ホーム世紀末な???中南米旅行インデックス メキシコ

4/23/2000

メキシコ完結篇 がんばれ!、メキシコ 改訂版
昨年(1999年)1月、メキシコは、ヨハネ・パウロ2世の訪墨ニュース一色だった。ニュースは連日トップで取り上げ、タクシーに乗ればドライバーに、「日本にもパパは来るのか?」「パパが来るまでメキシコにいるのか」などと尋ねられた。地方の旅行代理店では、「パパを拝みましょうツアー」のパンフレットが置いてあった。メキシコ人は、親しみを込め、ヨハネ・パウロ2世を「パパ」と呼ぶ。

「当日、パパが乗った飛行機は、XX時XX分ごろ、メキシコ・シティ上空を飛びます。飛行機が見えたら、鏡を空に向け、光を反射させて、歓迎の意を示しましょう」。メキシコのテレビ局テレビサでは、そんなキャンペーンをやってたっけ。そんなことしたらパイロットが見誤まり、飛行機落ちたりしないかしら・・・。余計なお世話をよそに、ミレニアム前の訪墨にメキシコは沸きに沸き、歓迎ぶりは熱狂的、熱烈を極めた。

残念ながらパパとは入れ違いにメキシコを離れてしまったけれど、式典はコスタ・リカのテレビで見た。見渡す限りの人の群れ、メキシコシティの住民全員が外に出ているのではないか・・・と思うほどだった。数百万に達してたかもしれない。

メキシコのある広場で、政治集会が行われていた。彼らは訴える。

「カンクンのゴージャスなホテルに1泊するために、メキシコ人は1か月半も働かなければいけない。アカプルコの美しい海岸に、メキシコ人は住めない。メキシコの有名なリゾート地を満喫できるのは、少数のメキシコ人と外国人だけだ」。そして「(政治的な理由で)消えてしまった人々」や「無実の罪で投獄されている人々」の顔写真のコピーが延々と貼られていた。

銀行のCD機でカンタンにお金を引き出したり、美術館や遺跡など観光客のための設備は整ってきた。でも街を歩くと、靴磨きや物売りをしながら働いている子供たちがたくさんいる。テレビでは、「子供を学校で勉強させよう!」というコマーシャルが流れてた。どうしようもない現実、長年にわたる貧富の格差は、メキシコ人が信心深いことの、ひとつの理由かもしれない。

でもメキシコには美しいものがたくさんあって、何よりメキシコ人はやさしくて、感じいい人がホントに多い。しかも食べ物がおいしくて、物価も安い。(地域や時間にもよるけど)ラテンアメリカでは、比較的治安もいいほう。朝、成田を出発すれば、その日の夕方には、メキシコ・シティに到着する、一番近いラテン・アメリカ。なんか観光局みたいになってきたけど、ラテン未体験だったら、お試しにいいかも??? 英語も(まあまあ)通じます。

メキシコ・シティの空港に着いて、タクシーに乗ったら、ラジオからアラニス・モリセットの"THANK U"が流れてきた。この曲のイントロを聞くと、メキシコを思い出して、じ〜んときたりする。サンキューはそのまま、メキシコにあげたいなって思う。

 

関連リンク 
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