ホーム

今週の「な〜に言ってんだか」2008


飼いネコの写真を見る

作者プロフィール


2008年12月25日(木)夕陽に照らされオレンジ色に輝く波に乗る 
その日はとっても寒くて、日中の気温が5度ちょっとしかなかった。曇天。でも波はけっこういい。大きいのが来た!先に乗られちゃうかな、彼は乗れなかった! 夕方からちょっと晴れてきて、夕陽がきれいだ。波の面をキラキラ照らす。ステンドグラスみたいにつるつる輝くオレンジ色の波にあたしが乗る。ちょうどいいくらい高さがあって、長い波。左に走り、上にのぼり、滑り降りる。その間も波はオレンジ色に輝き続ける。

波に乗ってて泣きそうになったのははじめてだ。何かの暗示なのかも。

それから今日まで激動だった。ほんの10日くらいのことなのに、オレンジの波に乗った日曜日がずいぶん昔のことみたい。もしかすると来年は"CHANGE"の年になるかも。

水曜日、18:15。東京芸術劇場の窓口に並んだ。「シモン・ボリーバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ」のコンサート。当日券はすぐに売り切れ、「ご招待キャンセル」の列ができていた。「ご用意できない可能性が高くなっております」。女性スタッフが何度もアナウンスしてたけど、「なくてもともと」だもんね。

ご招待キャンセル券は、わたしの次の人で終わった。「キセキだ」。後ろに並んでいた男性はつぶやいたけど、本当の奇跡はまだ2つあった。そのひとつを彼は知らない。

もうひとつの奇跡は、すばらしすぎるオーケストラの演奏。クラシックには何の造詣もないわたしでも、心臓をつかまれて振りまわされるようなダイナミックで表現力豊かな演奏。それでいて素朴、純粋、なおかつ気風がいい。ラテンのリズムを取り入れたり、大道芸のように楽器をまわしたり、踊ったり・・・。特攻のハチマキして演奏してたコもいたっけ。照れくさい言葉だけど、音に魂があるんだよね。

「シモン・ボリーバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ」の成り立ちは、ネットで調べればすぐわかる。経済的に豊かではない層が多いこの国の子どもたちが犯罪に走ったりしないよう、楽器を演奏する機会を提供する活動を行っているそうだ。

そういう活動が行われていることを、今の今まで知らなかった。

知らないことがいつもいっぱいある。今日から海南島。未知の島だ。 


2008年11月30日(月)七夜待 <--> ハカラメ <--> 奈良 
ちょっと前、『七夜待』を見た。『殯の森』は敷居が高く、今回、河瀬直美監督作品は初体験。一番前の席だったこともあって、どっぷり画面に入りこみ、いっしょに旅に出た。「あたしだったらこのタクシーには乗らないな」とか、「ホテルに着くまで寝ないけどな」とか、細かいコトを思いなら、南国に着いたときの、しかも初めての国でのドキドキ、もんわりカラダにまとわりつくような汗や、醒めたローカルの人々の視線が蘇ってきた。

ジャングルの緑は濃密。こんな緑が身近にあったなって振り返ってみたら、部屋で育ててる「ハカラメ」だった。今年の夏、小笠原諸島の父島から送ってもらった葉っぱ。フシキなことに、ハッパから芽が出るのね。

東京だっていっぱい緑はある。だけど、熱帯と東京の緑をくらべてみると、濃さが違うんだよね。そんなことを思いつつ、この映画を見てた。

長谷川京子は、センシュアルで、生命力があって力強くて、なおかつ自然体。とっても魅力的。 

2週間ほど前、生まれて初めて奈良に行った。普通は中学か高校のときに修学旅行で行くはずなのに。この期に及んで奈良の大仏を初めて見た。いつものようにあたしはそれを運命的だと考える。だって、河瀬直美監督の『七夜待』と奈良が1か月の間にまとめてやって来たから。そして南国のハカラメと結びつく。

奈良は神話(MITO)の都。奈良の大仏は、仏像に造詣が深くない私でも、本能的に揺り動かされる何かがあった。中学生で見たら揺り動かされたか、わからないし。

こうやって、ちょっとづつ違った何かが結びついていくのはおもしろいな。暗示しているみたいで。たとえそれが気のせいだとしてもね。

2008年10月29日(水)突然、ユーミン登場!
去年に引き続き、「劇的3時間SHOW」を見に行った。10人のプロフェッショナルが3時間にわたって語り尽くす、というイベント。今年は見城徹さんと松任谷正隆さん。ゲストを交えてとはいえ、3時間も語ると、その人のいろんな面が垣間見えてくる。ご本人たちも「ここで喋ったことは即!ブログに載るだろう」ということは充分に意識されていて、かなり注意深く話すにしても。よく言われるように、喋った内容よりも、残るのはどんな風に喋ったか・・・。ではあるけれど、おふたりとも、書き留めておきたい言葉、参考にしたい表現が次々と繰り出され、「話を聞く」ことのおもしろさを堪能させてもらいました。

松任谷正隆さんは、会場からランダムに選んだ「ゲスト」の鼻歌を繋いでひとつの曲を完成させるという、離れ業を見せた。これぞ!プロフェッショナル。そして、イベントの最後にその曲をピアノで弾き終わったとき、突然、ユーミンが登場した。

まさか!の展開に、場内騒然。年配の人のほうが、興奮から傾聴への切り替わりに時間がかかる印象。若いコのほうが、スルッと聴くモードに入ってたような・・・。軽く観察しつつも、自分自身、すっごい興奮状態。

「昭和の伝説・美空ひばり」を連想した。生で見たことはないのに、なぜ連想したかの理由はちゃんと説明できないんだけど、迫力、存在感、長年にわたってトップに君臨している自信とか、なのかな。ウチに帰ってネットで検索したら、すでにユーミンは美空ひばりが亡くなった年齢を超えていた。それは、意外で、感慨深い。

最近は理由をハッキリさせる生活をしている。こういう理由でこうなったから、じゃあ、次はこんな方法で・・・とか。でも、ずーっとあたしが大事にしているのは、感覚なんじゃないかと思う。理由はハッキリしなかったり、漠然としていて、理由を言葉にするだけで、感覚とズレてしまったり。「ユーミンが美空ひばりの年齢を超えていたという事実は、意外で感慨深い」ってことは、とっても感覚的なんだよね。

書くことがおもしろいと思うのは、書いているうちに、考えているときには思い浮かばなかった違った展開があること。その一方で、書くことについては、気が済んだような気もする。書きたいって意欲がなくなってきちゃった。なのに、印象深い出来事に接したときほど、どうやって書こうかなって、いつも考えてる。で、書いてみると、考えていたときとは別のイメージが浮かんでくる。

