飼わず』。『不実な美女か貞淑な醜女か』が出版されたのが1994年。なんで今まで彼女の作品を読まずに生きて来たんだろう。1994年は、初めて南米に行った年。もうずいぶん昔。今、巡り会ったのは啓示??? 

早く日本でもi-phoneが使えるようになるといいな。いま、ケータイはauなんだけど、「いまだにまだ役所」の会社が作るソフト(au musuc port)は転送速度は遅いし、トラブルもある。どうやらケータイの機種の問題もあるらしいけどね。料金体系にしても、「わかりやすく、使いやすく」って当たり前のことができてない。Googleもケータイ用ソフトウェアを出していくっていうし、かなり楽しみにしてる。

こないだヨドバシカメラから、「もうすぐポイントが失効します!」というご案内のハガキが来て、ビックリ。16000円もポイント残高があった。320GBの外付けハードディスクと、プリンタのインクを買って、「お会計は26円になります」と言われて二度ビックリ。

ちゃんとご案内を送ってくれるヨドバシカメラは、お店での対応もすごく気持ちいい。途中下車してでもこれからはヨドバシで買おう。外付けハードディスクも、USBなのに、外付けを意識させないほど速い。

選ばれるのは、どっち??? 当然のことが当然にいかないことがあったとしても。

虚言僻があると思われる人と話す機会が、あった。歌うようにウソをつく人がいる。昼間でもあっちこっちに闇がある。


「いい経験をされましたね」。

ある人にそう言われたら、なんだか本当にいい経験だったような気がしてきた。その経験とは、アメリカでロサンジェルスからラス・ベガスまでドライブしたことなんだけど、私のなかでは、そんなに「いい経験」だという位置づけじゃなかった。でも、言われてみると、なんだかすごーく「いい経験」をしたような気になってくる。これが言葉の力なんだ・・・と改めて思う。つまり、その言葉を発した人の魅力+人間力、そして誠意。

小沢一郎さんの好きな言葉は、「百術は一誠にしかず」なんだってね。


2007年10月24日(水)劇的3時間SHOW
『フラガール』のホントはホンの1割、ちょっと皮肉っぽい笑みを浮かべて彼は言う。聞きたかった「言葉」が語られ始めたのは、2時間が軽く過ぎたころだったか。

たまたま新聞記事で、旬の10人が3時間に渡って「語る」イベントがあることを知った。今どきの、例えばテレビではたくさんの情報を発信するけれど、個人の発言はほんの数十秒、あるいは数秒で区切られてしまう。一人の人間が3時間語ったら、そこに何が生まれるのか? というようなコンセプトらしい。

シネカノン代表の彼、李鳳宇。自身のバックグラウンドについて語り、さまざまな話題作を配給し製作したエピソードを語り、日本人に強烈なインパクトを与えたあの映画『月はどっちに出ている』について熱く語る。

なーんて期待は見事に裏切られた。いい意味で。3人のゲストと共に繰り広げられたトークの軸はサッカー。

そうだ、鈴木清順は言い切ったっけ。『筋なんかは、どうでもいい』と。

『映画の筋なんかはね、どうでもいいんだよ。どうせ男と女が出会ってくっつくか別れるか、それしかないんだから。大事なのは、その中でどんな趣向ができるか。つじつまが合ってなくても、面白ければそれでいい(後略)』*

『ピストルオペラ』を見に行き、鈴木清順ご本人がゲストで登場したときのこと。「清順美学」を少しでも解き明かそうと、その本質に迫ろうと、あれこれ質問する観客に対して、のらりくらりとかわし続け、すーっと去っていった。

話は戻って「劇的3時間SHOW」。語られた言葉、うーんと唸るものがいっぱいあった。パフォーマンスとしてもすごいしね。こういうイベントにタダで参加できる背景も興味深い。そして、とりわけ印象的だったのは「のらりくらり」。

情熱をやんわり包み、状況を冷静に捉えたうえで、のらりくらりかわすのだ。

*朝日新聞 2003年6月13日 鈴木清順インタビュー記事より抜粋

2007年9月30日(日)
喋らない一日
J-WAVEで7年半続いた"e-station"が最終回を迎えた。その日の午後は移動時間が長くなるようスケジュールを組み、せっせと番組を聞いた。印象に残ったのは、番組ナビゲーターのひとり、「みんしる」さんが紹介した映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』での彼女のコメント。

映画のラストシーンで『水に流して』という曲が歌われる。その歌詞は「わたしは決して後悔していない」という内容。「エディット・ピアフのような波乱万丈では決してないけれど、自分と重ねあわせ・・・」。

ところどころ涙で詰まりながら語る彼女。季節はずれの真夏日。御成門近くのオフィス街。

番組のラスト・チューンは、ユニコーンの『すばらしい日々』。山手線でこの曲を聞きながら、電車の窓越しに見た風景も残ってる。番組のコンセプトは、「ひとつでもおもしろいコトを見つけて、乗っかって行こう!」。番組が終わっちゃったのは残念だけど、この精神!とは、いつもいっしょにいたい。

七里ガ浜の駐車場にクルマを置いて「パーク&レールライド」。駐車場5時間、江ノ電とJR(区間限定)フリー切符がついている。「フリー切符」がついていると、ついつい降りたくなるのが人情。七里ガ浜から鎌倉まで、一駅、一駅、全部降りて歩いた。ケチって話もあるけど、予期せぬ風景にいっぱい遭遇した。

本来の目的だった小津安二郎ゆかりの地はタイムアウトになっちゃったけど、鎌倉を5時間で見尽くそうなんて甘い、甘い。波を気にせず、鎌倉を歩く新鮮さ。鎌倉駅の江ノ電ホームは昭和。「レトロ」って一言で済ませたくない懐の深い懐かしさがあった。今度歩くなら、できるだけ冬至に近い季節がいいな。

中山うり、『月とラクダの夢を見た』。どう表現すればいいのかな。胎内に戻ったような、母性でつつみこまれるような本能的に安定した感覚。そんな彼女の歌を、目の前で聴いた。開演時間を間違えて、会場に早く着いたおかげで、最前列。あがた森魚と緑魔子が共演していた時代を彷彿とさせる雰囲気。20代半ばの彼女が、どういうキッカケでこういう音楽をつくるようになったのかなって不思議に思ったりもしたけど、ま、背景はあんまり知らないほうが、イマジネーションが沸いたりするんだよね。『月とラクダの夢を見た』、ライブでつつみこまれるしあわせ。

六本木一丁目のベラルーシ家庭料理「ミンスクの台所」。出力ができるとき、できないときはあるにしても、わたしのアタマの中には「お昼ゴハンデータベース」があって、このときは取り出せた。前に通りがかったとき、中途半端な時間で食べられなかったんだよね。「一番ベラルーシらしいメニューは?」って訊くと、「これとこれの組み合わせ!」と即答してくれたので、迷う余地なし。ボルシチ風な煮込みに、炊いたそばの実。素朴なゴハンをいただきながら、お店に置いてあったベラルーシ観光ガイドを読む。現地のツーリスト・インフォメーションでもらうようなガイドで、一足飛びにベラルーシにワープ。もっと勉強しなさい!って話、ミンスクってベラルーシの首都なのね。ベラルーシは、地図で見るとポーランドの右隣り。

石川さゆりの『ウィスキーがお好きでしょ』が、また最近、コマーシャルで流れている。思えばバブル末期、当時はまだまだいけると思ってたころ、コマーシャルで使われていた。あのころ、すでに大人だったひとに向けてるんだろう。だって、懐かしすぎるもん。ウィスキーは飲まないけど、この曲聞きながらウィスキー飲んでみたら、忘れていた何かを思い出せるような気にさせる。

喋らない一日、雨が降って、寒くて、波もなくて、爽快感もない1日。ちょっと振り返ってみる。最近のこと、むかしのこと。そうするといくつかの大切な課題がゆっくりとあぶりだされていく。

2007年9月27日(木)ミリキタニの猫
映画を見るとき、旅行するとき、その他もろもろのシチュエーションでも、あんまり事前準備しちゃうとつまらない。映画評を読んだら、すごくよさそうだった。見てみたらよかった。ネットであれこれ情報を集めて旅行に行く。効率よくまわれた。コケなかった。すべらなかった。情報過多。そんな予定調和じゃ自分の血肉!?とならない。

『ミリキタニの猫』というドキュメンタリー映画も、いろいろ事前情報チェックしないで見にくほうがいいと思う。ニューヨーク在住の女性監督が、街角でホームレスの日系人老画家と知り合う。ちょうどそのころ、あの同時多発テロが起こる。彼女は彼を自宅に招き入れる。いっしょに暮らす日々、浮かび上がる彼の過去、終戦から60年以上が過ぎても決して消えない戦争の傷跡・・・。

このドキュメンタリー映画の物語を詳しく書こうとすると、見ていないひとにこの感動を伝えようとすると、もどかしさが先立つ。彼が長い間抱えてきたたくさんのことの重みが、文字と情報が溢れている今の世の中では埋もれてしまいそうで。上滑りな「描写」で終わってしまいそうで。

この間、『線路と娼婦とサッカーボール』を見たとき、キーワードとなった「尊厳」は、ここでも重要な主題なのかなと思う。そして「反骨」。あたしは彼みたいにずーっと「反骨」のそばにいられるだろうか???

