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ラテン・ダイアリー 2007


2007年10月16日(火)オゾマトリ
クンビア、バンダ、メレンゲ、ソカ、フラメンコ、その他もろもろのラテン音楽と、ヒップホップやラップが混ざりに混ざってオゾマトリになる。掘れば掘るほど深い。掘ってるうちに、アルゼンチンが顔を出すかもしれない。

むかし、ともだちにもらったカセットに、ディープなフラメンコが入っていた。フラメンコという言葉の響きが持つ「音」とはかけ離れていて、浪花節に近い感じ。地の底から這い上がってくるような、ザラザラ、ガラガラとした舌触り。オゾマトリのライブを見ていて、長く忘れていたその「フラメンコ」を、おもいだした。

英語とスペイン語が行ったり来たりする。大航海時代へとイマジネーションを拡げてくれる。ペルー人のともだちがフィリピンに行き、「フィリピンはボクの国と似てる」と言ったこと。遠路遥々ガイアナに辿りついたとき、「あれ?マレーシアに似てる」と思って脱力したとき。ラテンアメリカとアジアが行ったり来たりする。アメリカ大陸とヨーロッパ大陸も行ったり来たりする。

「ミクスチャー」って分類は便利だけど、カンタン過ぎる。あっちこっちではみだしまくるような展開を表現できない。ヨーロッパから大西洋を越えてアメリカ大陸へ、カリブ諸島へ。離れた場所の音楽が、昔の音と今の音が、ぶつかったり、溶けあったりしながら、爆発的なエネルギーと共に炸裂する。

彼らの音の力は、マイノリティに潜在するものなのかな???

パフォーマンスの最後はステージから客席に降りてきて演奏してくれた。いきなり、同じフロアで。彼らとあたしの間には10センチの隙間もない。

これこそ、ライブ! 触ってるんだもんね。

観客は一見、一癖も二癖もありそうな、ちょいとヤバそうな、個性的な若者が多いのね。そんな彼らがいきなりクンビアのリズムで弾ける驚き! 踊っている彼らのシアワセそうな顔、顔、顔! 

At 代官山UNIT 2007年10月8日(月)

関連リンク 
カリビアン・マジック・スティール・ドラム・オーケストラ
ガイアナ 


2007年9月20日(木)
『線路と娼婦とサッカーボール』(レイルロード・オールスターズ)
(2006年 スペイン)
ある日、とりたてていいコトもなく歩いていたら、「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」のポスターが貼ってあった。「ディエゴ・ルナ、舞台挨拶のチケットは完売です」っていうような内容で、何年か前にグルグルっと引き戻された。ディエゴ・ルナ、『天国の口、終わりの楽園』に出演してたんだよね。

新宿三丁目の「シネコンを超えたシネコン バルド9」。9階に昇ってみると、未来的映画館があった。「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」が開催されることも知らなかった。歩いていただけで遭遇したのは、運命!? 

「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」のパンフレットをもらって、見よう!と決めたのは『レイルロード・オールスターズ』。

パンフレットにはこう書いてあった。『グアテマラ、線路沿いの娼婦達が、日常の暴力を訴えるためサッカーチームを結成して快進撃!』。ツボにはまったのは、「快進撃」のひと言。

当日、開演1時間前、前列2列しか、もうチケットは残ってなかった。

未知の国グアテマラ。1999年、牛乳配達みたいにあっちこっちに停まる飛行機(コパ航空)に乗ったとき、行こうと思えば行けたのにね。映画が始まるとすぐ、視界180度に首都グアテマラ・シティの雑踏と風景が拡がった。

線路沿い、「リネア」と呼ばれる極貧地域で娼婦として「働く」女性たちが、生きる尊厳を求めてサッカーチームを結成する。「娼婦である前に母であり、人間である」と彼女たちは主張する。

「エイズに感染するから」と対戦チームから試合をボイコットされ、高学歴で充分に教養があるはずのお上からは、話し合いさえ拒否される。差別や偏見にさらされながらも、彼女たちの活動は社会現象となり、スポンサーを得て、国内遠征が実現する。でも・・・。

印象に残ったのは、主人公の女性たちがインタビューで口にする「尊厳(dignidad)」という言葉。たとえ、生きる環境が違っていたとしても、尊厳は何よりも大切。そう考えることは自然じゃない? それとも感情を(表向きには)表すことなく生きていく???