ささやかだけど、おもしろいことは1日にひとつくらいある。ブログ的に、備忘録も兼ねて、そんなちいさい、小話みたいなことを書いていくのもいいかなって、いつも思うけれど、めんどくさかったりもする。だったら、溢れてきそうになったとき、書くことを思い出すのもいいんじゃない?っていうのが、最近なんだよね。

2008年9月9日(火)支那の夜
夏が始まったころ、フィルムセンターで『支那の夜』を見た。あたしが憧れ続けている、いにしえの魔都上海が舞台。1930年代から終戦まで、大陸を植民地にしようとした日本が、支配するために作った国策映画会社、満州映画の作品。主演は長谷川一夫と李香蘭(山口淑子)。

当時の上海の街が動いている、写真じゃなくてね。セットなのかもしれないけれど、ノイズ混じりの画面はリアル。スクリーンに入りこんで、あたしもエキストラのひとりになっているような錯覚。

ストーリーは、日本に恨みを持つ中国娘(李香蘭)が、懐の深い日本の軍人(長谷川一夫)のやさしさに触れ、恋に落ち、そして・・・という当時の国策にピッタリあった、シンプルなもの。おっといけない、せっかく、やっと!見れたのに、眠気が・・・。

タイトルの「支那」が差別用語だということで、戦後、映画のタイトルは『蘇州夜曲』に変更になったんだそうだ。また、長谷川一夫が李香蘭をビンタして、日本に偏見を持つ彼女の目を覚まさせるシーンが中国にとって屈辱的だということもあり、この映画はDVD化されていない。

いろいろとむずかしいこともあるんだろうけど、過去の過ちを忘れないためにも、この映画を見れる機会はもっと増えてもいいように思う。DVD化するなら、「日本は過去に中国大陸で過ちを犯したことを認め、反省と謝罪の気持ちを忘れない」といったことを、最初にテロップで入れるとか。やっぱ、むずかしいのかな。

この映画では20世紀を代表する名曲『蘇州夜曲』が挿入歌として流れる。数々のシンガーがカバーしていて、最近だとアン・サリーや平原綾香も歌っている、服部良一メロディ。いま、聞いても、じーんときます。名曲中の名曲。みなぎる支配欲をラブ・ストーリーと美しいメロディに包み隠して、かつて日本は大陸で悪いことをたくさんした。メロディが美しければ美しいほど、そのアンバランスがせつなくなる。むかしもいまも、そしてこれからも、支配欲があふれ続けるから、なおさら。

(今日現在、YOUTUBEで、この映画のさわりが見られます。蘇州夜曲も聞けます)

2008年9月8日(月)小伝馬町
このところ人形町にはよく行くんだけど、お隣りの小伝馬町にはご縁がなかった。半年くらい前、たぶん生まれて初めて足を踏み入れたのに、歩いていると不思議に懐かしい気持ちに包みこまれた。こういうことはときどきあって、千葉の天津小湊とか、今住んでいるウチの近くにも、何か所かある。デジャヴなのか、ただの気のせいなのか??? 

この感覚は街を歩く楽しみをちょっと増やしてくれるんだよね。

2008年9月3日(水)『歩いても 歩いても』
もう2か月近く前、この映画を見た。以来、どんなふうに感想を書けばいいんだろうって、ときどき考えているけれど、ピタッ!と合う言葉が、なかなか見つからない。もうちょっとで号泣するところだったのに。樹木希林が喋る、語る言葉はユーモアと重みと想いが一体化していて、ほんのささやかな一言が、グサッとくる。そして、彼女の言葉が日常的だったからこそ、日常はいつか過去になっていくことを暗示していたことに気づく、ラストシーン。

ふとしたとき、親の衰えを感じる世代なら、この映画はざわざわと、胸に迫ってくるだろう。

この映画を見終わってすぐ、母と話したとき、あたしはちょっといつもと違った。でも、すぐに日常に戻った。でもときどき思い出す。しあわせな日常は、かけがえのないものだっていうことを。それでもやっぱり、またもとに戻る。そんなことを繰り返していく。

2008年8月31日(日)お散歩
今年は夏が早く終わりそう。このところ涼しくて静かにしていたセミが、ちょっとだけ気温が上がって一斉に鳴きだした。セミ時雨を全身に浴びてみたくなって、新宿中央公園を歩いた。セミはたくさん鳴いてて、緑に包まれた。ただ、高齢化の波はここにも押し寄せていて、若いコがほとんどいない。昔を知ってると、ちょっと複雑な気持ち。

蔵前橋から横網公園へ。蔵前国技館があるエリアだし、ずっと「横綱(よこづな)」だと思ってたら、「横網(よこあみ)」なのね。この公園には東京都慰霊堂がある。浅草、東日本橋、箱崎、浅草橋・・・。この近辺はよく歩くのに、つい最近まで、東京大空襲のとき、言問橋で何があったのかも知らなかった。

横浜の大さん橋あたり。撮りそびれた写真を撮りにいく。タクシー運転手さん曰く、元NTTだったというビルの中に入ると上海だった。戦後の雰囲気をまだ残す雑居ビル、桃井かおりが主演したドラマに出てきそうな港町のカフェ、波止場会館。少しづつ、陽が傾いていく。

横須賀市安浦。かつて赤線があったという。暑いなりに、なめるようにを心がけながら、歩いてみたけど、それらしい雰囲気はほんのちょっとだけ。住宅地に唐突に出現する木造の料亭は大迫力。他にもっとないかな、あっ、もしかして・・・って、嗅ぐように歩く真夏の夕方。

横須賀中央を抜けて、汐入へ。昔々、クラブ・アライアンスがあったのはどのあたり??? 
『いとしのエリー』が巷で流れていたころ、ここでピザ食べたな。飲みきれないくらい大量のコーラといっしょに。ドブ板通りには、それでも、知ってるお店が残ってた。刺繍の大将とか、ライブハウスのROCK CITYとかね。

本郷三丁目。まだ寒いころ撮った写真が全部消えちゃったので、今回は撮り直しね。本郷館は毅然と存在していて、現役だった。あの存在感はすごいな。今回はクルマに自転車積んで行った。クルマに自転車積んで散策するのは、なんと!今回が初めて。

谷中、根津、千駄木。ここも寒いころ歩いたところ。真夏の夕方に見たい風景があったんだよね。そして新たに真夏の夕方にピッタリな道もみつけた。自転車があると、ちょっと遠くまで行ける。舐めるみたいにまわれる。上野だってすぐ。突然、洋館が現れる。東京芸大。未知の景色が続々。

