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カハマルカでモデルたちとランチ


リマ空港の待合室でペルー人のおばさんと知り合った。彼女はカハマルカ人、用事でリマに来て、これから地元に戻るところだという。

「あら、サンクードに刺されたのね」

ポツポツと赤くなっているわたしの手の甲を見て、彼女は言った。

「サンクードって?」

「サンクードはサンクードよ、あなたの国にサンクードはいないの?」

「モスキート(蚊)のこと?」

「違うわよ、サンクードよ」

会話は平行線を辿った。蚊ではないのならノミだろう、そう思いこむことにした。

アマゾンではいろんな虫に刺された。大きな赤い点、小さな赤い点、グチュグチュした発疹もあるし、わたしのカラダは虫刺されのデパート状態になっていた。マラリアになるかもしれないから、虫には刺されたくなかったのに…。

わたしは暗示にかかりやすいタイプなのだ。ちょっとヘンなものを食べて、「もしかしたら腐っていたかもしれない…」と思っただけで下痢をする。だから「アマゾンの蚊に刺された!」なんてことになれば、すぐに発熱してしまうだろう。そう、これはノミなのだ、ノミ、ノミ、ノミ…。

さてわたしたちは、「カハマルカ」という町に向かうところである。カハマルカはペルーの北部山地に位置する、人口およそ12万3000人の小さな町だが、1532年にスペインの征服者ピサロが、インカ皇帝アタワルパと会見した歴史的な町だ。「アエロ・コンドル」という国内線の飛行機に乗って、2時間ほどで着くらしい。

「フォッカー F−27」というプロペラ機の座席数は50席ほど、早い者勝ちの自由席である。カハマルカ人のおばさんは「タッタッタ」と走り、外国人のわたしのために窓際の席を確保してくれた。なんかラッシュ時の急行電車の席取りに似ている…。

「モーターが2機ついているんだ」

隣りに座ったおじさんたちがそんな会話をしている。2機のモーターが「ブルン、ブルン!」と第二次世界大戦中の戦闘機の出撃のようなエンジン音をたて、プロペラ機はふわっと宙に浮いた。

「カハマルカには牧場がたくさんあって、牛がいっぱいいるの。だから乳製品がおいしいのよ」

おばさんが教えてくれる。

彼女は自己完結+リピートが多いタイプ。「もう町は見えるか?」と何度も聞いたり、「飛行機は何時に到着するのか?」と聞いておいて、「そういえば弟が9時に迎えにくるって言ってたわ」とひとり言を言ってみたり。「あそこに見えるのは川? それとも高速道路?」って言われても、そんなのわたしが聞きたい! 日本人でもよくいるおばさんタイプだけど、こういう傾向って国境を超えるのだと妙に納得。

到着したカハマルカの空港は、牧場みたいにかわいい小さな空港だった。

昔はアシエンダ(農場)だったというホテルの部屋は洞窟のよう。建物全体が石でできているのだ。両脇が石の壁になっている細い階段を降りていき、木のドアを開けると民芸品が飾られた部屋がある。

陶製の灰皿や花瓶、そして蝋燭立てと蝋燭(インテリアとしてだけではなく、停電したときにも役立った)、ペルーの農村風景を編み込んだタペストリー、カンペシーノ(先住民)がよく身につける暖かみのある布で作られたクッション、ベッドカバーは天竺のような手触りの素朴な布、ドアのまわりの壁は竹の編み込みで縁取られている。

とても心が安らぐ内装だが、気温は低く寒い。なんだか頭もボーッとする…ということは、風邪をひいたのかもしれない。ひと眠りする。

目が覚めるとお腹が空いていた。午後からは市内観光ツアーがあるので、ランチ+スケジュールの確認のために町へ下りる。

このホテルは市内の中心地から数キロ離れた山の上にある。町に行くときはフロントで「下りたい」と言うと、無料でミニバスを出してくれるのだ。

旅行代理店は小規模だが、親切にスケジュールを教えてくれた。都合により市内観光は明日にして、今日は別のところに行くという。そのかわり明日は市内観光のほかに、スケジュールに含まれていない「XXX」(名前は忘れた)というところにも連れていってくれるそうだ。これは代理店のご厚意だそうで、料金はかからないとのこと。

「なぜ?」と聞くのもヘンなので甘えさせていただく。でもちゃんと理由があったことは、あとになって判明する。ついでに隣りのレストランでマテ茶もおごってくれた。

マテ茶だけではお腹がもたないので、お薦めだというスペシャル・ランチにトライしてみる。16ソル(約720円)だから、ペルーのランチとしては超高価なコースである。

「クイ」といううさぎのお肉を焼いたもの(皮が多く身が少ない)、トウモロコシの水煮(ちょっと固くて不思議な噛み心地、おいしい)、チチャロン(アレキパで食べたスペアリブもどき)、スープ、ジャガイモのカレーライスにデザート。おいしかったのはトウモロコシとカレーライス…、これじゃあ超スペシャルの意味がない。