『ミリキタニの猫』、東京では渋谷ユーロスペースで絶賛公開中です。

関連リンク 『線路と娼婦とサッカーボール』

2007年9月25日(火)首都高速って何様?
東京はすごく飽きない街だと思うし、問題山積みとはいえ、日本も大好き。連休は鎌倉を歩いたんだけど、歴史の重みとかヒシヒシ感じるしね、ステキな国だと思う。でも、「元お役所、見た目一応民間企業」は、日本をどんどん蝕んでるような気がする。鉄道系とかいろいろあるけど、そのひとつが首都高速。だいたい日本の高速道路料金は高すぎる。

日経新聞の見出しには「首都高、都内400円から」が大きく書いてあって、脇にちょっと小さく「距離別料金 現金なら一律最高額」。パッと見ると、距離別料金が導入されると値下げみたいに見える。確かに短い距離(10キロ未満)だと安くなるんだよね。でも、19キロを超えると値上げになるそうだ。

毎週海に行くとき、軽く19キロ以上乗ることもあって、一言書こうと思って、首都高速サイトの「ご意見募集」のページを見て、ビックリした。『ご意見をお寄せいただいた方の中から抽選で415名様にニンテンドーDSLiteなど素敵なプレゼントを差し上げます』って書いてある。以下は、わたしが投稿した内容です。

今回、このアンケートページを見て、本当に驚きました。アンケートに答えれば、ニンテンドーDSなどプレゼントしてくれるそうですが、その財源はどこから来ているのでしょうか?公益性の高い事業なのですから、アンケートを募るのに、プレゼントは不要だと思います。それとも、他に意図があるのでしょうか。

先にも書きましたが、料金を改定する前に、収益性を上げる努力はしているのでしょうか。「料金改定」という言葉を使われていますが、実質的には値上げではないのでしょうか。ホームページの「距離別料金Q&A」を拝見しましたが、『一部の方は現在よりも負担が増えることとなりますが、短い距離をご利用になるお客様など、一部の方は現在よりも負担が減ることになります』など、表現が抽象的で「料金改定」をする具体的な背景がわかりません。

ETC利用者に関しては、短距離利用と長距離利用の割合などデータがあるはずです。そういった情報開示はしているのでしょうか。探してみましたが、見つかりません。どこか、見つかりにくいところにあるのかもしれませんが・・・。

また御社のホームページ、「首都高の料金に関する懇談会」を拝見したところ、「2008年、首都高は距離別料金に移行します」と書いてありました。ということは、もうすでに「距離別料金に移行すると決まっている」のでしょうか。だとすれば、このようなアンケートページにプレゼントまでつけて、意見を募る必要はないように思います。

私はETC利用者ですが、ETCを搭載していない利用者は距離にかかわらず最高料金の1200円を課金するなんて、暴挙に等しいと思います。

それにしても、このアンケートページ、「右クリックを禁止する設定」になっていますね。不思議です。

プレゼントは欲しくありません。お役所的発想しかできない形式的な民間企業から脱却して、早く実質的に民営化されることを祈ります。

利用者にわかりにくい料金システムをヒマにまかせて作り上げ、実質的な値上げをしようとしてるんじゃないの??? 次は新聞に投書してみよう。

ところで、今日は中秋の名月。夜空に拡がるウロコ雲の隙間から、まあるいお月様が姿を見せた。その瞬間、連れて行かれそうになる。息が止まりそう、神秘的で。

2007年9月17日(月)時代おくれ
西大井駅前の中華系定食屋に入ると、『さらば恋人』『五番街のマリーへ』『真夏の出来事』・・・と、昭和歌謡が流れ続けた。

阿久悠さんが亡くなってから、懐かしい曲を耳にすることが多くなった。1970年代、昭和で言えば40年代後半から50年代前半が「歌謡曲」の全盛時代だったような気がする。その先頭を突っ走っていたのが、阿久悠さんだったんだよね。1970年代後半は、TBSの「ザ・ベストテン」の全盛期。一般家庭にはビデオも普及していなくて、テレビも一家に一台、もちろんインターネットもケータイもなく、ともだちからの電話は親が取り次いでた。ピンク・レディが一世を風靡した時代。

1980年代が始まり、「ザ・ベストテン」やピンク・レディが勢いを失い、世の中がどんどん豊かになり、「個」の縄張りが拡大し、家族で同じテレビ番組を見たり、同じ歌を共有することがなくなっていったような気がする。

そうなる前の時代が無性に懐かしくて、ちょっと書いておきたいと思ってネットで当時のヒット曲を検索してたら、出るわ、出るわ。youtubeでも、いっぱい見れるのね。『また逢う日まで』や『ジョニィへの伝言』は、i-tunesでもダウンロードできた。よしあしはともかく。

先週水曜日のTBS「阿久悠の世界」を見ていて、一番印象に残ったのは、『時代おくれ』。この歌は1986年にリリースされたんだそう。とんねるずが『歌謡曲』をヒットさせた年だけど、そのころすでに「歌謡曲」というカテゴリーは前時代的な響きを持っていたように思う。

当時『歌謡曲』はしょっちゅう聞いてたけど、『時代おくれ』という歌の記憶はまったくない。自分が浮き足立ってたからだよね。無意識のうちに、未来はいくらだって明るくなるって信じてた。

”目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい”
(作詞:阿久悠)

あのころだったらしみわたらなかった歌詞。一番こみあげるところを引用させてもらったけど、この曲の歌詞は、どれもこれもみんな深い。

「歌は世につれ、世は歌につれ 歌は世につれても、世は歌につれない」というようなことを書いたのは、五木寛之。世に歌はつれなくても、ふた昔前の歌詞が「いま」を映しだすことがある。

現実のわたしは抜けてることがいっぱいあって、脇の甘さを思い知らされても締めきれない。でも、音楽がいつもすぐそばにある。それはとってもしあわせなこと。いつも音楽があれば、過去と今を行ったり来たりしながら、自分を見つめなおすことだって、できるもんね。

2007年9月12日(水)余丁町
先週の金曜日、台風が通り過ぎていった日の夕方。四谷からバスに乗って余丁町で降りた。新聞屋さんの軒先で揺れる風鈴。路地を入っていく。左側、空き地の向こうにフジテレビ跡地の高層マンションがそびえる。高層マンションとわたしが立っている場所の間は窪地になっているから、ビルが斜面に連なって見える。

お隣りの河田町には、何度も来たのにね、余丁町は初めて。突き当たりに「出世神社」。ここでも風鈴の音が聞こえてくる。トリニダード・トバゴのスティール・パンをおもいだした。

セミがちょっとだけ鳴いている。夏が終わっていこうとしている。陽射しはこころなしか斜め。ところどころに空き地があって、スイカなのかな、黄色い花が咲いている。子供が遊んでいる空き地もある。繰り返す坂道。ずっとずっといつまでも、歩いていたくなる。

若松河田駅はすぐそこ。帰りは地下鉄に乗った。本当にいつも思うんだよね。何度も来ていても、ちょっと歩けば、ささやかな未知があるって。

そういえば、ちょっと前、カリビアン・マジック・スティール・ドラム・オーケストラのライブを見に行った。トリニダードから遥々やって来た総勢約20人が、スティール・パンを叩きまくる。あんまりにも本物でビックリ! トリニダードそのものが東京で体感できるなんて! そして、彼らのパフォーマンスに熱狂する観客がたくさんいるのに、二度ビックリ。

トリニダードで買ったか、貰ったかした、トリニダード・トバゴの国旗バンダナとまったく同じもの(ウチのはファックスの猫毛進入防止用カバーとして第二の人生を送っている)を振り回しながら踊りまくる若い女のコたち。「あたしが知らないうちに、東京ではトリニダード・ブームが起きていたんだ」って、合間合間に感慨にふけったりした。

このライブで共演したリトル・テンポが取り入れたことで、日本での「スティール・ドラム」の知名度が一気に高まったってことを知ったのも、つい最近だしね。未知はここにもありました。

話は変わるけど、今日は早めに帰って、TBSの阿久悠特集を見てた。次々流れるなつかしい曲の数々。おもいだすのは「ベストテン」。遠い昔だからかな、すごくいい時代だったようにおもう。河島英五の『時代おくれ』が流れたとき、ふと目を向けた先に、向田邦子の言葉があった。「美しくなくてもいい、最後まであきらめず、勇猛果敢に生きてやろう」。

いまになって、『時代おくれ』の歌詞がずーんと響く。<続く>

関連リンク 
トリニダード・トバゴ

2007年8月31日(金)堀切+鵠沼
堀切の駅舎は木造で、ひなびてて、人影も少ない。2〜3年前、京島に行ったとき、ここにも来た。でも、そのときは知らなかったんだよね。小津安二郎の『東京物語』で、笠智衆と東山千栄子が演じる老夫婦の息子が、町医者を営んでいた。その舞台がこの駅近く、荒川土手の下だったことを。

土手の上。右手に鉄橋、左手には首都高、目の前に堀切駅、振り返れば荒川。真夏の陽射しに照らされて、悠々と横たわる。54年前につくられた『東京物語』の風景とは、ずいぶん違うんだろう。もちろん、当時は、ケータイもないしね。

土手の下に降りて、東京未来大学の前を通り、高架下。午睡するドライバーたち、人気のない公園。階段を上がると、角度を変えた荒川が見える。降りて歩く。柳原千草園、セミの洪水・・・。

小津安二郎の映画を初めて見たのは十代。東京には4歳から住んでいるのに、堀切が『東京物語』の舞台のひとつだったことも知らず、築地、浅草、吉原、神田などなど、小津監督にゆかりがある地も、知らないまま歩いていた。

なんだかとっても損をしたような気にもなるけど、今度行くとき、小津監督のことを思い浮かべながら歩けば、今までと違うものが見つかるかもね。
こないだ築地で、昭和の路地を歩いたのは、プレリュード?