墨東綺譚。これもいまさらだけど、読んでなかった。本当は墨には「さんずい」がつくのね。で、東向島へ。当時の面影はもはやほとんどなくて、ありったけの想像力をふくらませても、あの世界には重なりにくい。鳩の街商店街のほうが、いにしえをイメージしやすいかも。

プライベートの散策は自転車もあるし、好きなだけ、好きなところにいれるし、日が暮れてからの街の風景も味わえる。

お散歩はまだまだ続く。

2008年7月2日(水)意外と何でもはずれる
ある土曜日の朝、突然、インターフォンが鳴った。
「浴槽の部品交換に伺いました!」。
そういえば、浴槽の部品に不具合があるというお知らせが入っていて、交換希望日を書いて出したことがあったっけ。

ドアを開けると体育会系の女性が礼儀正しく、なおかつ勢いよく部屋に入ってきて、ぼーっとしているわたしと飼いネコを尻目に、一直線に浴室に向かい、浴槽正面のカバーをはずし、部品交換を始めた。

「この部品は何のためにあるんですか?」。
彼女は詳しく部品の役割について説明してくれたが、いかんせん寝ぼけているので、よく理解できない(寝ぼけてなくても、わからなかったかもしれないけど)。どうやら水量の調節をするためのものらしい。説明しながら、彼女はさらに別のパーツを取り出した。

「はあ、こんなにいろいろはずれるもんなんですね」。
5年近く住んでいるけれど、こんなにカンタンに浴槽正面のカバーがはずれることも知らなかったし、ましてやその中のパーツがするりと取り出せることも知らなかった。
「意外と何でもはずれるんですよ」。

そう言いながら彼女は手にした部品を印籠のようにかざしたような気がした。どこか、占い師の予言じみたニュアンスを漂わせたのだ。

そうか、実は「意外と何でもはずれる」のか。このひとことが、ときどき蘇ってくる。よく見てなくて、気がつかなくて、別の方法を見つけられないでいることって、きっとあるんだよね。

2008年6月25日(水)ヤエル・ナイム
「いま、本人が通ったよ」。
「えっ、気づかなかった」。
「偉い人って感じのおばさんといっしょに歩いていったけど、小柄でかわいかった」。

タバコを吸っていたとき、隣りでグッズを売っていたスタッフの女性たちの会話。つまりヤエル・ナイムはわたしのすぐ脇も通ったわけだけど、気づかなかった。

入口の近くでは紙コップでお茶やワイン、柿ピーまで配られている。「1ドリンク付」じゃない。「ご自由にお取りください」って書いてあるんだもん。こんなライブは初めて。

曲の合間のトークで、「パリのアパートで、ともだちを呼んで、ホームパーティしながら歌うのが好き」と彼女は言っていた。

初めて会うのに、言葉も交わしていないのに、昔、どこかで会ったような気がする。すごく親近感がある。さりげなくて、自然で、魅力的。英語の喋り方もチャーミングだしね。

ブリトニー・スピアズの、あの!「トキシック」を幻想的アレンジでまったく別の曲にしてしまったセンスもすごい!

「"NEW SOUL"がコマーシャルに使われ、突然世界中で大ヒット、大注目されているけど、今後はどんな予定?」とラジオのインタビューで訊かれたときも、「特にこうするとか、そういうんじゃなくて、このまま自分たちの音楽を続けていこうと思う」というようなことを答えていた。

彼女の歌を聴きながら、目を閉じると、わたしがいるのはホールじゃなくて、自然の中で、すーっと風が吹いていったような気がしたり、こないだ波に乗ったときの滑る感覚が蘇ってきたりする。小さなホールで間近に彼女のライブが見れて、しあわせ。

At La Foret Harajuku, 4, June 2008


2008年6月22日(日)世界制覇
波があるときは湘南に行く。いつもは千葉だけど、ホントはやっぱり湘南が好き。1970〜80年代の「文化の香り」がいまも漂っているような気がするから。だからコンクリートで囲まれた箱もの系駐車場よりも、海が見えるオープンエアーの駐車場のほうがいいな。

波乗りが終わって、クルマに戻ってくると、警備員のおじさんが声をかけてくれる。「楽しめましたか?」。そのうち、彼はこんな話を始めた。

「ブラジルに70歳位でサーフィンを始めた日系のおばあさんがいて、今はもう70代後半だけど、現役。彼女が言うには、波に乗ると、世界を制覇したような気持ちになるんだそうだ」。

彼は行きつ戻りつ、その話を繰り返しながら、フェンスの向こう側で遊んでいる少年に声をかける。「おーい、閉めるぞ〜!」。

駐車場の隣りにある、17時で閉門する遊び場。もう時間を過ぎているけど、少年たちはまだ遊んでいる。おじさんに声をかけられて、帰り支度をし始めた。なんか、懐かしい風景だ。単純過ぎるかもしれないけど、こんなふうに、外で遊んで、体動かして、疲れちゃえば、ヘンなコトは考えなくなるんじゃないかと思ったりする。

ボディボードはボードの上に立たないせいか(立つひともいるけど)、世界制覇気分を味わったことはない。でもいい波に乗るとエクスタシーが来る。夢は還暦の誕生日、台風が来て、稲村ガ崎のグランド・スウェルに乗ること・・・だったんだけど、このおばあさんの話を聞いて、「生涯一サーファー」ってのも、魅力的だなと思う。大好きな野村監督も「生涯一捕手」って言ってたし。おこがましいけどね。


2008年5月20日(火)ジャニス・イアン
「あの曲を今までに何回くらい歌ったんですか? 歌っていて飽きることはないんですか?」。あるラジオ局の番組にゲストで出演した際、女性DJが尋ねた。そのとき彼女は「飽きることはない」とキッパリ答えたという。

「あの曲」とは『17歳の頃』のこと。彼女の代表曲だ。

「今までに約5000回のステージに立った。その度に、違う人々の前で歌う。歌詞のひとこと、ひとことが聴衆に届き、そこにいる人々に何かを残すことができる限り、飽きることはない」と。

女性DJには伝えなかったけど・・・と前置きした上で、続ける。「様々な人種、国、宗教、文化を超えて、人々をつなぐ曲を作り、歌うことができるということは、アーティストにとって、最高にラッキーなことだ」。

これって、シンガーだけじゃなくて、ささやかに生きていたとしても、共通項があるんじゃないかなって思った。たとえば、毎日、同じようなことを話す仕事。でも話す相手は千差万別だ。ある程度、分類できるにしても、思いがけない反応が返ってくることだってあるし、人は変わる。それがおもしろいから、飽きることがないし、インフィニティ。