上映後、監督の舞台挨拶とティーチインがあった。会場のグアテマラ人女性は、グアテマラという国のある側面が映画になり、こうしてたくさんの人と共有できる感謝と喜びを涙ながらに語った。いっぱい考えさせられるディーチインだった。

最後のほう、監督は映画に出演した娼婦たちのその後を報告した。映画出演のギャラを元手にアメリカへと渡ったひとあり、スペインに移住したひとあり、グアテマラに残って同じ仕事を続けるひとあり・・・。

女性の強さ、人間の強さ、そして「尊厳」。月並みな表現になっちゃうけど、たとえ逆境にあったとしても、生きていくことはすばらしい!と実感させてくれる映画です。そして、なんと!この映画は、一般公開されます。東京では、12月22日から、『線路と娼婦とサッカーボール』のタイトルで、堂々のロードショー! ひとりでも多くのひとに見てほしいな。

追記:この映画、スペイン・ラテン映画祭での上映時タイトルは『レイルロード・オールスターズ』。一般公開されるときは『線路と娼婦とサッカーボール』というタイトルになるそうです。ちなみに原題は"Estrellas de la Linea"。「線路沿いのスターたち」というような意味。最近、「スター」は死語になりつつあるような気もするけど、Estrella(エストレージャ/スター)という言葉の響きは、この映画にピッタリ合っていると思う。キラキラしてて、夢があってね。

関連リンク
天国の口、終わりの楽園。
いざ、パナマへ〜コパちゃんとわたし


2007年7月23日(月)『ボルベール<帰郷>』
(2006年 スペイン)
ゆっくりと、そのときは来る。アルゼンチンの伝説的な歌手、カルロス・ガルデルは歌う。タンゴの名曲、"VOLVER"の歌詞で「20年の月日」について。そしてカルメン・マウラは、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』以来、約20年の月日を経て、アルモドバル監督のもとに「戻って」来た。ボルベール(VOLVER)はスペイン語で「戻る」「帰る」という意味だ。

なーんてコトを書いてみてから、見に行った。カルメン・マウラが主演した映画『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1988)のポストカードは、ウチのお手洗いの壁に貼ってある。この20年近い間、彼女の主演作で日本で公開されたのは、『歌姫カルメーラ』くらい? わたしのなかで時間は止まっていた。そして、彼女は「すっとぼけた味のある魅力的なばあさん」になって、帰ってきた。

ライムンダ(ペネロペ・クルース)は、失業中の夫に発破をかけながら、年頃の一人娘パウラを育てている。激情系で、思い浮かんだコトはすぐ口に出し、行動するタイプ。あれこれあるけれど、たくましく、平和に生きていた彼女に、青天の霹靂がやってくる。「実は本当の父親じゃない」と言いながら迫ってきた夫を娘が刺し殺してしまったのだ。

留守を頼まれたレストランの冷蔵庫に夫の死体を隠し、何もなかったかのように振舞うライムンダ。しかし彼女はもうひとつの「死」と向き合うことになる。彼女の妹ソーレは、生まれ故郷ラ・マンチャで、火事で死んだはずの「母」を見かけたというウワサを耳にしてしまうのだ。そしてソーレは、叔母の葬儀の帰り、クルマのトランクに潜んだ母(カルメン・マウラ)と対面する。

潜りの美容室を営むソーレは、「ロシア人の知り合い」と偽り母と暮らし始めるが、ライムンダには「生きていた母」を紹介できない。そして、ライムンダと母の隠蔽された過去と、ライムンダの娘の出生の秘密が明かされていく・・・。

出世作『ハモン・ハモン』(1992)から15年も経てば、ペネロペ・クルースだって、おばちゃんになる。だけど年齢を重ねて本当に魅力的になった。ハリウッドにも行った。主演もした。トム・クルーズともつきあった。そして、こんなにいい女になった。

パーティでフラメンコ風にアレンジした『ボルベール』歌うシーンは圧巻。吹き替えで、実際に歌っていたのはエストレージャ・モレンテという若手のフラメンコ歌手だそうだけど、ペネロペの目線/目配りはド迫力。今までで一番新鮮で、魅力的。