8月最後の日曜日は、鵠沼で波乗りした。波は全然なかったけど、快晴。気持ちよく晴れた真夏の鵠沼はひさしぶりだな。海から見ると、リゾートマンションが増えてて、カンクンみたい。砂浜は人で埋めつくされてて、湘南の基本!って感じね。『八月の濡れた砂』。1971年と2007年が混ざりあう。

YouTubeには、この映画もアップされてるのね。ずーっと忘れてたラストシーン。ものすごくなつかしい。

ここ数日はすっかり涼しくて、ほんの1週間前のことなのに、ギラギラの太陽に照らされた堀切や鵠沼も、去年の夏のことみたいに、なつかしい。


2007年8月19日(日)過程
男性は結果を重視し、女性は過程を重んじるという話を聞いたことがある。なるほど・・・と思ったりもするけど、まあ、一般的には結果が重視されることが多い。世間の評価はそんな感じ。でも、結果はときとして要領のよさに左右される。たとえば、コバンザメに専念し、せっせとゴマをすり、要領よくたちまわり、いい結果が出るとする。満足なの?って問いかけたいけど、それはその人が決めることだから。それに、その先に何が待ってるかだって、未知だしね。

じたばたしたり、水のないプールでクロールを繰り返すようなことして、結果として手に入れられなかったとしても、その過程でないアタマ振り絞って試してみたことは、すべてそのひとの経験になる。

すべてを得ようとするひともいる。得ることは大きな満足を連れてくるし、得ることは評価につながる。でも、自分のなかでは、得られなくても、得ようとすることで、得られることは大きいと思う。なんだ、結局、得ようとしてるんじゃない?ってハナシもあるけど。~ - 

得ることだけがしあわせの基準だったら、得られなくなったときには、天地逆転。昔のブルースにあったよね。"Nobody Knows You When You're Down And Out"。落ちぶれたら、もう誰も寄ってこないって。

「ウィン・ウィン」ってお仕事するときは、必要なんだよね。自分が得することばっかりギラギラしてたら、引いちゃうでしょ。だから、自分と組めばあなたにもこんないいコトがあるって話をする。でも、この言葉、あたしは嫌い。損得勘定とともに、人間関係もいっしょに消え去るから。それに、自分のコトばっかり考えていて、要領がいいひとほど、「ウィン・ウィン」っていう言葉を口にするから。

しあわせだなって感じることはたくさんあって、そのうちのひとつは、損得抜きで付き合えるともだちがいること。ただ、ともだちだって永遠じゃないから、疎遠になる時期だってある。でもそれは自然なことだと思う。お互いのモードだって、いつもいっしょじゃないし。だけど縁があれば、いつか再会する。

「損得、損得、カネ、カネ、カネ」。それが行動の基準。自分だけ得していれば、それで満足?って、しょっちゅう問いかけたくなる。

そういえば、高校野球見てたら、勝ったチームの選手がインタビューで、「今日の勝因は?」っていうようなことを訊かれて、「一番の勝因は監督の采配です」って答えてた。高校生、今からそんなことでいいの???

と憤る一方、自分の価値観を押しつけないようにすることも本当に大切だと、ヒシヒシおもう今日このごろ。


2007年8月14日(火)アンチ・エイジング?
ゴハン食べて、洗濯だけはして、高校野球見ながら午前中からビールを飲む。ベランダで揺れながら、強い陽射しに照らされて、みるみるうちに乾いていく洗濯物を見ながら。すっごい贅沢しているような気分になる。ポインター・シスターズを聴いたりしながら。

ポインタ・シスターズで検索して、オフィシャル・サイトを見てみると、今年から来年のツアー情報が載っていた。歌い続けていることが、うれしい。そしてポインター・シスターズからベット・ミドラーへと繋がっていく。"The Divine Miss M."というアルバム、ひさしぶりに「針を落とした」のは、"Boogie Woogie Bugle Boy"。でも、すぐ、彼方から"Hello In There"という曲が手を振った。このアルバムを聴いていたとき、中学生くらいだったけど、それでも予感がしたのか、ずいぶん感動した記憶がある。そして、いま、時を経て、感動の大波が押し寄せる。

この曲は、時の移り変わりのなかで忘れ去られちゃいけないと思う。詞が深くて、深くて・・・。

閑話休題。

「アンチ・エイジング」が流行っている。年齢を超えようとすること自体が不遜だと、そういうことを書いていたひとがいた。年齢を重ねるごとに得るものがあるのだから、「アンチ」ではなく、得るものを大切しなければと。

「もう、いい年だから」と、自分に線をひいてしまうのはもったいない。だからといって、「年齢なんて関係ないわ」と言い切ってしまうのも、どうかと思う。だいたい「あなたは暴走している」と助言してくれるひとは、ほとんどいない。それとなく匂わしてくれるひとは、たまーにいる。最近、「場の空気を読む」ってフレーズをよく耳にするけど、まさしくそれね。感じ取らないと。

あるスポーツ選手が言っていた。「自分で限界を決めたときに、限界は来るのだ」と。そう言われてみればそうで、「もうダメだ」と思ったときに、ダメになるような気がする。別の場面で言えば、「自分はこうだ」と思い込んでしまったとき、進歩はなくなる。

自分なりに爆発しそうな怒りを多少は押さえつつも、それでも怒りの鉄拳を見せてしまう。座っているとき怒るならこぶしで机を叩くとしても、立っているときに怒ったら、手近にある机を蹴っ飛ばすのか。電話だったらどうするのか。反省するけど、また繰り返す。

年を取っていくことを「アンチ」と捉えず受け入れ、得るものを大切にし、暴走することなく、自分で限界を決めずに挑戦していく。これは相当むずかしい。でも、こうなりたいな・・・って理想を描いていれば、生きていくのは、確実にたのしくなる。理想的な自分になれるかどうか、ゲームみたいな感じで、試してみたいと思ったりするんだよね。


2007年8月11日(土)品格、自覚と評価 
1週間、毎日、ブログみたいに更新してみようと思いついたのは、単純に書きたいことがいっぱいあったから。書くことに関しては、気が済んだと思っていたけど、毎日生活していると、思うこと、考えることがいっぱいあるんだよね。

1週間の間にあったことで印象に残ったことを日曜日の夜に書くと、生々しさは相当失われている。海に行って帰ってきて、すでにすっかりスッキリしてて、ほとんどのことはどーでもよくなってる。普通に生活していて思ったり、考えてたりすることなんて、そんな程度のコトが多いんじゃないかな。

でも、残しておきたい「たわごと」もあるんだよね。それで試しに、その日のうちにその日のことを書いてみることにした。

たまたま(運命的に?)今週はいつもよりも、初めての場所に行くことが多い、「旅」っぽい1週間だった。荏原中延にしても、小竹向原にしても、ほんの数日でも時間がたってしまうと、たわいもないことだけに、ザラザラした感触がなくなっちゃうんだよね。書いておいてよかった。

ところで、今日から9日間の夏休み。フシギなことに、ドーン!と突き上げるような、旅行に行きたい衝動が来ない。旅行に関しても、気が済んじゃったのかもね。東京と近郊でも、旅はできるし。

今は「品格」にすっごく興味があるの。

昔、アイドルだった、わたしと同世代の女性タレントが、テレビの旅系番組に出ていたときのこと。見ていた母によると、「若いころと同じような服装、髪型で、見るに耐えなかった」んだそうだ。司会者が、「○○さん、昔と全然変わらないですよね〜」とお世辞を言うが、年波は如実に押し寄せていると・・・。

「若く見えますよね」と言われたとしても、お世辞かもしれないとわが身を振り返るのが自覚なのかもね。「年齢よりも若く見えるはず」と自認していたとしても、まわりからはそう見えてなかったりするから、それは評価なんだよね。

この話については、まだまだ書きたいことがいっぱいある。

2007年8月10日(金)レコード針 
先月末、日暮里に来たとき、ちょっと早く着いたので、朝倉彫塑館に行った。前に来たときは、ちょうど休館日で、しもた屋の軒並みが続く下町を散歩して帰った。もう一度歩くと、前回は気がつかなかった、なつかしい気持ちにさせる路地を見つけたりして、ホント、深い・・・。

朝倉彫塑館は和洋折衷で、通りから見える姿かたちから、内部は想像しにくい。書斎も壮観だし、和風なパティオもあってね。陽射しがコントラストをくっきり描きだす真夏に来てよかったな。でも、冬の景色も味わってみたい。四季があるってすごいことだと思う。夏は大好きだけど、ずーっと夏だったら、飽きちゃうもんね。

日暮里は、もうすぐ舎人線が開通するから、再開発で沸き立っている。見上げる高層マンションを真っ青な空が包む。

今日の午前中は冷房が効いた会社にいて、お昼はベトナム料理食べて、午後は行ったことがあるところ、よく行くところへ。こういうスケジュールのほうが日常。月曜から昨日までは、初めてと、ひさしぶりと、過去が交錯?して、ずいぶん旅気分を味あわせてもらった。「初めて」と「ひさしぶり」に満ちていると、得したような気になる。しかも、こんな真夏に。

取り寄せを頼んでおいた「レコード針」が入荷したって連絡があって、引き取ってウチに帰った。まず聴いたのは、フィービ・スノウの『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』。次に聴いたのが、ポインター・シスターズの『クラウドバースト』。この曲が聞きたかったんだよね、この季節に。夏休みが始まった!