トークも味わい深かったけど、歌もすごい。特にオープニングの『ジェシー』、後半に歌った『ウィル・ユー・ダンス』は、ウルウルル。『ウィル・ユー・ダンス』は、ドラマ「岸辺のアルバム」の主題歌になった。この曲を聞くと、多摩川が決壊した映像が目に浮かぶ。小田急線の和泉多摩川駅。当時、まだ外国の曲が主題歌に使われることが珍しかったころ。

去年ウーター・ヘメルを見に行って、ビルボードライブ東京がすっかり気に入った。ステージの背景がガラス張りで、演奏が始まるまで21世紀の東京の夜景も楽しめる。むかし、この場所には防衛庁があった。「防衛庁の前の・・・」なんて、場所を説明するとき、言ったっけ。すっかり跡形もないように見えるけど、奥まで歩くと、80年代の乃木坂が残ってる。

3月のアリス・クーパーに始まって、スウィング・アウト・シスター、ジャニス・イアン、先週は、レオン・ラッセルまで見に行き、すっかり振り返りモード。来月は、現代に戻って!ヤエル・ナイム。彼女の音楽もだけど、バックグラウンドにもすっごく興味があるんだよね。

2008年5月12日(月)人形町の料亭に行くの巻
分不相応は百も承知で、料亭に行くことになった。初体験。玄関の引き戸を開けると、仲居さんが3人並んで、三つ指をついた。うわっ・・・。

お料理は前菜から始まってデザートまで全九品。食べることは大好きだし、食べる量も多いけど、決してグルメではなく、味がわかるかどうかはギモンなわたし。それにしたって、この気品、上品なおいしさには圧倒されました。そして、お部屋と器の美しさ。

初めての客にも(もう二度と来ないかもしれないのに)、ちゃんと女将がご挨拶に来る。「○○家でございます」。なるほど、お店の名前=女将なのね。凛としつつも色っぽい。訊かれたことにはちゃんと答えるけど、余計なことは喋らない。必要なことを、必要なときに、必要なだけ。

仲居さんによると、派遣も含めて。従業員は20人くらいなんだそうだ。板場は計8人。今年、高校卒の新人が3人入ったそう。3人とも、紹介で採用された、とある有名料亭の後継者。お休みも少なく、きつい仕事なので、そうでもないと長続きしないんだそう。住み込み。お風呂は自転車で銭湯へ行くとか。

『前略おふくろ様』を思い出した。懐かしいな。

この料亭の歴史は大正元年に始まり、今の建物は昭和30年に建てられたんだそうだ。日本好きな外国人を連れてきたら、卒倒するんじゃないかと思うほど、抑えられた日本の美に満ちている。床の間には何も置いていない。

本物は主張する必要がないんだよね。

2008年5月11日(日)ノムラ・ボヤキ・イリュージョン
小学校のころ、プロ野球に熱中したことがあった。それから長い、長い、年月が過ぎ、まさか野球がこんなにおもしろくなるなんて、予想外。

野村監督は語る。監督のミッションは、今ある戦力でどう戦うか?ということだと。トレードをするかどうかは、フロントが考えること。自分の仕事はあくまでも「今ある戦力でどう戦うか?」。お金を使っていい選手を集めるだけでは勝てない。野球は見えない部分が大切だと。そして大切なのは指示系統。

これって、野球だけじゃなくて、仕事全般に言えることじゃないかと思ったりするんだよね。ここが、こうなったら、もっといい仕事ができる・・・と思うことが、よくある。でも、ここは、なかなか、こうならない。いまある状況でどうするか?

お金にモノを言わせれば、いろんなことができる。権威を振りかざせば、動かせることだって往々にしてある。だけど、お金や権威だけじゃ動かないこともある。「見えない部分」とは何? 「見えない部分」について、たくさん考えることで、次に打つ手が見えてくるかもしれない。

今日は楽天勝ったかな?って思って、夜のスポーツニュースを見る。1点差で負けることも多い。連勝と連敗の連続。貯金と借金を行ったり来たりする。一喜一憂。

勝っても負けても、野村監督はうれしそうに見える。大好きな野球をしているよろこびがあふれてる。だけど、ボヤキは負けたときのほうが、おもしろいんだよね。

2008年5月10日(土)5年たって〜六本木ヒルズ
イラン料理屋でひさしぶりにランチをして、お隣りの六本木ヒルズを歩く。今回初めて気がついたのは、毛利庭園に「宇宙メダカ」がいること。オフィシャル・ホームページによると、1994年、スペースシャトル「コロンビア」内で脊椎動物として初めて宇宙で誕生したメダカの子孫だそう。

その日、庭園はつつじが咲き始め、空は真っ青で、ちょっと風が吹く。お腹がいっぱいになって、メダカを見ている。満足するだけゴハンを食べられて、ちょっと気になることがあっても「じゃあ、こういうふうにしよう」って考えて、安心するとちょっと眠くなる。寝たっていいけど、次の目的地に行ってもいい。次にはまたいいコトがあったりもするし、なかったりもする。

初めて六本木ヒルズをちょっと好きになった。このあたりは、昔、よく遊んでたともだちが住んでたのに、再開発で街ごと全部なくなっちゃって、複雑な気持ちは今でもある。メトロポールの脇の坂の風景だってはっきり覚えてるしね。だけど、大名屋敷の名残を残しながら新たに作られた庭園の池に宇宙メダカが泳いでるのは、昔と今と未来がスクラム組んでるみたいで、単純なのかもしれないけれど、ちょっと感動的だなって思う。

2008年5月4日(日)タイムトラベラー
本郷三丁目から根津
4月なのに、2月並みに寒い日曜日。求道会館。大正時代に建てられた学生寮は、当時の雰囲気をそのまま生かしつつ分譲マンションに生まれ変わったという。が、外からはよく見えない。月に1回、会館の中を公開しているそうだから、そのときに。

求道会館を離れ歩き出したらすぐ、本郷館が唐突に目の前に現れた。ここにあったのね。木造3階建ての下宿屋さんは、1905年に建てられたんだそうだ。築100年以上の木造建築物が放つ迫力は、息が止まって、そのまま固まるくらい。なんとか保存できないのかな。あたしがせっせと働いて払ってる税金は、そういうことに使ってほしい。

人が住んでいるお宅をあんまりジロジロ見るのは、はしたないけど、歴史を感じさせるお家の表札には、旧町名と電話番号が書かれていたりする。いま、ないもんね、表札に電話番号が書いてあるなんて。