アルモドバル監督作品としては、ちょいと毒気に欠けるような気もしないでもないけれど、期待はまったく裏切られなかった。アルモドバルらしいユーモアのセンス、クスッと笑っちゃうような言葉の遣い方、抑圧されたりしながらも弾ける女たちのエネルギーと情熱・・・。

『神経衰弱ぎりぎりの女たち』の後、アルモドバルとカルメン・マウラは仲違いしたらしい。でも、待っていればこんなにすばらしい作品と再会できる。自分自身の20年について想いを巡らせるのもいいし、そんな昔のコトなんて知らなくたって、今の自分について、20年後の自分について考えながら見たっていい。待った時間が長かったからこそ、いとしくやさしく、そっと大切にしたいと思う。

関連リンク ビバ!アルモドバル

2007年3月17日(土)『あなたになら言える秘密のこと』
(2005年 スペイン)
水曜日の夜、六本木。瀬里奈のあたりは、しーんと静まりかえっていた。向いのスクエアビルも。「あのころ」:エレベーターに乗り切れない人々で溢れかえっていた賑わいが、キーンとフラッシュ・バックする。その感覚と、この映画のクライマックスは、意外なところでリンクする。

ある工場。ともだちもつくらず、毎日、単調な作業を繰り返し、殺風景な部屋に住む主人公のハンナ。およそ悦びとは縁遠い食事・・・。そんな彼女は、ある日上長から呼び出され、「働き過ぎなので、1か月の休暇を取るように!」という業務命令を受ける。仕方なく小旅行に出かけた先で彼女を待っていたのは・・・。

この映画を語るときに欠かせないのは、あらゆる世俗から切り離され、北の海に浮かぶ油田掘除所。フツーの世の中では暮らしにくい変人たち。取り返しのつかない過ちを犯してしまったが、それでもユーモアを失わない男。そして、「事故」で死んだもうひとりの男が残した、とびっきり明るいアヒルのリサ・・・。

アヒルにも、きっと性格はあって、だとしたら、リサには良心があるんじゃないかと思う。人間の個性的な俳優さんたちが奥深い演技を繰り広げるなか、アヒルのリサは自然体で存在感を示す。

いまどき、ネットで検索すれば、この映画について、いくらでもレビューがでてくる。だから、ここから先は、ちょっとタイム・スリップ。

スクエア・ビルの前でフラッシュバックした、その行き先は『ドルチェ・ビータ』。1983年にヨーロッパ全土で大ブレークした、超お気楽ユーロ・ヒットです。主人公ハンナと彼女のともだちは、この曲を聞きながら、クロアチアの故郷の町へとドライブします。行き先に、筆舌に尽くし難い、想像を絶する凄惨な現実が待っているとも知らずに・・・。

この映画を見たひとも、これから見るひとも、『ドルチェ・ビータ』という曲を聞いたことがなければ、聞いてみるのもいいと思います。「すべてがうまくいくよ!」「ボクをずっと愛し続けると言ってくれ」と歌う果てしなく明るい曲を聞きながらのドライブの後、彼女たちを待ち受けていた過酷な運命。そのギャップがよりいっそう重く受け止められるかもしれません。

www.youtube.com で、ryan paris dolce vita と入力すると、この曲のビデオが見られます。当時のライブ映像と、欧州版「あの人は今」すっかり恰幅がよくなった現在の彼、どちらもアップされていました(今日現在)。

ただ、何の考えもなく、「この曲、大好き!」って言ってた当時のわたしは、20年以上もたって、こういう映画を見て、この曲のビデオをネットで見て、そしてボロボロ泣くなんて、想像もできなかった。東京で平和に暮らしているわたしは、こんなささやかなコトで、ほんの少しだけ学んでいくのかも。

この映画は、鬼才!ペドロ・アルモドバルがプロデュースしています。監督はバルセロナ出身のイサベル・コイシュ(Isabel Coixet)。彼女はJWT(ワールドワイドな広告代理店)でクリエイティブ・ディレクターを務めた後、自身の広告代理店と映像制作会社を立ち上げたそうです。日本では『死ぬまでにしたい10のこと』で一躍有名になったんだけど、この映画見てないんだわ。見なくちゃ。現在公開中のオムニバス映画『パリ・ジュテーム』でも、ひとつのエピソードを手がけています。


関連リンク
 1984 ビバ!アルモドバル

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