2007年8月9日(木)あたりまえのこと 
ロシア大使館前では、右側の人々が「北方領土を返せ!」と、スピーカーが割れるような音量で叫び続ける、灼熱の太陽の下。今日は、長崎に原爆が投下された日だったんだ。大切なことを意識しないまま生きている。

お昼はテレビ朝日通り(今でもそう呼ぶの?)沿いのイラン料理屋で食べた。ここのカレー風スープは絶品! ヒルズは好きじゃないから、お手洗いだけ借りた。でも、一度、東京シティビューと水族館は見てみてもいいかも。夏休みが終わってからね。

留守電のメッセージは刹那的な明暗を分ける。期待していた内容じゃなかったけど、理由や状況や見通しをわかりやすく伝えてくれた。そんな誠実な言葉を聞けるのは、本当にしあわせなこと。「誠実であること」はあたりまえのことかもしれない。でも、誠実さに触れた機会が少ないひとほど、あたりまえさを強調するような気も、ふっとする。

中国大使館に向かって歩いていく道の左側には、むかし、急な坂があった。降りていくとともだちが住んでいるマンションがあって、よく遊びに行ったっけ。いったん彼女の部屋に集まってから、「ディスコ」に繰り出したりしてね。六本木ヒルズができてから、何度かこの道を歩いては、あの急な坂を探した。もうないとわかっていても、今日も探す。もしかしたら、ゆらゆら揺れる真夏の強い陽射しが魔法をかけて、突然、見せてくれるかもしれない。幻でも。

目的地は、かの有名ミュージシャンの事務所。

コルディアーレ麻布、外苑西通り、戻って愛育病院、仙台坂上、有栖川公園・・・。お寺沿いの江戸時代みたいな小道を歩くのはひさしぶりだな。

昔に引っぱりこまれていくのは、ちょっと悔しいけど、吸いよせられるような昔があるのは、ちょっとうれしい。そして、昔と今が行ったり来たりしているなかで、変わらない、変わりようのない自分をちょっと意識する。


2007年8月8日(水)ケータイ、見ながら歩くか、話しながら歩くか
 
緑がいっぱいあって、、キラキラ輝く千駄ヶ谷。
「それだけが取り柄なんです。お昼を食べるところが全然なくて」。
そう言われれば、そうだ。駅の北側、明治通り沿いあたり、お店あんまりないもんね。蝉時雨。夕方歩いたら、また違った風情があるかも。

教科書の写真に載ってた明治の文豪が、ひょっこり路地から出てきそうな早稲田の路地。一本、一本、丹念に入っていきたい誘惑は、強い陽射しがかき消した。じゃあ、楽して旅情を味わいたいなら、都電に乗る。ちょうど「宝くじ号」が停まっていたので、写真を撮った。デジカメの画面を見たら、上海のリニア・モーターカーを思い出した。「宝くじ号」は、昭和初期の都電をイメージしてるんだってね。車内も木を基調にしててね、ほんの10分、旅に出る。

断り方にだって、品格は存在するんだろう。だとしたら、同じ品格の土俵に乗って、ねじ伏せようとするのは、いかがなもの??? ひとつの方法ではあるけれど、選択しない自由もある。

夏休みの東京は、ポケモン・ラリーの親子連れと、ケータイの画面を見ながら歩く人々がいっぱい。ケータイの画面ばっかり見てる人を見かけると、説教したくなる。そんなちっちゃい画面ばっか見てないで、大海原に漕ぎ出せ!って。

「グループで群がって、ケータイ電話で話しながら歩いているような・・・」。
あるとき、成城にほど近い住宅地に住む人は、軽蔑を含んだ口調で言った。ハッとした。ケータイの画面を見ながら歩く人に説教したくなるわたしは、ケータイで話しながら歩く。群がることはなくても、確実に声は大きくなっているだろう。品格を問う。品格が問われる。

夏休みモードのせい? 最近、ケータイにあんまり電話がかかってこない。ちょっと物足りなかったりもするけど、ひとりで歩いているとき、ずーっとひとりでいられるのは、なんか懐かしい昭和の夏だったりするんだよね。

2007年8月7日(火)小竹向原 『女性の品格』はじまる 
初めて降りる駅で改札を抜けて外に出るときは、いつだってわくわくする。小竹向原の1番出口を出てみたら、お店が一軒もなく、いきなり住宅街だった。ネット上には便利なサイトがいっぱいあって、ふだんは使わないんだけど、今日はなんとなく予感がして、プリントアウトして持ってきた。でも、よくよく見たら、別の駅からの道案内だった。

アナログで行け!という啓示でしょう。地図を見ながら、歩いていく。夏休みでしーんと静まりかえった学校。学校がいっぱいある。昔ながらの団地に囲まれた昔ながらの公園。セミが鳴いている。子供はひとりもいない。ベンチにおばあさんがひとり、座っている。

歩いても歩いても住宅街、目的地近くなってやっと宮の下商店街に出た。パスタ屋よりも、定食の気分。

「反対側の出口に出ちゃうと、倍くらいかかるのよ」。
なるほど、遠かったわけだ。お昼どきをちょっと過ぎた定食屋さん、おかみさんと話しながら、肉ナス味噌炒め定食をいただいた。実家があるという東松山産のスイカもオマケしてくれた。今年初めてだな、スイカ。何年かたっても、今年の夏、このお店で定食を食べたことを覚えてるかな。

帰りは大山から帰ることにした。交番で道訊いて。後になって考えてみると、小竹向原に戻ったほうが、次の目的地に行くのには全然近かったんだけど、大山の商店街で食べた「ごまだんご」が予想を遥かに超えておいしかったし、ま、いいか。

そして、図書館で予約したら320人待ちだった『女性の品格』、母が買ったので借りて読んでる。今の時期に、この本が読めてよかったな。「品格」について考えつつ、自分の言動を意識してみると、全然気づかなかったコトが見えてくるような気がする。

2007年8月6日(月)五反田 荏原中延 戸越銀座  
海喜館という旅館。傾いた塀が視界に入って、行ってみたら旅館だった。看板が出てて、門も開いてて、蛍光灯もついていた。門から玄関に入っていくあたりは風格あるんだけど、建物は相当なもの。西荻の西郊ロッヂングをおもいだした。でももっと『昭和枯れすすき』。木でできた引き戸が勝手口から見えたのは、真夏の午後の幻影? 五反田は何十回も来てるのに、この館には気づかなかった。ほんのちょっと、いつもと違う道に入るだけで、知らない世界が現れる。

「奥さん、ちょっと」。
お客さんのところに入る準備をしていると、どっかから声が聞こえたような気がした。
振り向くと、商店街の向こう側で、お店の前のベンチに座ったおばあさんが、手を振っている。
「奥さん、暑いから、ここで休んでいきなさいよ」。
おばあさんは「奥さん」とわたしを呼び続ける。そう呼ばれることはフジギな感じ。滅多にないもんね。実際に「奥さん」かどうかはどうでもよくて、会話の内容だってたわいもなくて、でも、荏原中延に来てよかったな・・・って思ったのは、そのおばあさんが、ほんの5分ほどの会話のなかでも、わたしを気遣ってくれたこと。とっても暑いから、休んでいったほうがいいと思って、声をかけてくれた。それがヒシヒシ伝わってきた。とってもうれしかったこと、ちゃんとおばあさんに伝えられたかな。

ちょっと陽射しが力を失いかけた夕方、商店街は延々と続いていた。ここって、Charの地元なんだよね。戸越銀座駅で降りるのは、たぶん生まれて初めて。こんなにあっちこっち行ってるのに、商店街の途中を横切る第一京浜はいっぱいクルマで走ったんだけどね。ここを抜けて多摩川に向かうのはドライブ・コースのひとつだし。焼き鳥1本食べようかなって思ったけど、まだお腹が空いてなかった。お昼、五反田でひさしぶりにペルー料理を堪能しちゃったから。今度来たら、焼き鳥食べよう。

2007年8月5日(日)夏木マリ  
「おっ?何で一番前の列が空いてるんだ? 関係者席ね。ほら、後ろのほうで立ってる人たち、座っていいよ。関係者は、もう来ないって。あたしの『権限』で許可するから」。

まず、ステージに向かって左側の後ろのほうに立っていた人たちが、小走りに、最前列に向かった。しばらくすると「関係者」らしき若い男のコが、右側後方に立っていたわたしたちのほうに来て、「前へどうぞ」と言った。

ほんの2m先に、とんでもない存在感を持つ夏木マリ本人がいて、ブルースなロックを歌う。筆舌に尽くし難い迫力。もう細かいことなんて、どうでもいい。そこにいるだけで、カッコいい。あんなふうになりたいと、なれるかどうかじゃなくて、なりたいと思いながら生きていくだけでも、しあわせになれそうだ。

「健康で、ちょっと食べ物があれば、それでいいじゃない?」。

彼女の言葉は魔力を持つ。言う人の魅力がすべてなんだもんね、言葉のちからって。


2007年7月29日(日)目からウロコは永遠に不滅  
ともだちの家に遊びに行った帰り、夜も更け午前2時半ごろ、自転車をせっせとこいでたら、おまわりさんに停められた。

「近ごろ何かと自転車に対する風当たりが強いので・・・」。
というような意味のことを言って、おまわりさんは、防犯登録を確認し始めた。

「お仕事の帰りですか?」。
短パンにTシャツ、多少お酒も入っているのは、顔に出やすいわたしのこと、すぐにわかるだろう。尋問?するおまわりさんにも、コミュニケーション・スキルが求められるのだ。質問はシンプルに、答えやすく。

確かに無灯火で突っ走る自転車はあぶない。
「今週末にライトを買ってつけます」。

で、ドンキホーテに行った。ホントは、あんまり好きじゃない。ぐちゃぐちゃしてて、イヤになる。店内を流れる女のコのアナウンス声の妙なトーン、失敗した未来みたいな退廃ムード。でもあれこれいろいろあるし、安い。

タイヤで自家発電するタイプはペダルが重くなるのでやめて、ハンドルに装着する電池タイプにした。378円とか、そんなお値段ね。安くてビックリした。ま、100円ショップで懐中電灯が売ってるわけだから、考えてみれば当然なのかもしれないけど。あとは雨に濡れてどーなるか。

ついでに自転車の空気入れも買った。実は何年も迷っていた。1200円のランチを食べるときだって、一瞬しか迷わないか、迷わず入るかなのに、なぜ? 