戦前から使っているレジがあるというフルーツパーラーも、その隣りの喫茶店もお休みだった。余裕があるとき、平日のたのしみに。

江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』。D坂とは団子坂のことなんだそうだ。新聞記事に紹介された藪下通り近くの写真は、とってもミステリアスな色彩+構図。一度、探してみたいと思ってた。けっこうあっちこっちまわってから、見つかった。なるほど、この風景はこんな風にも撮れるのね。根津の駅を挟んで、反対側もいいな。夏になったら自転車でまわってみよう。できれば夕方に。お寺の向いの昔ながらの商店や、年輪を経た木、斜めに入っていく路地、ネコグッズ屋さん。きっと全然別の顔を見せてくれる。

銀座の昭和
三原橋の近くに、路地がある。ラーメン屋とか、飲み屋とか並んでいて、もう廃業して何年もたったお店もそのまま残っている。このあたりの建物も戦前か、戦後直後に建てられたのかな。上海の古い雑居ビルを思い出した。まわりを普通のコンクリートのビルが囲む。

こういう路地でゴハン食べた後は、もう絶対に演歌。『骨まで愛して』が心底聞きたくなったんだけど、さすがにケータイにはストックしてなくて、ちあきなおみの『喝采』とか『四つのお願い』とか聞いてみた(入れてあったってことね)。

しばらく歌謡曲を聞いてると、JANETとか、安室ちゃんとか聞きたくなってくる。別のプレイリストを選べば、すぐにいまに戻れるからカンタン。なんだか、タイムトラベラーになった気分。

父の詫び状
いま、流れているソフトバンクのコマーシャル(「ありがとう。2007年度純増ナンバー1」)のBGMは昔、久世光彦が演出していた向田邦子原作のドラマ「父の詫び状」のメインテーマ。記憶が正しければ作曲は小林亜星さんだと思う。

昭和が終わって20年経っても、こんな風に昭和がいつでも近くにいる。

それにしてもソフトバンクのコマーシャルは、次の展開が楽しみでたまんない! 天海祐希の「余分三兄弟」とともに。

2008年4月16日(水)桜守
忙しそうな顔をしながら、あっちこっちに行っちゃあ、今年はたくさん桜を見た。

2分咲きの隅田公園から始まって、5分咲きの人形町、7分咲きの新宿御苑。満開は鶯谷のホテル街の裏手にある元三島神社。池袋のベトナム料理屋から簾越しに見る公園の桜は色っぽかったな。駅近くは満開に近いのにちょっと丘に上がったらほとんど咲いてなかった高尾。舞い落ちる花びらを若い女のコがすくおうと手を伸ばす青山墓地。夜桜は近所で5〜6か所。最後の桜は茂原公園で。幻想的ではかない夜桜・・・。

今年の桜の季節にピッタリだったのは、大橋トリオの『バウムクーヘン』と、Silversun Pickupsの"Lazy Eye"という曲。大橋トリオは、ぼわーんとした春霞の昼間の公園の桜にあう。Silversun Pickupsは、夜。桜並木が続く道を自転車で疾走しながら空を見上げたときにカッコいい。

こうやって書いていくと、そのとき、そのときの桜が浮かんでくる。みんなステキだったけど、一番好きなのは、新宿駅の近く、山手線と中央線の線路の間、三角州みたいな隙間に1本だけ立っている桜の木。けっこう老木じゃないかと思うんだけど、今年も地味ながらちゃんと花をつけた。毎日、毎日、ひっきりなしに通る電車の騒音にもめげないで。その木のまわりには、ちょっと距離を置いて菜の花がたくさん咲いていて、なんだか彼はとってもしあわせそうに見える。

王様のブランチに出演していた「桜守」と呼ばれるおじいさんがこんなようなことを言っていた。「桜は蕾のうちは天を仰ぎ太陽の恵みをいっぱいに受ける。そして花をつけると、太陽に感謝して下を向く。だからお花見するときは、俯瞰で真下から桜を見るのがいい」、と。


2008年3月30日(日)お化け屋敷の変態じいさん
本人が登場するまで信じられなかった。「アリス・クーパー公演」のためにスタジオ・コーストまで来たにしても。今年還暦を迎えるという彼がいったいどんなステージを見せるのか? 小学校のころ、親にイヤな顔をされながら、ボロボロになるまで聴いたレコード。子供心はおどろおどろしさに胸高鳴ったものでした。あれから時は過ぎ、2008年。チケットを買ったのは、怖いもの見たさか。

最初は口パクじゃないかと思ったほど声量もあり、迫力もあり、目の周り真っ黒メークもしてて("KISS"より早かったんだから)、背中にはドクロ・マーク、齢60歳にして赤いシャツも似合う。至近距離約3メートル、いい位置で見れたので、彼とバチバチ目があって、見つめられながら、"BE MY LOVER"って迫られ?たりしてね。

どう見ても、お化け屋敷の変態じいさん。決して健康的には見えないんだけど、途中、若い衆のギターソロとかドラムソロの間休憩してたとはいえ、2時間近く彼は疾走した。持ってるものすべて見せ尽くす、サービス精神たっぷりのライブ。そしてわたしは超満員なのにまわりに隙間ができるほど、ちょっとどうかと思うくらい、いっしょに歌い、踊りまくった。

いったいどんな人が来るんだろう???っていう楽しみもあった。いるいる、むさ苦しい70年代的長髪でオヤジを通り過ぎじいさんの域に入ろうとしている人(ロック魂を持ち続けたまま年配に突入した団塊世代)、すっかり見かけなくなったウェイビーヘアの女性、サイケなベルボトムでキメた人、MOTERHEADのTシャツ着た人、ボヘミアンな外国人、「かつてロック、今、管理職」な人・・・。ビックリしたのは、若者もけっこういるのね。様々な人々が一丸となって、歓声を上げる! 

すっかり忘れていたけど、アリス・クーパーといえば、絞首刑。『ボヘミアン・ラプソディ』を彷彿とさせる叙情的な音楽が流れ、彼が殺人を犯す寸劇。絞首刑台がステージに登場し、処刑されるのだ。ある意味、新宿コマ劇場の演歌歌手公演のお芝居みたいな、お約束みたいなものなのかもしれないけど、当時は、世間の顰蹙を買ったんだよね。倒錯+背徳。

あたしのなかでは、ものすごーく長い不在の後、アリス・クーパー突然リターンズ!ってイメージだったんだけど、ウチ帰ってネットでチェックしてみたら、けっこう活動してるのね。2005年にはチープ・トリックと全米ツアーしたっていうから、またビックリ! 道理でこなれたステージでした。これがキッカケになって、またまた70年代、80年代にグングン引き戻されそうな今日このごろ。


2008年3月29日(土)
10年後の「お手洗いエトセトラ」
ちょいとカラダを動かしただけで、あたしの意思に関わらず、流したくもないのに流れてしまうトイレ。個室に入った途端に「音姫」が作動するトイレ。日本中でムダな水が流れ、必要のない電気代がかかってると、わたしは思う。なのに、そういうトイレに限って、「エコ」が強調されていたりするんだよね。それに、公園のトイレの洗面台に「手をかざすだけで自動的に出てくる水せっけん」って必要だと思う??? 