それにしてもアレキパとカハマルカは1000キロ以上も離れているのに、土地の名物というと「チチャロン」が出てくる。

食事をしていたら、隣りに座っていたグループのひとりと目が合った。くっきりとした目鼻立ちの女のコが微笑みながら言った。

「さっき、山の上のホテルで会ったよね」

「ああ、そういえば…」

レストランは大人数の予約が入っていたため、わたしたちは隅っこにちんまり座っていたが、この会話がキッカケでテーブルをくっつけて食事を続けることにした

きれいな女のコが4人と、沖雅也のアマン(ちょっと古いか…)、ヒカゲさんに似たオヤジの5人組。女のコたちは、明後日に開かれる「カハマルカ・モデル・コンテスト」に出演する予定だというモデル。

オヤジはこのコンテストのオーガナイザー(日本で言えば業界人ね)らしい。わたしは昔、外国人モデルのマネージャをしていたことがあるので、なんだか妙に懐かしい気持ちになってしまった。

「みんなアメリカや日本で仕事をするのが夢なんだ」

オヤジが言った。

お望みならば連れて帰りたいほど、いいコがひとりいた。インド系+カンペシーノ系+ヨーロッパの薫り、エキゾチックな顔立ちでワイルドな雰囲気を持っている。

午後のツアー開始までちょっと時間があったので、日干し煉瓦の屋根、白い壁に木製の張り出し窓がついた2階建ての家々が並ぶ町をお散歩。建物は高くても4階建て程度、ビルはほとんど見かけなかった。ちょうどお昼休み時間だったのだろう、強い陽射しに照らされた真昼の町は、人気が少なく静まり返っている。

あるホテルのパティオはベランダ型の木製の回廊で、グルッと囲まれていた。そういえば、以前、カナリア諸島を訪れたときにも、こんなパティオと回廊を見たことがあったっけ。大航海時代のスペインの足跡はただの名残に留まらず、アフリカ沖の小さな島にも、遠く離れた南米の小さな町でも生活として定着し、脈々と息づいているのだ。

ツアーは修学旅行の高校生たちといっしょである。旧農場跡(かなり大規模)、公園、山奥の滝などを高校生といっしょに見学し、すっかり遠足気分になった。頭がボーッとしていたのは高度のせいで、風邪ではなかったらしい。カハマルカの高度は2750メートルだそうだ。

「じゃあ、これからインカ風呂に行こう。高校生たちはすでに見学済みだから、あなたとボクとプライベートツアーだよ」

ガイドのカルロスがニンマリしながら言った。まさかいっしょにお風呂に入ろうというのではないだろうが…。

「インカ風呂」は太古の昔、インカの民が英気を養っていたという立派な温泉施設だった。お湯の量は豊かで、外にある池も温泉だそうだ。触ってみたら確かに熱い。ささやかな追加料金を支払えば入浴もできるし、個室もあるというので、さっそく浴槽へ、ゴー!

アレキパ近郊のユカの温泉と同じようにこの浴槽のお湯もぬるかったが、個室になっているので、水着なしで裸になれる。またユカの温泉はプール様式だったので立ったまま入ったが、ここの浴槽には段差があるので座ってのんびりくつろげる。

お湯がぬるいのは仕方ないだろう。一般的に日本人は熱いお茶、熱いお風呂、キリリと冷えたビールが好きだが、とても熱いコーヒーや脳天にキーンとくるような冷たいビールは、外国ではあまり経験したことがないように思う。

ところで、今の時期(11月)は修学旅行のシーズン、一般の観光客は少ない時期だそうだ。そういえば落書きだらけの大型バスが、あちこちに停まっていた。修学旅行生といっしょに観光するということは、つまりあの旅行代理店ではわたし以外に一般の観光客がいなかったのだろう。明日も高校生と修学旅行と思うと、ちょっとトキめいた。

(注:サンクード<ZANCUDO>とは蚊のこと。スペインでは<MOSQUITO>と呼ぶが、ペルー、メキシコ、中央アメリカ、ベネズエラ、コロンビア、アンデス地方などでは<ZANCUDO>と呼ばれている)

(本文中は1ソルを45円で換算)

まだまだ修学旅行は続く

関連リンク 虫刺されのツボ 航空会社★取り表

ペルーの写真 

旅行した時期は1996年10月〜11月です。



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