ランチを食べるときはお腹が空いてるから。自転車の空気入れは、駐輪場でも貸してくれる。

買うことにした一番のキッカケは、カッコよかったから。パナソニックのパナレーサー。小学校のころ、こんな空気入れが欲しかったな。

気のせいかもしれないけど、空気の入り方が全然違う。そして、空気をみっちり入れてもらった自転車の走りは、もう断然違うのだ。こんなカンタンなことで、こんなに快適になれるんだ。長年乗り続けている自転車は、もうタイヤもずいぶん減ってきているけど、天寿を全うするまで、ずーっといっしょに走ろうと思う。

ところで、今月の日経、「私の履歴書」は長嶋茂雄。ミーティング後のレポート。箇条書きでビッシリ書いた王貞治に対して、長嶋は「よく、わかりました」の一行だった・・・とか、彼らしいすっとぼけたエピソードがいっぱい。そういえば、昔、まだ自動改札がなかったころ、長嶋は新幹線の改札を、切符は出さず「ご苦労さん!」と明るく駅員に声をかけ、通っていたっていうハナシを聞いたことがある。

そして「ファンを楽しませる野球」のあくなき追求。ホント、わたしなんかがコメントするのは、おこがましいんだけど、おごらず、楽しんでもらおうとする姿勢、すごいな。すっとぼけながら、まわりを楽しくさせる天才。ほんのちょっとでも近づきたい。

2007年7月16日(月)
夏の歌  
スペイン語版Yahoo!Music http://es.launch.yahoo.com/ ネット・ラジオに「夏の歌」特集が登場した。流し始めたら、これが飽きない! 「この曲のどこが夏?」って歌から、過去に引き戻されそうな懐かしい曲、ベタベタ夏歌に、「あったよね、こんな曲」とか、時代錯誤でエビ反りそうな曲まで、ランダムにかかる、かかる。聞けば聞くほど、ザクザクいろいろ出てきそうで、やめられなくなりそう。そのうち、サブリナの『ボーイズ』なんか、かかっちゃったりして。

ついに!『ボルベール』を見に行った。ペネロペ・クルスは、18歳だった『ハモン・ハモン』でもノックアウト!されたけど、いまのほうがカッコいい。早くも「おばちゃん」の領域に入ったような気もするけど、それだけ力強さと魅力が増して、小気味いい色気が画面から香りたってくる。そして、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』以来、約20年ぶりにアルモドバル作品に帰ってきたカルメン・マウラ・・・。

関連リンク ボルベール<帰郷>

台風の連休は、海三昧。未知の波を求めてハズしたり、諦めかけたときにエクスタシーが来たりして、波乗りは乗っても、乗っても、こけても、飽きない。逗子で乗るのは、本当にひさしぶり。去年は行かなかったな、おととしはどうだっけ??? その前の2004年は、ここで乗りまくったんだよね。浅いところは、海の色がホントにエメラルド・グリーンなんだから! こんなこといまだにしてていいのかはともかく(このセリフ、何度も書いた気がするけど)、至福。


2007年7月8日(日)一線を引くということ  
月末はいつだって怒涛で、終わった翌日から、母と稚内経由で礼文島と利尻島へ。仕事してるとき以上の分刻みのスケジュールで、島をめぐる。

稚内に着いたときは、これで雪が降ってりゃ吹雪・・・みたいな状態。11度だって言ってたけど、風が強いせいか、30度近くある東京から来たせいか、猛烈に寒く感じる。駅の近くには、「さいはて」という名前の旅館があった。どこかに似てると思ったら、アルゼンチンのウシュアイアだ。高い建物がなくて、間隔のあいた家々のあいだを冷たい風が吹き抜けていく。ときどき、目が覚めるような原色の家がある。そういえばウシュアイアには、「世界の果て」という名前の美術館があった。稚内から北極に行くより、ウシュアイアから南極に行くほうが、距離的には近いけどね。

稚内はほとんど歩く時間がなかったけど、土産物屋にも飽きてささやかな散歩に出たら、防波堤ドームを見つけた。行くまで知らなかったから、見つけることは感動的なんだよね。1936年に完成したというその建築物は、「防波堤」という言葉から連想するイメージとはかけ離れている。ヨーロッパっぽい円柱、大連をおもいだした。北に位置するせいか、上海よりも大連。

今年はタイムアウトになりそうだけど、来年の夏あたりは、稚内経由でサハリンに行ってみようかな。行ったことがない国に、行きたくなってきた。

礼文はいま、花がたくさん咲いている。これ見よがしの盛りじゃなくてね、小さく健気に咲く。

「あたしみたいでしょ」って、ある人に言ったら、「そうならなくちゃねって思ったんでしょ」って、かぶせられた。

閑話休題。ある日、新宿を歩いていたら、逗子在住の年配の女性に「伊勢丹はどこですか?」と訊かれた。「ひさしぶりに東京に来たら、すっかり変わってしまって・・・」。

有楽町の電気ビルの前で、戦闘準備?をしていたら、おじさんに、「ケータイで音楽を聞く方法」を尋ねられた。息子さんにケータイを借り、「音楽もラジオも聞ける」と言われたけど、聞き方がわからないという。わたしのはau、おじさんのはDocomo、あれこれいじってみたけど、わからなかった。

横浜に向かう湘南新宿ラインでは、韓国人の母娘らしき観光客に「中華街に行きたいんだけど」って尋ねられた。女のコは日本語も英語もそんなにわからない。わたしのハングルは「カムサハムミダ」だけ。でも、彼女が中華街に行きたいってことはわかる。泊まっているホテルは南阿佐ヶ谷だってことも、東京の後は大阪に行くってことも。それから、お台場に行って、レインボーブリッジを見て、すっごく楽しかったっていうことも感じとれる。わたしも中華街でゴハン食べてから決戦に向かう予定だったので、いっしょに行くことにした。きっといい日になるような気がした。

中華街に着くと、すっごく中華街っぽいところで、記念撮影。彼女たちが日本を好きになって、韓国に帰ってくれるといいなっておもう。決戦後、山下公園から水上バスに乗って、横浜駅に戻り、旅は終わっていく。

五反田を歩いていると、すれ違いざま、女性に声をかけられた。

「転換期ですね」。

「ちょっと迷ったんですけど、あまりにも転換期が顔に出ていたので、声をかけたんです」。

「一生に転換期は何回あるか知っていますか?」。

「2〜3回ですか?」。

「近いですね。3回です」。

運命鑑定士だという彼女と、10分ほど立ち話をした。誰かに話してしまうと、いいことが少なくなってしまうと言われたけど、抑えきれずに、何人かにはこの話をしちゃった。あやしい・・・と思うかもしれないけど、彼女の話は決して悪い内容じゃなかった。いまはまだわからないこともあるけど、当っていることが確かにあったから。

「一線を引くほうですよね」。

本当にそれは当っているのだ。わたしはいつも一線を引く。「一線を引くこと」には、いい面とよくない面がある。彼女は、よくない面を知っている。

ちょうどそのころ、桐野夏生のインタビュー記事を読んだ。彼女は、一線を引く必要性を説く。

『人間だから嫉妬もすれば好悪もある。でも、これ以上嫌な気持ちになりたくないから、その人間関係を断つ。これ以上言うのははしたないからやめようと思う基準を持つのが大人になるということだと思うんです』。
(日本経済新聞 2007年6月28日より引用)

「一線を引く」自分を認めながらも、「一線を引く」ことに迷う自分がいる。でもそれは、そんなによくないことじゃないのかもしれない。


2007年6月17日(日)10周年!  
ホームページを始めたころ、ともだちに半分以上冗談で「10年たってもホームページ更新してたりして・・・」なーんて言ってたのが、現実になった。10年ひと昔っていうけど、当時と今を比べると、心底隔世の感。

1997年といえばADSLもなく、ダイヤルアップ接続。なつかしー!「テレホーダイ」を契約してた。月額1800円払うと23時〜翌朝8時まで、登録した2つの電話番号に電話し放題なのね。ひとつはプロバイダへのアクセスポイントを登録し、もうひとつは長電話するともだちの電話番号を登録してたっけ。1999〜2000年ごろは、ネット接続は100Kを軽く下回るスピードなのに、アルゼンチンとかの音楽サイトにアクセスしては、せっせとラテン系新人バンドの曲を無料ダウンロードしてたんだわ。