マドンナが日本に来て一番感動したのは、暖かくて居心地のいい便座だったという話を聞いたことがある。日本人はお手洗いに心地よさを求める傾向があるんだよね。ま、国にもよるけど、海外に行ったとき、絶句するようなお手洗いを目の当たりにしてしみじみ感じたのは、かの地でのお手洗いはあくまでも「排出の場」でしかないということ。

東京のいいコトのひとつは、無料でキレイでゆったりくつろげ、トイレットペーパーも完全装備されているお手洗いがそちこちにあること。大げさに(えらそーに)言えば、それは日本のすばらしい文化なんじゃないかと思う。もよおしたとき、心地よいトイレを見つけたときのしあわせとありがたさ!

ただ、あたしは水は自分の意思で流したいし、音姫も使うかどうかは自分で決めたい。同じ空間に他の誰かがいれば音姫を使うのはマナーの範疇に入るんだろうけど、ひとりで用を足すときは、音姫の人工的な音じゃなくて、自分のオシッコの音を聞くほうがよっぽどスッキリするんだよね。

ましてや便座に座った途端、予期せぬことに、自動でビデの水がピュッ!なんて飛んできたら、そこここビショ濡れ。そこまで求めてないんだけどな。

関連リンク お手洗いエトセトラ

2008年3月26日(水)無常
浅草では、有名な洋食屋に何か所か行った。行列して天丼も食べた。黒豚でもないのにこの値段!?ってくらいのとんかつ定食もいただいた。ダンゴも、メロンパンも、串刺状の濡れ煎餅も食べた。食べれば食べるほどに、浅草は奥が深いと思う。価格に見合った感動的においしいものと出会わない。観光地の定めなのか、名店はひっそり隠れているのか、わたしの味覚の問題なのか。

ある晴れた日、さほど期待もせずに、欽ちゃんゆかりのお店だという定食屋に行き、カツ丼を食べた。おいしかった。カツのサクサク感をほどよく残した噛みごたえが気持ちいい。味噌汁+おしんこ付で何と!850円。愛想はあり過ぎもせず、なさ過ぎもせず、程よく。真摯にトンカツを揚げてくれる。テレビでは吹き替えの外国映画、電話のベルがリーンと鳴る。ひさしぶりだな、「リーン!」っていう音を聞くの。伝法院通りの「徳仙」というお店。やっと当った! 春が淡いうちに、カキフライ定食も食べてみたい。

デザートは同じく伝法院通りの「スイートポテト」。JANETを聞きながら、とろけていくしあわせ。

瀬戸内寂聴さんは、言った。「いい事も悪い事も長くは続きません。それを無常と申します」。

翌日は人形町に行く。人形町もよく行くんだけど、これまたゾクゾクするほど奥が深い。よく前を通るのに食べたことがなかった有名な老舗でランチ。ネットで検索しても評判いいし、本当に有名な老舗なんだけど、お料理、案内係のホスピタリティともに、全然いいと思わない。ふたたび行くことはない。

「今の若者は自分で調べたり、試したりすることを嫌う」という記事を読んだ。超有名大学の経済学部を今春卒業した男性は、海外旅行に一切関心がないという。「どんなリターンがあるか不明確なものに何十万円もかけられない」。

海外旅行ガイドの編集部に寄せられた問い合わせ。「香港篇に載る三百軒のうち、お薦めの五軒を教えてください」。「この旅は何に感動できますか」。尋ねるほうは大まじめだという。その一方、価値があると自分が判断できる材料が充分に揃っていれば、高額な出費もいとわないという。

水天宮の斜め前、気の早い桜はもうほぼ満開だ。行ってみて、食べてみて、やってみてわかることってあるんじゃない??? あたしは人形町リベンジ!を狙う。

2008年3月25日(火)学士会館
ちょっといいコトがあったので、ささやかな贅沢をしてみることにした。

成城石井やピーコックなど高級スーパーでよく見かける派手なパッケージのハワイのコーヒー。198グラムで1500円ちょっと。バニラ・マカダミア味。マカダミア・ナッツ好きのわたしとしては、そそられます。買ってから気づいたんだけど、"Natural & Artificial Flavorings"と表記されている。まずここでトーンダウン。高級コーヒーに罪はないけど、ココナッツのお香を焚きながら飲んだのが次の間違い。うーん、濃すぎる。トロピカルにも程がある。コーヒーはコーヒーらしい香しさのほうが、いいな。


神保町の交差点から一ツ橋方面に向かって歩いていくと、左側に学士会館がある。いつものことながら、今まで気づかなかったのがフシギ。その建物は、魯迅も滞在した上海のYMCAを彷彿とさせるのにね。1928年の竣工だそうだ。重厚な内装、川島芳子が階段を降りてきても、何のフシギもない。中華はランチの定食が1500円。茹でてこんなに大きいなら、茹でる前はどのくらい?ってヘンなところでイマジネーションが拡がるような芝エビがザクザク入っている。

この芝エビとキノコの炒めをゴハンにぶっかけて食べたい衝動は抑えたほうがいい雰囲気。お皿に少量残ったソースを恨めしく眺めた。このお店はまた来たい。

何年も前に切り抜いた紹介記事。吉祥寺のヨーロッパ系料理レストラン(敢えて国の名前は秘す)。機は熟した。そんな遠くでもないのにもったいぶってるよね。できれば仕事に合わせて行きたかったんだわ。ランチ1900円。前菜3種の盛り合わせ、メインはお肉、デザートと飲み物、産地や料理方法などの講釈付き。が、いかんせん量が少ない。パンは2回お替りし、計7切れ食べた。おいしい!し、出るときお見送りもしてくれて、ホスピタリティも充分。だけど、また行くか?っていったら、行かないと思う。ご縁があって、近々吉祥寺に行くことがあれば、近くにおいしそうなお店いっぱいあったし、他のランチも試してみたい。