そしてときは流れ2007年。30分以上もかかってダウンロードしてた1曲は、数秒で完了するようになった。1997年当時、日本語のサイトってごく限られていたけど、いまは、キーワードを入力すれば、なんでもかんでも情報が手に入る。

でも、そうなのかな・・・って思う。ホントにネットで、なんでもかんでも手に入れてるのかな。

とある記事では、「口コミ」サイトの効用を説く。体験記を読んだり、質問したりして、事前に情報を把握できるから。行き先のアイデアに窮したら、「口コミ」サイトや、質問サイトが便利って、書いてある。危険情報も事前に確認できるしね。

でも、それって旅なのかな。「この日程でこんな旅をしたいんだけど、いいアイデアある?」って質問する。答えが返ってくる。夏休みはあるけど、行きたいところが思いつかない。だから、サイトを見て、質問する。答えが返ってくる。それって、イマジネーションが絶望的に欠如してるんじゃない? どこに行きたいかもわからず、スケジュールにあわせて計画するたのしみもない。

事前の情報が多ければ多いほど、旅は予定調和になる。そんなのつまらない。情報を得る方法にしても、自分でいろいろ試行錯誤した情報は、すっごく価値がある。でも、キーワード入力するだけで得る情報って、どうなのかな・・・。

旅って、予期せぬことが起こるから楽しいし、印象にも残る。愕然とすることもあって、それが刺激になる。人生観も変えていく。予測不能な状況になったり、さらさら流れていかないザラザラした感触があって、旅はリアルになっていく。

(寄る年波か、最近は説教したくなったり、したりすることが増えてきた)

そんなふうな考え方は、いまの時代の本流から大きくはずれてるし、ビジネスにも結びつかない。ブログもSNSも興味ないし、だったらホームページを更新する「意味」ってあるのかな・・・と思うときもある。

書きたいこともひととおり書いたし、「10年やりました。気が済んだので、ホームページは完了します」って、ここで書いたらカッコいい!? でも、「意味」や「目的」がはっきりしないことをするっていうのも、捨てたもんじゃない。そのうち、何か大切なことが見えてくることがあるかもしれないから。

それに、もうすぐ、待ちに待ったアルモドバルの新作『ボルベール<帰郷>』が公開になる。この映画見たら、ものすごく「書きたい気分」になるかもしれないしね。『神経衰弱ぎりぎりの女たち』のカルメン・マウラが、気が遠くなるくらいひさしぶりにアルモドバル作品に出演する。そういう「場」を残しておくのもいいかな・・・って、いまは思ってる。

2007年6月4日(月)小銭入れをなくすの巻  
そもそも「小銭入れ」っていう日本語は時代がかっているような気がする。で、ハンズに買いに行ったら、「ウォレット」っていうカテゴリーに所属していた。^ ^


失くしたのはキャッシュカードやクレジットカード、そしてポイントカードがたんまり入っている「おさいふ」じゃなかったから、幸いなことに一大事じゃないんだよね。ただ、おみやげでもらったものだったので、見つかるものなら・・・と思い、駅前の交番に行った。遺失物を集中管理しているというセンターに問い合わせてくれたけど、いまのところ、届いていないという。

「遺失届出書を出しますか?」。
平和な交番には3人のお巡りさんがいたけど、ひとり、ふたりと消えていき、残った若いお巡りさんが、尋ねた。

交番の中からいつもと違う角度で見る駅前の風景は、全然知らない場所みたいだ。

ちょうど2年前、川崎の交番で、遺失物届出書を書いてもらったことを思い出した。町田から横浜に向かったとき、電車の網棚にジャケットを忘れたときだ。

「小銭入れ」に入っていた現金の額、約1200円。1000円札が何枚、100円玉や10円玉がいくつって、細かく記入するのね。

「他に何か入っていましたか?」。
しばし、ためらう。「えーっと、コーヒーの割引券が入っていました」。
そんなもんかい・・・という空気は漂うが、職務に忠実な若いお巡りさんは続ける。
「では、そのコーヒーチケットについて詳細を・・・」。

「コーヒーチケット」ではなく「コーヒーの割引券」なところがミソ。JRのビューカードの請求書といっしょに送られてくる小冊子に、JR系のコーヒーショップのブレンドコーヒーが80円くらい割引になる券がついてくる。いたたまれなくなった。

先週行った向田邦子展で見た「父の詫び状」に書かれた一文が蘇る。

「人間はその個性に合った事件に出逢うものだ」。

小林秀雄さんという方がおっしゃった言葉だという。

『私は出逢った事件が個性というかその人間をつくり上げてゆくものだと思っていたが、そうではないのである。事件の方が人間を選ぶのである』。
(向田邦子『父の詫び状』文藝春秋より引用)

向田邦子展から帰った日、『父の詫び状』を取り出し、その言葉が書かれている項をめくってみると、しっかりページが折ってあった。

2007年5月28日(月)宇奈根〜世田谷文学館  
日曜日の夜10時から、J-WAVEで、"L'AIR DE PARIS" という番組が放送されている。「パリの空気」っていう意味だそうなんだけど、番組はタイトルそのものな雰囲気、パリがくんくん香ってくる! J-WAVEは開局当時(って、もう19年も前なのね ^- )、"Pazz And Jops"っていう、ヨーロッパ(+ニューヨーク)直送系の番組があって、そのころは、ワールド・ミュージックがブームだったこともあって、英米以外の国の曲もけっこうかかってた。

そして時は流れた。ま、ネットがあるから、ネットで探せばざくざく聞けるとはいえ、J-WAVEはすっかり日英米中心になった。そんなとき、パリが香りたつこの番組はホントに新鮮に聞こえる。ブランドにはまったく興味がないけど、生まれて初めてブランドに感謝した。スポンサーはエルメス。きっとそれは、「ブランド」なんていう「軽いくくり」を超越した、本物だけが語れる文化なんだと気づかされた。「エルメス減益」なんて記事も目にしたけど、こういう番組は、ずっとずっと続いてくれるといいな・・・と思う。儲かることは存続に関わることだから、大切なコトだけど、文化のほうが大事だって思っていたい。


日本テレビ本社の隣りにあるホテルで食事をした後、土曜日の銀座を歩いた。土曜日の銀座を歩くなんて、子供のとき以来かも。ま、そうでもないにしても、相当ひさしぶり。松坂屋の屋上にはペットショップがあって、昭和のにおいがする。懐かしさを反芻できるしあわせ。でも、そのホテルで食事をすることにしたのには、ちょっとした欲が絡んでる。縁があってほしいから。

小笠原に行った帰りの船で、操縦室を見学させてもらったおみやげに、「ハカラメ」という葉っぱをもらった。
このフシギな葉っぱは、芽吹く。葉っぱのギザギザの間から、芽が出てくる。葉っぱから芽が出てくるから「ハカラメ」。東京のウチの洗面台の上で、健気に芽をだしだ。3か月間、せっせと毎日水をかけた。葉っぱに養分がなくなってきて、ヘナヘナしてきたので、植木鉢に植え替えた。実は植物を育てるのは、小学校以来。

なかなか大きくならないんだよね。太陽が足りないのかと思い、外に出して、夜、部屋の中に入れなかったのが間違いの始まり。「ハカラメ」といっしょにもらった手引き書には、「芽が数センチになったら、土の上に置きましょう」と書いてあったのに、土をかぶせたのもいけなかったんだと思う。1週間ほど外に出しっ放しで、気づいたときには、時、すでに遅し。

ワニと小鳥』の気分だ。木村カエラのこの歌の歌詞はとっても深い。

リベンジ!はなかなかかなわない。ネットで検索して、東急ハンズで売ってるって書いてあったから行ってみて注文したけど、欠品なのね。「いつまででも待つから」って伝えてから早3週間。小笠原観光協会に問い合わせてみようかな・・・と思う今日このごろ。

先月末、宇奈根に行った。世田谷の隣りの区に、気が遠くなるほど長く住んで、高校も世田谷だったし、経堂でバイトもしてたんだけど、世田谷に「宇奈根」っていう地名があることは、今回初めて知った。成城学園前か、二子玉川からバスに乗っていく。

バス停から目的地に向かって歩く途中に、世田谷区の掲示板があった。何気なく見てみると、世田谷文学館で向田邦子さんの企画展が行われているという。「あっ、これは見に行く運命なんだ」って思った。宇奈根では、生まれて初めての経験をした。想像できないことは、いつだって起こる。

あれから1か月が過ぎて、(やっと)世田谷文学館に行った。芦花公園の駅を降りても、コンビニがない。マックもないし、ドトールもない。向田邦子さんの企画展に、こんなにふさわしい場所はないのかもね。世田谷文学館の反対の北口に出て歩けば、甲州街道の旧道までの短い距離に、昔ながらの商店街が立ち並ぶ。

考えてみれば、新宿から八幡山までは全部降りたことあるけど、芦花公園で降りた記憶がない。世田谷文学館に行ったあと、夏みたいな5月の夕方、昔ながらの中華料理屋さんで定食を食べて、ちょっと散歩した。

企画展のタイトルは「向田邦子 果敢なる生涯」。そして、サブタイトルがついている。「美しくなくてもいい、最後まであきらめず、勇猛果敢に生きてやろう」。


世田谷文学館 向田邦子さんのサイト
http://www.setabun.or.jp/mukouda/mukouda.htm

2007年4月16日(月)北千住〜蔵、そして向田邦子の恋文』  

北千住の路地ずいぶんあっちこっち行くけれど、北千住を散歩するのは、5年間でまだ2度め。前に来たときは、宿場町の面影が残るあたりを歩いた。夏だったな。今回は駅の近く。唐突に地下鉄の入口が出現したり、路地が入りくみ、木造家屋やお豆腐屋さん、洋館もあったりする。そして、こんな小さな看板があったりする。

もうちょっと歩いていたら、蔵を改造した喫茶店があった。お茶することにした。北千住に来る前、幸手っていう茨城に近いところまで行き、駅前のカフェ?でビール飲んだら、ほんのちょっとだけだったのに残っちゃった。ホリエモンが実刑になった日。ニュースが始まると、オーナーらしき女性がリモコンを持ち、大相撲3月場所に替えた。登場したのは、高見盛。その日は気分爽快!スパッと勝って、お店のおばちゃんたちは大喝采!蔵でコーヒーを飲み、チーズケーキを食べる。昔は質屋さんだったんだってね。蔵のなかは木に囲まれている。カッコいいの!

高見盛はいいな。人が良さそうで、気迫はあんまりなくて、よく負けるけど、こうして勝つと、まわりをしあわせにしてくれる。

おあいそするとき、オーナーらしき女性が手作りの、紙で作った「ようじ入れ」をくれた。おさいふのカードを入れるところに、ちょうど入った。スーパーとかでお金を払うとき、おさいふを出して、「ようじ入れ」を見ると、あの日の、夕方の北千住を思い出す。

妹、和子さんが、向田邦子さんの死後、20年近くたって秘め事の茶封筒を開けた。そのなかに入っていたのは、向田邦子さんとN氏が交わした手紙とN氏の日記。妻子があったN氏との交際は、10年に及んだという。

単行本になっている向田邦子さんの本は、たぶんぜんぶ読んだ。初めて読んだのは、わたしがまだ10代のころ。『冬の運動会』、『隣りの女』、そして『阿修羅のごとく』・・・。テレビドラマの脚本から、エッセイまで。『父の詫び状』、『夜中の薔薇』・・・。

向田邦子さんのすごいところはいくらだってあるけれど、とりわけ、時を経て(少なくとも年齢的には)大人になってもう一度読むと、前に読んだときに気づかなかった「凄み」が浮かびあがってくること。

『向田邦子の恋文』が出版されるずっと前、とあるカルチャーセンターで、「向田邦子講座」に参加したことがある。講師の方のひとりが、「秘められた禁断の愛」について言いにくそうに言及したとき、知らないほうがいいような気にもなった。彼女の経歴やゆかりのある数々の場所を丹念に取材した本は、買ったけど、読まなかった。

向田邦子さんのディテールに詳しくなってしまうより、あの有名な、「行間」に潜む語られない言葉から、彼女のひととなりに思いを馳せるほうが、ずっとステキなことに思えるのだ。

なのに、『向田邦子の恋文』を今になって読むことにしたのは、紫門ふみさんがこの本について記した短い書評をたまたま見かけたから。向田邦子さんが亡くなった歳に、紫門ふみさんはあと1年で追いつくそうだ。

N氏は、わたしが住んでいるところからそんなに離れていない場所に住んでいた。N氏の日記には、ウチの住所と同じ駅の名前が頻繁に登場する。突然、リアリティが押し寄せてきた。ちょっと寒い日に。そして、想像が駆けめぐる。昭和30年代の「駅」と、そこに降り立つ向田邦子さん・・・。

この本で交わされる手紙を書いたころの向田邦子さんの年齢を、わたしは遥かに超えた。そして、今のわたしと同じ年齢だったころの彼女は、わたしが初めて彼女の本を読んだころと同じように、どんなに遠くに手を伸ばしても届かないほど、カッコいい大人の女に思えるのだ。

2007年3月17日(土)どこかに浮かんでいる
午前中にしなくちゃいけない仕事は、赤羽橋からロシア大使館に向かっていく坂道の途中で終わった。お昼はてんぷら定食を食べた。午後は麻布十番まで歩いていくことにした。

途中、もくれんがきれいに咲いている。巨大な、古びたコンクリートの塊が浮かんでいる・・・と思ったら、アメリカン・クラブだった。

「案外、たいしたことないわね」。
すれ違ったおばちゃん集団のひとりがそう言った。ひとりでプッと笑っちゃった。麻布十番って響きは、フランス語みたいで魅惑的だけど、案外、どこにでもある商店街だもんね。ただ、一本、一本、路地を入っていったり、坂道を丹念に上り下りしていくと、深い。

特にいいコトも悪いコトもなく、一日は過ぎていく。次は西麻布だ。麻布十番温泉を通り過ぎ、旧城南高校(今は六本木高校っていうんだってね)の壁がそびえる。右に向かって坂を上っていく。もしかして、あの懐かしい風景が拡がるんじゃないかと、ほんの少しの期待を持ちつつ。だって、ここまでは、みんな昔のままだから。

でも、やっぱり、あったのは六本木ヒルズだ。それでも、昔、ここにあった街の風景は、こんなに世界は広いんだから、どこかに浮かんでいても、不思議じゃないような気がする。

六本木ヒルズから西麻布に移動していくと、時代から取り残されているような感覚がある。アマンドの看板は、もう色が薄くなっている。「霞町」の名前がついたマンションは、すっかり老朽化し、大改装中。もう、知ってるひとも少ないのかな。ここは、かつて、霞町っていう名前だったんだよね。

今でも、旧地名から連想される色気は、絶対的に残ってる。だけど、ホントに、すごくイヤだけど、ここも、遠くない将来、無機質な街並に変貌していくんだろう。

西麻布には、いろーんな思い出がある。たくさんのモデルたちが滞在してたホテル・メンテルス。ウィークリー・マンションもあったな。探してみたけど、見つからなかった。1990年前後の4月、そのウィークリー・マンションを出ると、降りしきる雪が、桜に向かって落ちていった。幻想的な風景。でも、それが現実だったのか、幻想だったのか、今になってみると、わからない。どっちでもいいような気もするしね。

渋谷に向かうバスの中では、ケータイ見てる人たちが、まわりに何人もいる。やっと21世紀に戻ってきた。ちょっとホッとしたりする。雲が低くたれこめる3月の夕方だ。


2007年2月23日(金)東京マラソン
帝国ホテルのロピーは、「そぐわない人々」で溢れていた。不運にも?東京マラソンのコースに沿って建っているため、応援に訪れた人々の雨宿り(難民)避難所と化してしまったのだ。その一員であるわたしも、迷惑を包み隠した無表情なポーターの脇をすり抜けながら、ともだちとの待ち合わせ場所である、ロビーに向かった。

賛否両論いろいろあったみたいだけど、東京マラソンのすごかったところは、非日常性だったと思う。銀座駅の地上出口を出ると、押し寄せるようにランナーたちが走ってきた。着ぐるみ着た人あり、スーツを着て走る人あり、雪だるま化した人あり、お相撲さんイメージの人あり・・・。

ともだちの旦那が見事に当選!出場したから、応援にも力が入る。帝国ホテル→銀座四丁目交差点→東京ビッグサイトと移動しながら、いつも仕事で移動するときとは、全然違った東京の風景を楽しんだ。

ゴール近くには、コースに沿って階段状の観客席が取り囲む。力強く響き渡る打楽器の音。あっ、これってカーニバルだ。よくよく見ると打楽器は和太鼓だった。でも、わたしにはトリニダードで参加したカーニバルの、心臓を鷲掴みにするようなビートに、しばし、聞こえた。

彼は見事に完走した。

閑話休題。東京マラソンの翌日、YO LA TENGO を見に行った。彼らのことはほとんど知らないんだけど、たまたま聞いた曲が、ギター・ポップ・ロックっぽくて、どこかアルゼンチンの伝説のギター・バンド、SODASTEREO を彷彿とさせたりもして、行くことに決定。

エキセントリック、アヴァンギャルド、プログレッシブ、実験的、学者的、インド、瞑想、時間と場所を自在に行き来する、あっちこっちに旅行する感覚、うねり、せせらぎのような静、破壊、ノイズ、古典的なロックンロール、80’sニューウェイブ、ジーザス・アンド・メリーチェーン・・・。

ライブはイマジネーションをひろげてくれる。たとえ、すぐに駆け引きだらけの現実!?に戻るとしても。ロック、ロック、ロック、ストレートで行こう!