ま、書いてて思うことは3つ。まず「あたしってちっちゃいな」。次に、気持ち上乗せする価値があるコトとないコトがある。そして、いいコトとそうでないコトは交互にやってくるっていうこと。


2008年3月24日(月)LUV
最近一番気に入ってる曲は、JANETの"LUV"。金曜日に荻窪に行ったとき、ラジオから流れて、すぽーん!とハマった。ダウンロードして週末はずーっと聞いてた。ジャネットはピークを過ぎたって思ってたけど、とんでもなかった。気持ちいいし、春っぽいし、熟してる。海に向かう道が混んでも、空いてても、ピタッとあう。

安室ちゃんの"NEW LOOK"を自作コンピCDではジャネットの次に入れた。ステキに大人の女性になってる。"ROCK STEADY"もカッコいいしね。ジャネットの"FEEDBACK"を聞いたときは、ジャネットが安室ちゃんに近づいてるような気がしたりして。

そして、まさかの新譜(16年振りだそうだけど)をリリースしたThe B-52's。大好きだった"DEADBEAT CLUB"が入ってたアルバム"COSMIC THING"を聴いてたのはバブルの頃だもんね。彼らを初めて聞いた"PLANET CLAIR"から30年近くたった今、"FUNPLEX"。

先週はともだちの旦那が出場した「湘南国際マラソン」を見に行った。彼が走っているところは結局見れず仕舞だったけど、この期に及んで、生まれて初めて、大磯ロングピーチに行った。子供のころに行ったことがあったような気もしたけど、よく覚えてなくて、母に訊いたら「連れてってないと思う」と、意外なほどハッキリした答えが返ってきた。母はよく覚えていた。連れて行きたかったけど、父が面倒くさがって結局行かなかったことや、母のともだちのご一家は大磯ロングピーチに行ったことも。

すごーくフシギ、デジャヴみたいな感覚。行ったことないのに、なつかしい。建物とか内装とか当時の最先端がそのまま残ってて、すでに前時代的で、どこかさびれてて、だからタイプスリップする。子供のころのわたしが、そこにいるような。なのに、お手洗いから外に出たら、充分にオトナのわたしがドーンと鏡に写って目の前にいる。

今日は軽く鵠沼で波乗りした。サイズはなかったけど、晴れた日の鵠沼、海から見る風景が大好き。子供のころに江ノ島で海水浴したときとは全然違う景色。辻堂寄りから遠めに見れば、なんだかカンクンみたいじゃない???

2008年3月5日(水)ジャコウネコ・コーヒー
その日は気温が15度くらいまで上がった。谷中墓地の枯木をよく見ると、固いけど、蕾がカタチになっている。頭のテッペンだけグレーの白ネコが歩いていたので呼んでみたら、初対面なのにゴロゴロお墓の前で転がった。聞いてたラジオから流れたのは、NEW RADICALSの"YOU GET WHAT YOU GIVE"。なつかしいなぁ・・・。リリースは1998年だそうだ。もう10年。

お昼ゴハンは「じねんじょ」で薬膳カレーを食べた。このお店を見つけたのは一昨年の夏だと思う。あれから、なかなか日暮里でランチするチャンスがなくて、待つこと1年半。^ -

もうちょっと散歩したくて谷中銀座へ。道場六三郎も絶賛!したというメンチカツ。揚げ物はこうあるべき!なメンチカツなのね。ものすごーく期待して食べると、昔、近所のお肉屋さんで売ってたメンチカツの味だよね、ってハナシにもなるけど、満足!

下町情緒にそそられて、喫茶店へ。いつもヴェローチェやドトールの反復なので、今日は清水。このお店には「ジャコウネコ・コーヒー」という逸品があって、なんと1杯1800円!!! 迷ったけど、780円のジンバブエ産にした。ちっちゃいんだわ。ま、ジャコウネコは今度いいコトがあったときにしましょう。

で、「ジャコウネコ・コーヒー」とは、ジャコウネコが食べたコーヒーの実が消化しきれずにそのままウンチといっしょに出て、その実をキレイに洗って中味を取り出し、焙煎するんだそう。よくもそこまで考えるよね、飽くなき追求にビックリ。知らないコトって、無限にあるのね。

お店では、『上海バンスキング』のサウンドトラックがかかっていた。もしかすると、導かれたのかも。

2008年3月2日(日)ゲイマーぶどう園
相模原市の住宅地に消え行くぶどう園があるという記事を読み、行ってみることにした。半世紀以上前からワインとブランデーを生産していたが、3年ほど前に廃園になり、もうすぐ工業団地が造られるのだという。

行ってみてわかったんだけど、その場所は、3年近く前、数ヶ月だけ勤務したオフィスの近くだった。すぐ近くの国道16号線は、何度もクルマで通ったけど、全然知らなかった。こんな近くに、ぶどう園があったなんて。

戦前、裕福な家庭に生まれた日本人女性戸田康子がパリに留学し、13歳年下のフランス人のマーセルと出会う。ぶどう園で苗木の植え付けを始めたのは1952年。最盛期には年間7万リットル以上を生産し、収穫祭が開かれたという。1976年、マーセルが事故死したころから、生産量が減り始め、8年後には康子も死去。その数年後、近くに横浜背古淵駅が開業、人口が増え始め、農薬の散布や肥料の匂いに対する苦情が増えていったのだという。

国道16号線からほんの数百メートル入ったところ、児童館と神社の裏手にゲイマーぶどう園があった。北風が強い真冬の夕方、ぶどう園は静かに、じたばたすることもなく、終わりを待っていた。写真を撮ろうとデジカメを向けると、ぶどう園は夏のような陽射しを受け、キラキラ輝いた。まるでぶどうの収穫の季節のように・・・。

本当にそう見えたんだから。

1年ちょっと前、仕事で吉原、山谷に行ったときのこと。ほとんど仕事らしいことはしないで、ずーっと散歩してた。独特な雰囲気があって、歩いても歩いても、飽きることがない。夕方、ノスタルジックな洋風建築の銭湯を見つけた。さんざん散歩して、風呂まで入るのは、さすがに良心の呵責があったりして、覗きこんだだけ。ウチに帰ってネットで調べてみたら、廿世紀浴場という名前だという。戦前からの銭湯で、内部はアールデコ様式になっているそうだ。

風邪をひき、海に入るのはちょっと我慢したほうがよさそうな日曜日。どこに行こうかな・・・って考えて、思い出したのは廿世紀浴場。でも再びネットでチェックしてみたら、去年の大晦日、廃業になっていた。