2007年2月12日(月)西新宿→日暮里
日暮里駅の北口を出て、歩き始めると、VITALIZE。舎人ライナーは今年度開業をめざして、工事が進んでる。高層マンションがどんどんできてる。街に高揚感がある。でも、もうちょっと歩いてみると、そうでもなかったりもする。暮れていく風景があって、理由はちゃんと説明できないけれど、1970年代を彷彿とさせる踏切がある。『傷だらけの天使』の主題歌が、警報機の音といっしょに耳鳴りみたいにグルグルまわる。

歩いているうちに、収拾がつかなくなったわたしは、2007年に存在してはいるんだけど、過去に引き戻されてる。あのころは、ケータイなんてなかったな。あのころは水着着て会社行ってたな。あのころは・・・って。

日暮里を歩く数時間前、西新宿で感動の再会をした。あのころ、ずーっと隣りにいたひとの大切だったひと。隣りにいた彼は、いまはもういないけど、彼が大切にしていた彼女には、彼の「ジュニア」がいる。導かれているんだなって感じながら、引き戻されながら、だけどわたしはちょっとだけしたたかで、「いま」のコトも考えながら、ブラブラ歩く。

きっと近いうちに、彼と彼女の「ジュニア」に会う。ラテンアメリカの人々はよく言った。「もし、神様がそう望むなら」。すべてゆだねるのが、一番いい方法じゃないかと、野性の勘が言う。

三連休の中日は、すっごい渋滞で、せっかく湘南に(ちょっとだけ)波があるのに、いつになっても着かない。やっと着いても、そんなにいい波じゃない。それでも、ゆっくりと日が暮れていくと、なるほどね・・・って思う。富士山と山々の稜線、そして夕陽が織りなす景色に、息が止まりそうだから。

そういえば、アカデミー賞にノミネートされた『バベル』の監督は、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ。あの!『アモーレス・ベロス』の監督です。今年のゴールデンウィークには公開されるんだってね。ガエル・ガルシア・ベルナルも出演してるしね、なんだかとっても見たくなってきた。

関連リンク アモーレス・ペロス

2007年1月28日(日)上野で珈琲 作家の猫
入谷から上野方面に歩いていて、信号で止まったとき、その喫茶店があった。昭和なつくりの店構え、オーナーの珈琲に向けるほとばしる情熱がヒシヒシ伝わる新聞記事が、貼ってある。ものすごくそそられた。

新聞記事の印象から、愛想のないマニアックなおじさんが無言で出迎えるかと思ったら、とても丁寧にご挨拶をしていただいた。雑然とした店内に、珈琲豆が並んでいる。例えばチェーン店の喫茶店で見かける豆が去勢されているとしたら、ここの珈琲豆は、野性味に満ちている。ネトネトベタベタ、黒光りしている。ペルーのジャングルを連想し、絶対、おいしい!って、確信した。で、本当においしかった。ただ、わたしがどこまで、本当に珈琲の味がわかるか??? 豆に失礼じゃないか・・・とさえ思う。

店内は、1970年代前半のイメージだった。秋吉久美子主演の映画『赤ちょうちん』、時代は違うけど、椎名林檎の1枚めのCD、ユーミンの『時のないホテル』。時間を超越してる。

「背伸びして、背伸びして、愚者冬に入る」。

カウンターの壁には、そう書かれた紙が貼ってあった。

北山 珈琲 で、検索すると、たくさん情報が出てきます。これっていいコトなんだか、そうでもないんだか。検索して行ったんじゃなくて、たまたま通りかかって入るほうが、100万倍ドラマチック。

『作家の猫』という本を読んだ。これもたまたま、島根に行ったとき、県立美術館で見かけて気になり、図書館で借りた。作家とネコとの、せつないエピソードがたくさんある。飼いネコたちが、もっと自由を謳歌していた時代のね。電車の中で読んでいて、まわりのひとは失恋したと思ったか??? ボロボロ泣いちゃった。ウチの飼いネコは、いつもいつも部屋の中にいて、しあわせだろうか???って、ギモンに思ったり・・・。ネコにまつわる本もたくさん紹介されていて、この本は購入決定。ここに登場する作家と、その本を順番に読んでいけば、きっと毎日はもっとゆたかになる。

2007年1月21日(日)CSS
今週のライブは、CSS。ブラジルはサンパウロ出身のガールズ・ポップ・ロック・テクノ・バンド(ドラムだけ男性)。INTER FM でよくかかっている曲、「アララ、アララ」のフレーズが耳に残るその曲が好きになって、チケットを購入。彼女たちについては、ほとんど何も知らないまま、ライブ会場に到着。

ネットでチェックしてみると、ディスコ・パンク・ガールズ・バンドとか、エレクトロ・ポップとかって形容詞がついているけど、わたしの印象では、テクノ、それも80年代前半のテクノの匂いがした。80年代後半にスペインにいたとき聴いていたスペインのバンド。イギリスやアメリカのロックや、すでに当時、過去のものとなっていたテクノを取り入れながらも、どこかドン臭く、それでいてクセになる・・・そんな音楽を思い出した。

ピコピコ系のシンセの音、80年代に21世紀が未来だったころの音を、21世紀になって聴いている、フシギなタイム・ラグ感覚。なのに、会場を埋めつくしている人々は、相当最前線なセンスを持ってる。で、演奏される音は、徹底的にポップ。

けっこう前のほうの左側で見てたんだけど、ボーカルの女のコは、熱い。でも、視界に入る他の2人の女のコたちは、淡々としていて、軟体な感じ。一体感がないような、あるような、シロウトっぽいような、それがとっても個性的。

「東京に住みたい。少なくとも2か月間!」。
ボーカルの女のコが叫ぶ。若いコには、魅力的だよね、東京って。特に、好奇心があるひとには、本当に魅力的だと思うの、東京は。

ライブは1時間くらいで終わって、ちょっと物足りなさはあったけど、CSSと似たようなライブって、思いつかないんだよね。見に行ってよかった。

他に似てないといえば、小笠原。このところ、ともだちのともだちのともだちの、旅行本制作のお手伝いで原稿書いてたんだけど、まあ、忘れてる、忘れてる。自分のホームページ見て、「そうだ、このホテルよかったな」とか思い出したりして・・・。やっぱ、書いておくコトって大事だわ。昨日、いっしょに小笠原行ったともだちの家でゴハンをごちそうになったんだけど、すでにたくさん忘れてる。小笠原を書いておかなくちゃ。


2007年1月14日(日)BASEMENT JAXX
東京テレポートの駅を降りて、ひさしぶりのお台場。相変わらずの未来都市。池袋から「りんかい線直通の埼京線」に乗って、30分ほど。同じ東京なのに、全然違う風景が拡がる。過去から未来に旅行してるみたい。

クラブ系のライブは、あんまり行かない。でも、BASEMENT JAXX は行くことにした。なんでそそられたのか、自分でもよくわからなかったんだけど。

ゴッタ煮風、なんでもあり!の楽しいジャンルレス・ライブ。ふたりの女性ボーカルは次々、どんどん衣装を変えて登場する。これがホントにド迫力。ホーンセクションが3人いて、ドラムと別にパーカションが入ってて、ギターも生。打ち込みも入ってるけど、基本が生音。手放しで!カッコいい。

突然登場したホストっぽい、男のコたちの踊りは、ビミョーに揃ってなくて、うふふ・・・。本人たちがDVDを送り、ライブに出演させて!って売り込んだんだそうだ。BASEMENT JAXXは本番1時間前に本人たちのパフォーマンスを初めて見て、大爆笑。ライブに参加してもらうことを決めたんだって。

新曲"TAKE ME BACK TO YOUR HOUSE" を初めて聴いたときは、ライブ、どーなることやら???ってちょっと思った。でも、これがクセになる。GWEN STEFANIの"WIND IT UP"と近いものがあるかもね(ちなみにこの曲、今日、着うたをダウンロードして、ケータイの着信音に設定しました)。

BASEMENT JAXXのライブは、未来的で、なおかつアナログ。東京テレポートと池袋を混ぜあわせて、グルグルかき混ぜたみたい。これって、サイコーだなって思う。未来的ばっかりだと味気ないし、昔ばっかりだと流氷に乗ったまま取り残されそう。そそられたのは、暗示だったりして・・・。すぐそういうふうに考えちゃうんだよね。

2007年1月8日(月)あけましておめでとうございます!

年末年始は、片道25時間以上の船旅、小笠原の父島に行ってきました。飛行機に乗れば、もうちょっとでアルゼンチンに着きそうなくらい、長い時間かけて、遥々行った価値あり!でした。2時間以上歩き、崖を上って下りないとたどり着けない絶景の海、山歩き、クジラ、イルカ、初日の出、夜空に飛ぶコウモリ、光るキノコ、波乗りもちょっとあり、シュノーケリング、カメの煮物、島寿司、ホテルの「特別室」、手作りイベント・大晦日カウントダウン、そして個性的な人々・・・。

よくよく考えてみると、25時間以上も船に乗らないと到着しない島なんて、生まれて初めて。いっしょに行ったともだちには、「どっか行くたび、同じコト言ってる」って突っ込まれたけど、今まで見たなかで、一番キレイな海だったかも。そう、ともだちと旅行するのも、ひさしぶりだな。

小笠原は他と比較できないんだよね。ずーっと前から一度、行ってみたいと思ってて、今回は、予約で出遅れたけど、たまたま一部屋空いてた。運命に導かれたように、やっとたどり着いた島は、どことも似てなかった。また、詳しいハナシは(備忘録をかねて)、書こうと思っています。

ところで、このサイトを立ち上げたのが1997年だから、今年で丸10年。毎年のことながら、年初に振り返ってみると、いろんなコトがあったにゃ・・・と思います。最近は、「書きたい情熱!」に関しては、「気が済んだ」感があるけれど、いずれ、日常、せっせと撮りためている写真をアップするとか、やりたいコトはいっぱいあるしね。ネットも、想像を遥かに超えて進化して、ま、ネット以外のコトも含めて、これから、未知の未来はどうなっていくんだろう???って、わくわくする。

それにしても、近い未来、明日からちゃんと日常に戻れるかしら???


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