古いものはどんどん消えていく。たとえ、あたしがどんなにじたばたしたとしても。だったら、体験しとかなくちゃね、できるうちに。


2008年2月17日(日)『潜水服は蝶の夢を見る』
六本木ミッドタウン。オープンしたころ、仕事で近くに行ったので、ちょいと覗いてみたら、「左うちわな奥様方」で大混雑。「こんにちは、さよなら〜!」って感じだった。あれから1年近く、「ビルボードライブ東京」のチケットを手に入れ、ふたたび。夜8時近くだったからか、すっかり静まりかえっていた。全然違う風景。

少し余裕があったので、あちこち見てみた。世界に誇れるショッピング・モール。でも、惹かれたのは、ミッドタウンの裏側。橋を渡り、公園を横切り、細い路地を入っていけば昭和。乃木坂、昔ながらの風景だ。21世紀〜かつての近未来と、あたしの基本〜1980年代の東京が、ちょっと歩くだけで、行き来する。

ビルボードライブ東京は、行ってみて、なるほど、こういう構成になってるのね・・・って納得。基本はライブ・レストラン。ステージの背景はガラス張りで、演奏が始まるまで六本木の夜景が見える。今回はステージ前の食事もできる席だったけど、次回行くなら、1ドリンク付で食事なしの「カジュアル・シート」でいいかもね。

見に行ったライブはウーター・ヘメル。"Breezy"っていう曲が大好きで、見に行くことにした。通称「オランダのジャズ王子」。なんでもかんでも「王子」でいいのか!? って思いもあったけど、ご本人が登場して納得。ホントに育ちがいい感じ。ジャズっていってもリゾート系で、ヨーロッパの香りがちりばめられてる。音はとっても洗練されていてカッコいい。それでいて彼の人柄が伝わってくるような、あったかいライブ。

「地球の反対側で歌うことになるなんて、想像もしてなかった」。素朴に言う。彼が旅した距離と、距離感がそのままわたしに乗り移る。東京にいながらにして、旅に出る。

各方面で絶賛だけど、重すぎるんじゃないか・・・。ためらっていたのに、導かれたように見ることになった『潜水服は蝶の夢を見る』。この1週間イヤなコトがなければ、思いがけず時間があかなかったら見なかったかもしれない。

見終わって、ヴェローチェでコーヒーを頼むとき、「お砂糖とミルクはお一つづつでよろしいですか?」と訊かれ、「お砂糖だけ」と答える。そんなやりとりを毎日繰り返すことができるのは、なんてしあわせなんだろう。ウチに帰って、ネコのトイレの掃除をする。いつものことが今日もあるのは、しあわせだと気づかされる。

こんなに泣いたのは、いつ以来だろう???

時代の寵児ともてはやされたエルの編集長が、突然脳梗塞の発作を起こし、一命は取りとめたがほとんどすべての体の自由を奪われる。ただひとつ残された「自由」は左目の瞬き。「はい」なら瞬きを1回、「いいえ」なら瞬きを2回。20万回の瞬きを繰り返すことによって、彼は1冊の本を完成させる。

彼が持っているのは「記憶」と「想像力」。なれなかったけど、なりたかった自分を想像しながら、無限の旅を続け、瞬きだけで自分を表現する。襲い掛かる巨大な波でサーフィンする。絶壁の氷河が崩れ落ちるのを見る・・・。そして、ラストシーンに氷河は・・・。

映画って、こんなにすごい力を持ってたなんて、知らなかった。

ラストシーン近くに、Ultra Orange & Emmanuelleの"Don't Kiss Me Goodbye"という曲がかかる。CD買って聞いててよかったな。ダウンロードだったら、"Sing Sing"1曲で、拡がらなかったもんね。

最近、マニュアル的な対応が増えてるって、よく言われる。フツーに生活していても、それはすごく感じる。マニュアルに書かれていない展開とか、想定していない展開になると、突然人が変わってキレたり、無反応になったり、とんちんかんなことを言ったりする人たちが、次々と思い浮かぶ。

そんなこと言ってる自分自身も振り返らなくちゃね。自戒しつつ、「想像力」を振り絞って、グルグル巡らせてみれば、もっと楽しい、ステキな毎日が送れるんじゃないかと思ったりする。20万回の瞬きだけで本を仕上げるほどの強さは、持ち合わせていなくたって。

2008年2月4日(日)サッカーボール1個
InterFmで日曜日の21:00からオンエアしていた"Radio Up 9"が先週、突然、ナゾの最終回を迎えた。最近のFMはロックをかけて、ロック情報を流す番組が少ないから、貴重だったんだけどなぁ。すっごく残念。森泉アリ、岡本有里子、豊真根さんのかみ合ってるようで、かみ合っていないようなトークも絶品だったしね。「充電期間に入る」みたいなコトも言ってたから、桜が咲くころ、復活してくれないかな。

最近、アタリ!なラジオ番組は、これもInterFM。平日22:00からの"Tokyo Sonivo!"。ナビゲータの「みんしる」ファンで聞き始めたんだけど、ラテン系の曲はよくかかるし、選曲もいい! 

このところよく聞いているのは、Blood Red Shoes、Janet、puffy、Amy Winehouse、杉本姉妹など。これはすっごい!ってガツン!ときたのは、「まきちゃんぐ」。岡山在住の20歳の女子大生。『ハニー』は、そんじょそこらのバラードとは一線を画した絶品です。あと、三菱地所グループのコマーシャルで流れているクレイジー・ケン・バンドの『生きる。』。コマーシャルのナレーションもいいし、じーんときたりするこのごろ。もうひとつ、OJOS DE BRUJO っていう、バルセロナのフラメンコ系ミクスチャー・バンド。本気でものすごいので、詳しくは次回に!

関連リンク OJOS DE BRUJO

そうだ、スリランカのこともまだ全然書いてなかった。たった1週間しかいなかったのに、とっても印象に残ってて、また行くような気がしてる。人々は温厚、カレーはおいしい、素朴なリゾートと波もあって、カリブの香りがする島。スリランカも近いうちに特集?しようと思っています。

いろいろ世の中を見ていると、そろそろ真剣にエコな生活しなくちゃ・・・って時期に来ているような気がする。http://myco2.net/というサイトで自分のライフスタイルを入力すると、どのくらいco2を排出してるか算出されます。このサイトを運営しているペオ・エクベリさん一家の1か月のゴミの量は、サッカーボール1個だそう。ま、いきなりそこまで目標を高く持たないにしても、少しづつエコになっていこうと思う。というわけで、水筒と湯たんぽを購入。今日だって、東京は雪が積もったけど、つい30分前まで、暖房はつけず、湯たんぽと厚着で過ごしてみました。ま、部屋が狭いってのもあるけどね。

もっと読みたい